第13章 鎮静の庭:本当の心は①

「あの時会ったのは…」


 自分が来ることを知り、待っていたかのようなリージェイクを見つめながら、キノは呼吸を整える。


「希由香よ」


「わかっています」


 リージェイクが目をせる。


「護りの発動者が彼女だと、昨夜初めて知りました」


「私も…希由香が話した見知らぬ男が、リシールの継承者だったなんて…。館の庭なんだもん。考えたら、別におかしくはないんだけど、ただ…いろんなことが、いろんなところで繋がってる気がして、自分の心さえも…」


 今の気持ちを上手く表現する言葉が見つからず、キノは軽く頭を振った。


「自分だけがいる心は、どこよりも寒くて寂しいものです。自分しかいない世界なら、生きていても死んでいても変わりはないでしょう?」


 リージェイクの視線がキノへと戻る。そのは見る者を惹きつけ、心を見透みすかす強さを持ちながらも、心身の緊張をきたすものではない。決してとらばくすることなく、柔らかく包み込むような温かい眼差まなざし。


「座りませんか? 私を、あなたの心の話し相手に。継承者のリージェイクではなく、希由香さんの出会った…名も知らぬ一時ひとときの友人として」


 この人の雰囲気は、浩司やジャルドの持つ鋭いものとは違う…リシール独特の静かな落ち着きは同じなのに、どっちかって言うとシキに似てる…あの紅いひとみに見える冷たい強さはないけど、全てを受け入れて認めてゆるすような…。


 キノは、かつて希由香が感じたのと同じ不思議な衝動しょうどうられた。彼と話したい、話さなければと。


「あなたは…館にいなくていいの?」


 リージェイクの横に腰を下ろし、キノがたずねる。


「今、皆が集まってるんでしょ? 汐さんに呼ばれて浩司も…」


「私が集会に出ないのはいつものことです。特に今回は…ジャルドが皆に謝罪するために開かれている会です。それだけでは済まないかもしれませんが…」


 見えない地平線の彼方を見やるリージェイクの眉間に、苦痛のしわかすかに刻まれる。


「思うように行動した彼に、後悔はないでしょう。むしろ、本来の自分に戻ることが出来てほっとしているはずです。私にはわかる。そして、願っています。その代償が…彼を苦しめなければいいと」


「今朝の話し合いにあなたがいなかったら、どうなってたんだろう…護りも、ジャルドも…」


「自分の思いや行動が、かかわる者たちの運命を複雑にする。どの道を行くか、選ぶのは彼ら自身だとわかっていても、後で考えてしまう。『これでよかったのか』…と。過去は変えられないのだから、別の今もあり得ない。行き着く先は同じでも、辿たどる道が違えば、そこにかかわる者たちもまた変わる。そんな運命の仕組みが、怖いですか?」


「うん…だけど…誰とのかかわりもなかったら、悲しいことがない代わりに嬉しいこともなくて、誰にも傷つけられないけど、誰かを思いもしない。『自分しかいない世界』って、そういうことでしょ?」


 ひとり言のようにそうつぶやくと、キノはリージェイクの横顔から、その目が見ている光の群れへと視線を移した。


「誰の何の影響も受けないで、自分ひとりで進んでいく未来の方が怖いな…」


「誰もいない一本道を行くほど、孤独でむなしいものはない。少なくても、心はそれを望まないでしょう」


「…誰かに会うことで、道がいくつもに別れても…選ぶのは自分だもんね」


 草の葉をなびかせる風が心地よく二人の頬を撫で、しばし訪れた沈黙はそれぞれの心の縁を穏やかに流れた。


「今朝、あなたたちが館に着いてすぐ、森から現れた涼醒君を見かけました。私は、真直ぐに館へ向かおうとする彼を引き止めた。今は行かない方がいいと」


 キノはリージェイクを見た。


「涼醒は…あなたが連れて来たんじゃないのね」


「彼は、私道や大通りを見張っていた者たちが忽然こつぜんと姿を消したので、あなたがつかまったと思ったそうです。私は状況を説明した。確かにあなたは館内にいるが、浩司も一緒だと。だから、護りはともかく、あなたの身は安全なはず…涼醒君があの場に行けば、かえって話し合いはややこしくなる」


「でも、涼醒は来た。あなたも…」


「私は、ジャルドと浩司の話し合いに加わる気はなかった。けれども、涼醒君をつかまえたという役を引き受け…結果は知っての通りです」


 リージェイクは、前方に向けた視線をわずかに上げた。彼方の明りより更に遠くを見つめるあおひとみは、あの夏の日にあった切なさのかげは薄れ、より静けさを増したように見える。


「傷は、大丈夫?」


 ひざの間で軽く組まれたリージェイクのこぶし。その左手に巻かれた白い包帯が、薄闇に目立つ。心配気なキノの声に、リージェイクのはその焦点を現実へと戻し、キノをとらえ微笑んだ。


身体からだの傷なら、えるのは早い」


「…ありがとう」


 キノは、真剣な眼差まなざしでリージェイクを見つめる。


「もし、涼醒を連れて来たのがあなたじゃなかったら、浩司を止める人はいなかった。護りを守るために、誰かが傷つくのをけられなかったと思う。それに…あなたがああ言わなかったら、きっとジャルドも、本心をしまい込んだままずっと…」


「心の葛藤かっとうは、どんな形にしろいずれ終わる時が来る。今朝まで、私はジャルドがどこまで続けるか見届けるだけのつもりでした。護りには護りの、ジャルドには彼の信じる使命があり、運命がある」


 リージェイクが、かすかに溜息ためいきをついた。


「誰かの思いや何かのタイミングが少しでもずれていたなら、違う今があったでしょう。涼醒君は、話し合いに自分がいては不利になると知っていた。それでも、どうしても行かなければと言う彼の話を聞いて、私は一緒にあの場へ…。『いろいろなことが重なる』それは、ほんの偶然の積み重ねだと思いますか?」


「『偶然はない。全てのことは必然』そう教えてくれた人がいるの。今は、その意味がよくわかる…」


「他人の未来を変えてしまうのではなく、変わるために自分が必要だった。後でそう思えるように、後悔するとわかってることはしない。私たちに出来るのはそのくらいだと思う時があります。そうでなければ、運命を呪い、破滅はめつせられるようになる」


「あなたも…?」


 キノの問いに答える前に、リージェイクは一旦いったん目をせた。


「自分を傷つけたいと、積極的に望んだことがあります。けれども…」


 キノへと戻されたリージェイクのに、かつて飲み込まれた闇の名残なごりがよぎる。


「そんなことをしても得るものはなく、心の空洞くうどうが多くなる。そして、どこにも逃げ場はないのだとわかった時…望むでも願うでもなく、ただ思いました。今この瞬間に、世界が消えても構わない、と」


「…今のあなたは、そう思ってないでしょ?」


 言葉以上の問いかけを含むキノのを見据え、リージェイクはゆっくりとうなずいた。


「私を救ったのは、愛する者の存在です。けれども、彼女にとって自分の存在は無価値だと、自分の思いは無駄なものだという苛立いらだちと痛みからは逃れられずにいた。空虚くうきょな心をめるのは、誰かへの思い。愛する者のいる世界なら、生きる価値がある。そして、その意味を見出すのは自分です。私にはそれがわからなかった。教えてくれたのは…3年前にここで会った、見知らぬ女性です」


 開いた唇から一呼吸遅れて、キノの声が丘を吹き抜ける風に乗る。


「希由香…?」



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