第4章 闇の瞳を持つ男:もうひとつの夢

 キノは、死んだように眠る浩司を見つめている。彼が運命に強要された悲しみも、苦しみも、そして、助けを求める哀願も、目を閉じたその顔から見受けられはしない。


 夢の中で初めてこの寝顔を見た時から、そんなに経ってないのに…すごく遠くに来ちゃった気がする。私は、どこに向かってるんだろう。何かがそこで呼んでる。私を待ってる気がする…。


 キノは固く目をつぶる。


 希由香は、浩司を救いたかった。愛をあげたかった。浩司の幸せを願った。でも、自分にそれが出来ないと知って…何を思ったの? 


 キノは目を開き、天井の灯りを凝視凝視する。オレンジ色の、暖かい色をした光。その向こうに、闇の色をした一対の光を見る。キノの心に焼きついた、浩司のひとみ


 希由香の願い、それはあるんだろう…彼女の心に。そして、私の願いも。もし、私の魂が希由香と同じじゃなかったとしても、私自身が願ってる。浩司を…幸せにしたい。でも、それは私の手でじゃなくて…。


 静かに息を吐き、キノは目を閉じる。


 きっと浩司は…希由香を愛してる。それが彼女を手放した、本当の理由。寂しさをまぎらわせるため、刹那せつなのぬくもりとにせの安らぎを得るために、現実からの避難所シェルター代わりに女とセックス出来る男が、たとえ、もしせがんだとしても、私には決してその気にならない。ほかの女たちと私を《へだ》隔てるのは、私が希由香と同じ魂を持つ者だから。そして、それが意味するのは、浩司にとって希由香は特別な存在だということ…そうでしょ? 


 キノの意識が、徐々に遠のいて行く。


 力の護りを見つけたい。私に出来るなら、浩司が望むなら…世界を壊すほどの力があるとしても、その力が…世界を救えるものでもあるのなら…そして、二人を救えるのなら…。


 キノの受け入れたその使命はみずかららの意思となり、そして、今、自分自身の願いとなる。

 キノは運命のいざないを、わなから案内人へと転化させ、呼び声を聞き求め落ちて行く。眠れる意識の、奥深いところへと。




      ☆☆☆


 キノはとても静かな空間にいた。静謐せいひつな空気を、二つの声が揺らす。


「継承者の同意を得ずに彼らを消す力が、今のラシャにはある。彼らがそれを知ることとなるこの発動は、リシールとラシャとの間に決定的な亀裂きれつを生じさせる」


「それは承知の上での決定だ」


「9の継承者の出現は必然のひとつ。リシール存続の危機に、その力を必要とする時に、そして、リシールとラシャへの警告として。今回の出現は、ことわりに反し、持つべきではない力を持ったラシャへの警告…あの予言も同じ。試されているのは私たちです。リシールの予言を信用するラシャが、彼ら自身をも信用しているか否かを」


「しかし、ヴァイのリシールがクリムと同じ決断をする危険があるのならば、事前にそれを取り除かねばなるまい。あえてその危険をおかすというおまえの意見に賛成は出来ん。もっとも、キムリの意見にも皆反対したが…」


「この先、ヴァイのリシールは二度とラシャを信用しなくなり得る。その危険をおかすのはやむをえないと?」


「どちらかを選ばねばならぬのであれば、払う犠牲の少ない方を…それが定石じょうせきだ。リシールの魂が己の使命を忘れることはない。私はそう信じている。ただし、彼らの心は、弱さも愚かさも許容し得る人なのだ」


「それでも、私は…やはり、どうしても、この決定には反対です」


「…ラシャの者の意見が合わぬことは滅多にない。無論、皆無かいむではないが、異なる意見を最後まで貫く者はいなかった。私欲なく、利己心を持たず、自己の欲求はほとんど起きぬゆえにな。これは、人とは別種の我らの特徴のひとつと言えよう」


「私は異端者いたんしゃですか? かつても今も。 」


「おまえが、再び運命に打たれるくさびに自ら望んでなる覚悟だと言うのであれば…その正否を決めるのは私ではない」


「これから私がすることを、あなたは止めないと?」


「ラシャの力は互いを抑えられるものとは思えん。そして、命ではなく力としての存在の我らが個の思考や意思を持つのは、この力をし人を救うために必要だからであろう」


「…私は、クリムの破壊の時まで、あの力のみをラシャから失くすつもりです。力の護りから分離させ、封印し、イエルに放出する。私の最後の力をそれに残し、2000年を過ぎる頃にふうを解きます」


「無の空間内でしか、護りに手を加えることは出来ん」


「はい」


「…成し得る自信はあるのか?」


「なければ行いません」


「分離した護りに最後の力を残せずにおまえが消滅した場合、封をしたあの力をラシャに戻すことは困難になるぞ」


「大丈夫です。たとえ今一時見失ったとしても、真に必要な時、ラシャの力は必ずラシャへと戻る。それが必然というもの。戻らぬ場合は、使うべきではないということです。そして、ライ…真に必要な時には、あなたは私を止められる」


「そうであろうな。だが、止めはせん。その代わり、祈りの呪文を教えよう。不測の事態に備えてな」


「わかりました。護り本体は、道が通じている時に引き戻すよう、シキに言いおいてあります」


「祈りの間にいる彼も、おまえを止めなかったか」


「はい」


「カイラよ、ヴァイにクリムと同じ…」


      ☆☆☆





 カイラ…?


