第4話
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「おい」
「うわっ……!」
夜中、のどが渇いたからミネラルウォーターでも飲もうとキッチンにいた晴樹は、急に後ろからセイジュに話しかけられて驚き、飛びのいた。
「な、何? 急に現れないでって言ったじゃねーかよ」
晴樹の言うことなどセイジュは気にもせず、
「エマはあそこで何をしてるんだ?」
と、ダイニングテーブルの椅子に腰をかけ、テーブルに上半身をうつぶせにして眠っていえるエマを指した。
「ああ、父さんのことを待ってるんだ。今日、出張からやっと父さんが帰って来るんだってさ。母さんは、父さんがどんなに遅くなってもああして待ってるんだ。パパは、ママと晴樹の為に頑張ってお仕事してくれてるのよーって」
「……」
セイジュは、何も言わずにエマを見つめた。
「エマ……。あの時、思い描いていた夢は叶ったのか?」
至近距離にいた晴樹にも聞きとれないくらいの小声でそう呟くと、セイジュはそっとエマの髪を撫でた。
「ちょっと! 母さんに触るな!」
晴樹が母親を守ろうと抗議していた、その時だった。
玄関の鍵がガチャリと開き、
「ただいまー」
と言う声とともに男性が家に入ってきたのは。
「父さん!」
待ってましたとばかりに、晴樹は玄関へと走った。
「父さん、変な奴らが家にあがりこんで大変なんだよ! 母さんも操られて変なことばかり言って聞いてくれないし!」
なんとかしてくれよとせがむ晴樹の言葉を聞きながら、晴樹の父親・秋世は、晴樹の頭を撫でながら、
「わかった、わかった。父さんが帰ってきたからもう心配ないよ」
と、興奮している晴樹とは対照的に、なぜか平然としていた。
そして秋世がダイニングへ入ると、セイジュと対峙することとなった。
「……」
「……」
秋世もセイジュも、お互い目を合わせたまま何も口にしなかった。ただ、お互いに絶対に目をそらさないでいただけで。
「ねえ、父さん! こいつだよ! 不法侵入者!」
秋世の着ていたスーツをひっぱり、晴樹は訴えた。
だが秋世は、
「わかった。あとは父さんにまかせて。二階にあがっていなさい」
と、見知らぬ者であるセイジュが家にあがりこんでいるのに対して、動揺しているようにも、警察に電話をするそぶりもみせなかった。
父親も操られてしまったのではと、晴樹は心配したが、父親の命令は絶対だ。晴樹は、しぶしぶダイニングを後にすることにした。
「何なんだよ、一体。父さんや母さんになんかしたら、承知しねーからな!」
そう捨て台詞をはいて、晴樹は逃げるようにして自室へと戻った。
晴樹の部屋のドアが閉まったのを確認すると、秋世はようやくセイジュに声をかけた。
「――君は……、セイジュくんだね?」
「……」
秋世の問いかけに、セイジュはあえて答えなかった。
「君とは一度、ちゃんと話さないといけないとは思っていたよ。どこか別の場所へ行こうか?」
「ここでいい」
セイジュはそう言うと、リビングのソファに腰かけた。
秋世もまた、コの字型に配置されている、セイジュの斜め向かいのソファに腰をかけた。
その瞬間、小刻みな揺れがきたかと思うと、パチパチッと空中に静電気のようなものが走った。
「この部屋だけ空間を切り離した、ってワケか。そういえば、そういう妖力、君の得意分野だったね」
秋世が、長い足を組んだ。
「……」
「エマを連れ戻しに来たの? それとも、僕を殺しに?」
「よく言いますね。妖魔人が『人間』に手出しできないことを知っているくせに。どうしたのかはわからないが、今のあなたからは妖力は感じられない。エマの妖力も、あなたが奪ったんでしょう?」
「君の言う通りだよ。エマの妖力は僕が封じた。記憶とともに。当時のエマは、そうでもしないと罪悪感にさいなやまれて、自害してしまいそうで見ていられなかったから」
「あの指輪にですか」
「ああ。あれはエマが唯一、妖魔界から持ち出してきた宝物だからな」
「あなたに一つだけ聞きたい。あの子どもに私のことを話しましたね? それはエマも知っていることですか?」
「晴樹に君のこと? ……ああ、名前の由来は話したかな?」
「そうです。それで、エマは?」
「心配しなくて大丈夫だよ。エマは全く気づいていない。晴樹にも僕と二人だけの、男同士の秘密だと教えたから。エマには、僕があらゆることを教えたけれど、妖魔界については一切触れていない。家族についても。君という、弟がいるということも……。エマには、かわいそうなことをしたのかもしれない。後悔などしていないが、時々、ひどく彼女に申し訳ないことをしたという気持ちにさいなやまれる。唯一の救いは、エマにその記憶が無いこと。だから、僕は今後も決して彼女に真実を話すことはない」
秋世はそう断言すると、じっと見て話していたセイジュの瞳を、改めて見つめ直した。
「セイジュくん。この切り離された空間は、外の世界から完全にシャットアウトされているんだったね?」
「それがどうかしましたか?」
「この空間内であれば証拠は残らない。知っての通り、封印してはあるけれど僕はまだ妖力を持っている。僕を殺すなら、今だよ?」
エマが罪悪感を持っていたように、秋世もエマをさらった罪の意識は捨ててはいなかったようだった。
セイジュは、フッと秋世から目をそらすと、
「いまさら……。元より、そんなつもりはありません。そのつもりなら、あなたの話など聞く前にやっています」
と、秋世になど興味なんてないかのように吐き捨てた。
『セイジュ。一生のお願い。わたしのわがままをきいて。この世界から消えてしまいたいの』
人間界へ逃亡する直前、エマが言った。
それが重罪であることくらい、幼いセイジュにもわかっていた。
でも、このまま妖魔界にいたらいつかエマは自ら命を絶つことで消えようとするだろうという、拭いきれない不安も。
だから、セイジュは黙ってうなずいた。
『いいよ。エマが幸せになれるなら』
「そうだったね。でも、それを聞いて安心しました。これでも僕は子煩悩でね。父親を殺したのは、自分の叔父だなんて晴樹がかわいそうだから」
そう言うと、秋世は親指と人差し指を使って指を鳴らすと、セイジュが造りだした空間を、いとも簡単に元へと戻した。
「君にも悪いことをしたと思っている。だから、君は好きなだけこの家にいるといい」
とだけ言うと、秋世は席を立った。
だが、「君には悪いがエマの記憶だけは戻さないように」と、念を押すのを忘れずに。
誰もいなくなったリビングに一人残されたセイジュは、
「家族のいない俺に、人間の甥か……」
と、呟いた。
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