第11章 守るべきもの、切望するもの:もうひとりの継承者②

「詳しいことはラシャの者に聞け。俺が知るのは、リシールが繁栄を願ったことが、ラシャがクリムの時を止めた元々の原因だということと、同じ道を歩むなら、ヴァイは確実にほろびるということだけだ」


 涼醒と奏湖が息を飲んだ。ジャルドは浩司に向けた目を動かさず、リージェイクは静かなひとみでテーブルの4人を見ている。キノには話がよく飲み込めない。


 クリム…? 時を止められた三つ目の世界? そう言えば、夢で…聞いたことがある…大切なことだった…浩司にすぐ知らせるつもりだったのに、ほかのことで頭がいっぱいで…。


 5日前の朝に見た夢。その記憶を呼び覚まそうとするキノの思考を、奏湖の声が現実へと引き戻す。


「そんなの昔の予言じゃない。あなたが事実を言ってるかどうかもわからないわ。確かめるのは後でも間に合う。だけど、護りは今を逃したら、次じゃ遅いのよ」


「奏湖の言う通りだな。一族の繁栄を願うかどうかは後でゆっくり話し合えるからね。今は、護りのことだけに焦点を絞ろう」


 ジャルドが浩司に笑いかける。


「私を納得させるには、弱い手だったね。今すぐ護りを渡すか…それとも、その気になるようなことをしてほしいかな? せっかくだから、涼醒君の血でも見せようか。希音さんが浩司に頼み込むように」


「やるなら、派手にやればいいさ。致命傷を与えそうになれば、こいつは意識を失うんだからな」


 口を開きかけたキノの手を、浩司がつかむ。


「どんなことをしてでも、キノの守りたいものは守る。護りも渡さない。そう言ったはずだ。俺に、もう手がないとでも思ってるのか?」


「奥の手でもあるなら、早く出してもらおうか。こっちには紫野希由香もいることを忘れずにね」


 ジャルドが携帯電話を取り出した。

 キノは涼醒を見つめていた。視線の先で、涼醒が何か言っている。声には出さず、唇の動きで、キノに何かを伝えようとしている。


 『だ、い、じょう、ぶ』? 大丈夫、そう言ってるの…? でも…。


 涼醒が、かすかにあごでリージェイクを示す。リージェイクは、相変わらず静かに成り行きを見守っているだけだった。


「リージェイク! 涼醒君がしちになるかどうか、試してやってよ」


「…私に、彼を傷つける気はない。そんなことをしても、浩司たちは護りを渡さない。私たちが繁栄を選べばその未来がどうなるか…君にも本当はわかっているはずだ。私に出来るのは、彼をこの場にとどめておくことだけ…無駄な血を流す必要はない」


 ジャルドに答えるリージェイクの声は、浩司のそれ同様に、感情を交えない穏やかなものだった。


「何を…そうか、それが…」


 ジャルドのつぶやきを、奏湖がさえぎる。


「リージェイクが役に立たないのは、今にかぎったことじゃないわ。お姉ちゃんに電話を繋げて。実際に紫野希由香の顔に傷でもつければ簡単に済むことよ。二人とも、すぐに気が変わるわ」


