第13章 鎮静の庭:真実へ②
キノの唇が声なくそうつぶやくと同時に、涼醒がこちらを向いた。闇にキノの姿を
キノは足を速めなかった。涼醒も立ち上がりはしない。徐々に近づく互いの
「浩司は、ラシャとの交信に行ってる。あと20分くらいで終わるはずだ」
キノが扉の下まで来ると、涼醒はそう言って視線を落とした。
「落ち着いたみたいだな」
「うん…」
キノは静かにステップを上がり、涼醒の隣に腰を下ろす。
浩司に伝えることをしっかりと心に抱え、彼が館にいることに
「涼醒、私…」
キノの言葉が、温かい胸に
「今度、追って来るなって言う時は…おまえの知ってる場所で、夜じゃない時にしてくれよ」
抱き
「俺が、すぐ追える男になるまではさ」
緩められた腕の中、キノは閉じた目の奥を熱くする。
自分を小さくするもの、冷たくするもの全てから守られているような安心感。
キノが初めて見た希由香の記憶の夢で知った、これと
「心配かけてごめんね…困らせるようなこと言って…私、浩司のことでいっぱいで、涼醒に…」
「希音…」
涼醒はキノの
「俺に逃げて落ち着くなら、次はもう困らない。俺がそばにいる意味が、おまえにもあるかどうかは…後でゆっくり考えればいいさ。だから、今は浩司のことだけ考えろよ。あの祈りを止めたいなら、次も後もないからな。あいつに言いたいこと、ちゃんとわかったんだろ?」
そう言って微笑む涼醒が
「護りに運命を変える力があるなら…浩司に幸せを選んで欲しい。だから、彼の本当の望みを聞くの」
「そのためにここまで来たんだ。希音の言葉なら、浩司に伝わるさ。おまえには、弱みも見せられるだろうしな。俺が何言っても、あいつ全然…」
言葉を
「奏湖さんが言ってたよ。涼醒の声、廊下まで聞こえたって」
「奏湖に会ったのか?」
「うん。丘の先で…リージェイクと話してたところに来たの」
一瞬、
「冷静になれたのは、そのおかげか」
「…希由香の話をしたの。幸せや望みとか…。あの人、希由香と会ったことがあって、私はその記憶を見てたから…初めて話す気がしなかった。それに…」
「妙な説得力があるよな。ちっとも押しつけないのに、素直にうなずけるようなことを自然に言われるとさ」
少なからず驚いたキノの顔が、すぐに納得の表情に変わる。
「朝、彼に呼び止められなかったら、そのまま話し合いに乱入した?」
「部屋に
「最初はそう思ったよ。いくら死なないってわかってても、涼醒が何かされて…平気で見てられる自信なんかないのに、どうしようって」
キノは、涼醒の左のこめかみを見やる。まだ少し痛々しいその傷が、出血の割に浅くて済んだことにあらためてほっとする。
「…それでも、俺はあの場に行かなけりゃならなかった」
笑っていた涼醒が真顔になる。
「希音と浩司が館にいる。ジャルドと話し合いだが、発動者のところには汐がいる。だから、彼女を傷つけることはない。リージェイクにそう聞いて、護りを奪われる心配は減った。その代わり、話し合いがすぐに終わった時のことを考えたよ」
「私が祈りのことを聞く時には…継承者のことも知るはずだから…?」
「浩司が、護りを見つけるまでは話さない祈りだ。希音が喜ばないものだろうとは思ってたさ。寿命のことがその理由だなんて考えもしなかったけど…全てを話すって言ってたからな。その時には、どうしてもそばにいたかった。結局何もしてやれなかったけど…それでもさ」
「ううん…ありがとう」
キノが微笑んだ。涼醒は、力ない笑みを返し深い息をつく。
「聞いて辛いことでも、知らないで笑ってるのはごめんだ。希音もそうだよな。だから、継承者の寿命のことは…浩司に話すつもりがないなら、俺が話した」
「うん…もし、祈りに関係なくても、護りが発動に間に合わなかったとしても、私がショックを受けるのがわかってても…教えてくれたでしょ?」
「…必ずな」
闇に目を向け、涼醒がつぶやく。
「知ってどうにも出来ないことでも、それが自分にとってどうでもいいことじゃないかぎり、知らなけりゃよかったなんて、俺は思わない。もっと早くに、聞いておかなけりゃならないことだった…」
肩越しの灯りの落とす明るい影の中、キノは涼醒の横顔に
「涼醒…?」
「…知らなかったんだ」
「え…?」
「継承者に寿命があるってことをさ」
深い息とともに吐き出された涼醒の声は、冷たく乾いている。
「希音が家に来た夜、浩司も来ただろ。あの後…初めて湶樹に聞いた」
「そんな…だって…」
「ヴァイではどうか知らないが…イエルでは、多分ほとんどが知っちゃいない。周知の事実にならないように、本人たちは気をつかって隠してるらしい。身近な継承者が、何人も同じ歳で死ねば…気づく奴もいるだろうけどな」
「どうして…?」
「…それを聞く前に、俺は部屋にこもっちまった」
キノは、ラシャへ降りる朝、中空の間の隣室での涼醒を思い出す。
「どうして弟の俺にまで黙ってたかなんて、聞けやしなかったよ。寿命のことがショックだった。リシールをつくったラシャが、必要な継承者の死ぬ時期を決めてる。それが、どうしようもなく頭に来て…言っちまいそうになった。浩司も湶樹も、何でラシャの言いなりになる? 護りを探しても、世界が崩壊するまで生きてるかわからないのにってな。自己嫌悪で…胸が悪くなった」
「崩壊の予言を聞いた頃、湶樹が言ったことを思い出したよ。『リシールに生まれてよかったって思ったことはないけど、もし、私たちのどっちかが継承者に生まれなきゃならなかったとしたら、私でよかった』ってさ。あの時、あいつに聞くべきだったんだ。何を思ってそう言ったのか…そうすりゃ、きっと…」
「涼醒…」
キノは言葉が続かない。けれども、沈黙も続かなかった。
「こんなんじゃ、誰かを守るなんて言えないよな。もっとしっかりしてなけりゃ…心がさ」
「…強くなきゃ、弱いところも見えないじゃない。私の知ってるのは…本当の涼醒でしょ?」
「本音を言えば、情けないところはしまっときたかったけどな。メッキの下を隠すなら、始めからやらなけりゃ手遅れだろ?
「わかってる」
「私…涼醒といると安心出来るの。涼醒だけが、何も私を消したりはしないって思わせてくれる…私を強くしてくれる。世界がなくなる時でも、涼醒が大丈夫だって言ってくれたら、私は怖くないよ」
「いつでも言ってやる。おまえが望む時は、そばにいるよ」
「そばにいて…あなたが望む時も」
視線に繋がれた二人は、互いの
キノが微笑んだ。涼醒は微笑みを返しうなずいた。
「そろそろ、終わる頃だ」
涼醒が館を振り返る。
「浩司は…嘘が上手いよな」
「わかってる」
「大丈夫だ。おまえの気持ちは伝わるよ」
「うん…ありがとう。行ってくるね」
キノはゆっくりと立ち上がり、真黒な木々の頭上に目を走らせた。
さざめく
愛する者たちの切ない思いは、それぞれの選ぶ運命を幸せへと向かわせるものであれと願い、そして、信じているのだから。
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