 目覚まし時計のアラーム音で飛び起きたキノは、放心したようにスウィッチを切った。まだ覚めきらない頭を、夢の残響ざんきょうが舞う。


 カイラ…どこかで聞いた名前…それに、耳からじゃなく頭に直接聞こえるような、胸に響くあの声も。いつ、どこで聞いたんだろう…それも夢の中? クリムっていうのが何のことかわからないけど、ヴァイのリシールがどうのって言ってた。そして、カイラと呼ばれる男と彼がライって呼んだもうひとりの男が話してたあの内容、あれは間違いなく…。


 キノは時計に目をやった。8時30分。昨夜の出来事が瞬時によみがえり、キノはベッドを振り返る。浩司の姿はない。


 浩司は?


 キノはあわてて部屋のドアを開けた。コーヒーの香り漂うキッチンに、いくらか顔色の良くなった浩司を見てほっとする。


「おはよう…もう大丈夫?」


「ああ。昨夜ゆうべは、迷惑かけたな」


「ううん。よく眠れた?」


「朝まで寝たのは久しぶりだ」


 浩司が、湯気の立ちのぼるカップをキノに手渡した。二人は椅子に腰掛ける。


「ありがとう。ここに来る前から、あんまり眠ってなかったの?」


「それもあるが…ほとんどは、継承者の力のせいだ。本来なら、覚醒してすぐに使うのはまずいらしい。完全にコントロール出来るようになるまで、この力は持つ者にとって危険だと言われた。だが、俺にはそう悠長に待ってる暇はない。その者の運次第というなら、俺はこのかけには勝てたらしいな」


「大丈夫なの?」


「今こうしていられるってことは平気だろう。力にやられるなら、最初に使った時点でとっくに倒れてるはずだしな。今まで縁がなかったが、たまには幸運も悪くない」


「希由香に会ったことは?」


「…あいつにとっては運が悪い」


「浩司にとっては?」


 キノのに、浩司の視線が突き刺さる。


「誰かを不幸にしたら、そうした張本人が一番後悔する。俺は自分の存在が、何のプラスにならなくてもいい。だが、マイナスになるのだけはごめんだ」


「希由香は…浩司と会えて幸せだよ」


 浩司のに暗い怒りが灯る。


「今でもそうだと思うのか? おまえが全てを知った時に、まだそう思えるなら言え」


「…でも、浩司だってわかってるんでしょう? 希由香は今でも愛してるよ。そこまで思える相手に出会ったのが、不幸なわけないじゃない。どうして…」


 キノの言葉を浩司がさえぎる。


「わからないか? だから、不幸なんだ。何があろうと思い続けるほどの相手に…俺くらい不適格な男はいないだろう。もし、始めからこうなるとわかってたら、俺は希由香の前に現れたりはしなかった…絶対にな」


「必然だったって…言わないんだね」


 そう呟くキノのひとみから、浩司は一瞬目を逸らした。再びキノを見つめるそのには、闇だけが残っている。


「必然…か。結果がどうであれ、起きたことは運命と思わなけりゃやっていけない。摂理せつりあらがう力は俺にない。嫌というほど、身に染みてるのにな」


「結果を判断するのは希由香自身よ。私は、幸せだって信じてる」


「…これだけの材料を突きつけられてもまだ足らないのか。おまえは…この先もずっと俺を愛し続けることが、あいつにとって幸せだと思うのか。それが報われないと知ってても?」


 キノが悲痛な面持ちで黙り込む。浩司は溜息ためいきをついた。


「悪かった…そう気に病むな。女は笑ってる方がいい。おまえも、涙に弱い男より笑顔を見たがる男の方がいいだろう」


 素直にうなずき、キノは時計を見やる。


「もう行かなきゃ。浩司はちゃんと休んでてね。今夜帰って来たら、記憶思い出すの出来そう? あと2日経ってもわからなかったらどうしよう…」


「心配しなくていい。まだ5日ある」


「え? だって、ここにいるのは6日間って言ってたじゃない。もう5日目よ。でも、護りの発動は10日までだっけ…」


 急いで支度を調えキッチンへと戻ったキノに、浩司が告げる。


「キノ、言っておくことがある。おまえはあさってから4日間、急病で欠勤だからな。やっておかなけりゃならない仕事は、明日までに終わらせておけ」


「あさってとその次は休みだけど…どういうこと?」


「俺は、8日の夜明けにラシャに降りる。それから10日の当日、ヴァイにな」


 浩司は真剣な眼差しをキノに向けた。見返すそのが、驚きの色に染まる。


「もしかして…」


「そうだ。おまえも一緒に連れて行く」

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