第4章 闇の瞳を持つ男:闇の正体②

 キノが目を伏せる。


「泣くなよ」


「…わかってる」

 キノは鼻をすすり、深呼吸をした。ゆっくりと視線を上げ、浩司を見る。

 その顔は笑っていた。そして、同時に泣いているようにも見えた。これほど悲しい笑顔を、キノは見たことがなかった。


「お袋の遺書は、遺書と言っても親父が死ぬ前に書かれた、シェラの呪いについてわかりやすくまとめてあるだけのものだった。たぶん、俺に話す時のためにだろう」


「ほかのものと、内容は同じ?」


「大部分はそうだ。だが、俺が初めて知る事実もあった。シェラの遺書から破り取られたらしい2枚の紙とお袋のメモ、そこに書かれていたのは、リシールのやかたと継承者についてだった」


「館…?」


「生まれた子供がリシールで、更に、その者に継承者の印が刻まれていた場合、直ちにリシールの館を訪れるようにとな。だが、半信半疑だったお袋は、すぐに俺をそこに連れて行きはしなかった。いずれ、そうするつもりだったのかもしれないが」


「お母さんは、浩司が継承者だってわかってたの?」


「リシールの継承者であるということがどういう意味を持つのかは、知らなかっただろう。ただ、遺書に書かれたその印が俺にあることは知っていた」


 キノが問うような眼差まなざしを向けると、浩司はテーブルに身を乗り出し頭を横にかたむけ、髪をき上げた。


「見えるか?」


 キノは浩司の示す場所に目をらす。

 髪に隠された頭皮。左耳の後ろ、うなじより少し上のところに紫色のあざがある。細い線が数本。ただの古い傷跡きずあとに見えないこともない。けれども、これが何を意味するのか、キノは見知っている。


「IX…9?」


「知ってるのか?」


 一瞬、小さくうなずくキノのうかがうように見つめ、浩司は椅子に座り直した。


「お袋のメモを読んですぐに、俺はその館に行った。書かれた場所のひとつは俺が今住んでる街の、よく行くところの近くだったからな」


「ほかのリシールに会えたのね」


「…奴らだけじゃない」


「え?」


「俺が訪ねた時、そこには大勢のリシールが集まりざわめき立っていた。俺がラシャも一族も知らないリシールだとわかると、応接室に通され、しばらく待つように言われた。ドアの外では、いくつもの足音が行ったり来たりしてる。だが、いくら待っても誰も来ない。俺は廊下を通りかかった奴に、いった何があったのかと聞いた。そいつは、俺が遠くから今着いたばかりの一族の一人だと思ったんだろう。急ぎ足で歩きながら、その時の状況を説明してくれた」


 キノは、浩司の険しいを見つめる。


「奴らはラシャの要請で、力の護りを発動した者を探し出した。護りの在処を聞き出そうとしたが失敗し、その者の意識を奪っちまった。そして、継承者がそれを戻そうとしていた。充分な時間をおけば、意識を戻すのは簡単で何の危険もない。だが、その時点ではまだダメージが大きく、もしうまく行かなければ、その者の記憶が壊れちまう。それを承知でやろうとしてるところだった。発動の終了が近い。それまでに、何としても護りを見つけたかったんだろう」


 浩司が軽く頭を振る。


「俺はその時、奴の言う『その者』が誰か、まだ知らなかった。廊下を何度も曲がり館の奥にある部屋に辿たどり着くと、30人余りのリシールたちが取り囲むその中央に、継承者らしき女がいた。そして、ベッドに横たえられた女がもうひとり…」


「それが…」


「希由香だ」


 静寂が、二人を包む。緊迫する沈黙ではない。その空気は浩司の悲しみと、そして、静かな怒りを含んでいた。


「俺は人ごみをき分け、その女に近づいて行った。不審に思うまわりの奴らに押さえ込まれたが、何とか女の腕をつかんだ。女は驚いたように俺を見て『継承者か?』と聞いた。そこにいた全ての者が息を飲み、一斉に俺を見るのがわかった」


 浩司の手が、あざのある辺りを無意識に撫でる。


「わけのわからないまま、そうだと言う俺をしばらく見つめ、継承者の女は…せきというが、ほかの者全員を部屋から出した。そして、一晩中、せきから話を聞いた。俺が知らずに生きて来たラシャのこと、一族のこと、継承者とは何なのか、力の護りとは、そして、それを発動したのが希由香だということを知った」


「希由香に…何をしたの?」


 浩司のひとみかすかな光を帯びる。


「2年半かけてようやく探し出した発動者は、護りについて全く自覚していない。突然の来訪者が世界やラシャの何をとなえても、理解しる人間は少ないだろう。たとえ、希由香じゃなくてもな。見知らぬ者の突飛とっぴな話を信じられるわけがない」


 浩司がテーブルにひじを突く。宙を見つめるそのには、暗い怒りがあった。キノにはそれが見える。仄黒ほのぐろく揺れる、冷たい炎。


「時間のない奴らは、強硬手段に出た。希由香を館に連れて来て、あいつの記憶にあるはずの、護りらしきものの在処ありかを聞き出そうとしたんだ。せきの力を使ってな」


「…コウがしたみたいに?」


「そうだ。ただし、希由香の同意なしにだ。護り自体を認識していないあいつの、発動のあった日の行動を思い出させ、話させようとした。それ以外、それ以上の手がかりはないからな」


「でも…」


「失敗だった。せきが言うには、あの日どこで何をしていたかを聞いた瞬間、希由香の全精神力、全神経が彼女の接触を拒み、自分で思考を閉ざしたらしい。ありったけの力で、心を防御するようにな」


 浩司の拳がテーブルを打つ。


「希由香が守ろうとしたのは、愛する者への思い、そして、その者に関する記憶だとせきは言った。それを感じたと。つまり…この俺だ」


 目を閉じ額にしわを刻む浩司を見て、キノは知った。その怒りの矛先ほこさきはリシールとラシャだけではなく、自分自身へも向けられているものであると。


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