「待って!」


 横を向いていたキノが正面に視線を戻す。その左手をつかんでいる浩司の手が、指の力を強める。


「護りを渡す気になったのかな」


 ジャルドが携帯の通話ボタンに伸ばしかけた指を止める。


「キノ。こっちのしちが何か教えてやれ」


 浩司がささやく。キノは浩司を見る。


「早くしろ」


 浩司のを見つめたまま、キノは右手をポケットに入れた。ジャルドと奏湖、そして、涼醒とリージェイクが、キノの手元に視線を向ける。


「護りはもう姿を現している時間だから、持っているフリは通用しないよ。それに、贋物にせものもね」


 キノはジャルドへと視線を移す。


「どうしても、あきらめる気はないの?」


あきらめる必要が、今はない」


「そう…これでも?」


 キノの手に握られたものを見て、奏湖が椅子を倒した。


「希音…何を…」


 涼醒が当惑の声を上げる。自分をかばうように身をかたむける奏湖をせいし、ジャルドが両手を上げる。


降参こうさん…と言ってあげたいところだけどね。そこから的確に私をねらう腕があるようには見えないな」


ねらうのはあなたじゃないよ」


 開いたナイフの刃先を浩司へと向け、キノが微笑む。それは多大な精神力を要する笑みであることを、知っているのは浩司だけだったろう。


「希由香に指一本でも触れるなら…その前にあなたたちの必要な継承者の命を危険にさらすから。浩司は、一族の繁栄なんか絶対に願わない。そう言ったけど…いつまでも続く絶対は、少ししかない。未来はまだ決まってないよ。可能性のひとつを今なくしてもいいの? ナイフなんて馴染なじみはないけど、浩司が望む通りに動かすことくらいは出来る。護りはあきらめて…明日の夜明けまで大人しくしててくれる?」


 ジャルドが声を上げて笑い出す。


「何を言うかと思えば…出来そうもないことに、おどしの威力いりょくはないんだよ。私たちなら、目的のために紫野希由香や涼醒君を傷つけることにためらいはないけど、あなたに浩司を切ったり刺したり出来るわけが…」


「そう思うか?」


 ナイフを握るキノの手に、浩司が自分の手を重ねる。


「キノが持ってるかぎり、そして、俺が意識をよそに向けていれば、刺すのは俺じゃなくキノだからな。キノには無理でも、俺には出来る」


「…そうかな。リシールがリシールを殺せないのは、ラシャによる制約のひとつだ。あなたの考えが間違っていたら、この状況で意識を失うことになるんだよ」


 ジャルドの声に、確たる自信はうかがえない。


「試してみるか?」


 浩司がナイフの切先をシャツの胸元にあてる。キノの指先の震えは、浩司の手の平に吸い込まれ、当人たち以外の目に気づかれることはない。


「何を失えばほかを守れるか、はなから承知でここにいる。俺の守りたいものの中に、自分の命は入っていない。館にいる者たちに手出ししないよう言い聞かせ、おまえたち継承者は眠っていてもらおうか」


 余裕の消えたジャルドのひとみが、何かをはかるように浩司を射抜く。


「あなたが今死んだら、この二人も紫野希由香も守れないよ」


「そうだな。俺も今すぐくたばるつもりはない。だが…奏湖とやらが言ってたな。命のあるかぎり、人質には価値があると」


「…本気なのか?」


「おまえも、自分の望みのために命を惜しまず繁栄を願う気でいるんだ。そのくらいわからない男じゃないだろう?」


 浩司が続き部屋のドアに目をやる。


「まずは、あそこにいる者たちを呼べ」


「断ると言ったら?」


 ナイフを持つキノの手を、浩司がしっかりと握り直す。


「もう一度だけ言う。汐たちをここに呼べ」


 張りめ、わずかなひびで一瞬に崩れ落ちそうな緊迫した空間に、誰もが息を殺している。


 圧迫する沈黙に、キノが叫び出しそうになった瞬間、浩司がキノに微笑んだ。


「辛い役目をさせてすまないな。だが、話してもらちが明かないなら…仕方ない」


 浩司の手が、素早く前方へと伸ばされた。ナイフの切先が、キノにはあらがえない強い力で浩司へと向かう。


「やめて…!」


「浩司! キノにそんなことさせるな!」


 キノの叫び声に、涼醒のそれが重なる。浩司の手元を凝視ぎょうしするジャルドと奏湖が、声もなく口を開く。


 視界をよぎったナイフが肉にはばまれ止まる前に、キノは目を閉じた。まぶたの裏が、照明の灯りを浴びてあかく染まっている。指先が濡れて行くのを感じる。


 体内から流れ出る液体はどれもが熱いものであることを、キノは思い出した。

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