第13章 鎮静の庭:真実へ①

 密に連立する黒い木立の間を、1メートルほどの幅で緩いカーブを描きながら続く古い石畳いしだたみ。そこを行く者の足元を照らす人工の灯りはなく、キノははやる気をおさえ、かろうじて見える小径こみち輪郭りんかくに沿い慎重に足を進めていた。


 今、何時頃なんだろう…?


 もと来た道を戻ろうとしたキノに、奏湖はこの道を勧めた。ここを抜ければ、3人のいた場所から下の大通りへと向かう私道の分岐まで行くより早く館に着くからと。その時初めて湧いた時間へのあせりが、わずかに湿り気を帯びる石の路を踏みしめるごとに、キノの鼓動こどうを速めていた。


 早く戻らないと…もし、浩司が私を探しに出ちゃったら、話す時間がなくなる。夜明けまであと5時間? 6時間?


 キノは足元に落としていた視線を上げる。木々の幹の間をすきなくめ尽くす夜。丘の草原から館を隠すように茂る黄褐色に染まり始める直前の葉群も、緑をかす陽を浴びぬ今はただ、静かな闇を時折揺らす黒い羽にしか見えない。


 浩司…待っててね。


 真っ暗な視界に小径こみちの先を見据え、キノはゆっくりと、けれども、しっかりとした歩を進めていく。


 キノの心を覆っていた、死と運命、幸せと悲しみ、そして、願いとあきらめのからもつれ合う深いきりは、リージェイクと話すことによって晴らされていた。


 もう迷ってなんかいない。浩司のあの祈りには反対する。それから、彼の本当の心を聞く。彼の、本当の望みを…。


 幸せを求めない生き方をいられてきた浩司にとって、心を閉じ込めておくことは必要だったのだろう。けれども、今この時にその必要はない。


 命をして手に入れた護りの力でシェラの呪いをくことを選べぬほど、押し殺し続けた切望が浩司自身に見つけられないところまで深く沈んでしまったのならば、それを見つけるのは自分であると、キノは確信している。

 彼が自らの幸せを願うことをためらうならば、その背を押すのは自分だと。

 彼の心が複雑に施錠せじょうされているのなら、それをき放つ鍵は自分であると。


 遠くから、しかもこの暗がりでは行き止まりにしか見えなかった道を直角に曲がると、キノの視界がわずかに明るさを増した。前方に開かれた空間に向かい、キノは残り10メートル足らずの石畳をけ出した。


 小径こみちを抜けたキノの前、木立からおよそ30メートル離れておごそかにそびえ立つリシールの館。その黒い壁に規則正しく並ぶ窓の多くからは、かすかな灯りがれている。


 表の扉は、この反対側のはず…。


 短く刈り込まれた芝地を右手に向かって横切り、キノは館の東側へと回った。南側と違い、小径こみちほどしかない壁と木立の間を進んでいく。


 無意識に壁に触れながら来ていた指先が突然その石の手触りを失い、キノははたと足を止めた。


 この隙間すきま…。


 キノは壁を縦に走る細い空洞を見つめる。その奥は暗く深く、先に何があるのか、どこに続くのか見えはしない。

 キノは視線を逆方向へと向けた。館をぐるりと囲む木々たちの枝が、1メートルほどの幅の空中くうちゅう回廊かいろうを作るように切り取られている。真直ぐ、東に向かって。そして、そこから見える低い空には、昨夜よりも輝きの面を減らした下弦かげんの月が、真夜中の星を追い始めている。


 朝陽は、ここから…。


 中空の間へと続く壁の隙間すきまは、キノにイエルでの出発の時を思い出させた。


 あの時の浩司と湶樹ちゃんの会話…『後のこと』は、私と護りのこと。彼女は知ってたんだ。世界の崩壊を防ぐには、まだこれで終わらないこと、そして…。


 キノは、白い月の残像をまぶたの裏に目を閉じる。


 浩司は、それを見届けられないかもしれないってこと。だから…ただの別れの言葉じゃなくて、いろんな意味を込めてさようならって言ったんだ…。


 深く吸い込んだ息を一気に吐き出し、キノは開けた目を空からがした。ゆっくりと角を曲がり、視界の中に扉を探す。


 扉のわきに、小さなランプが灯されている。暖かい火の明りは扉前のレンガ張りのスペースをぼんやりと照らし出し、深い夜のそこだけが、まるでスポットライトを浴びたように浮かび上がっている。

 地から一段高い扉への短いステップ。そこに腰掛けて森を下る私道を見ている者が誰か、ランプの灯りに頼らずとも、闇に慣れたキノの目は容易よういに認識出来た。


 涼醒…。

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