第147話 ガビィの本音?①
別の店員が合言葉を受けて、玄関を開けた。
「あれ? ガブリエルに、お姫様も」
扉から入ってきたのは、鮮やかな色に染まった衣装の、セレンだった。オレンジ色の長い髪を、パンダの顔の大きな髪飾りでまとめている。異国を旅する春の民は、普段着まで無国籍なのだった。
「セレンさん!? どうしてここに」
「そりゃあこっちの台詞だよ。なに? デート? クーデター?」
セレンは肩に提げたギターを構えて、からかうように陽気に鳴らした。
ガビィの性格と、竜の巣の文化的に、デートはありえないなぁと、ヒメは苦笑した。
「セレンさんは、なにしに?」
「エメロの吟遊詩人に、春の民に伝わる
次々と店内に入ってくる、エメロ人の吟遊詩人。ウクレレ、バイオリン、竪琴、弦楽器が多い中、ボンゴや、カスタネットを持参している者も。
セレンが、打楽器かぁどうアレンジして教えようかな、と呟いたのが、ヒメとガビィに聞こえてしまい、二人の視線に気づいたセレンが頭をかいた。
「おかしいなぁ、今日は俺ら詩人たちの貸し切りのはずなのにさ。いや、いいんだよ、ゆっくりしてってな」
仲間たちの集まる席へと、セレンも移動してゆく。
貸し切りと聞いて、ガビィが眠そうな垂れ目を見開いていた。
「へい、お待ち。ナッツクッキーと、鳥の雑炊だよ」
大きなお盆に載せた料理をテーブルに並べる店長の胸ぐらを、ガビィは掴んで引き寄せた。
「おい店長、今日が忙しいんなら俺を入れるな」
「ガハハ! そんな胸のでけえ
店長の片目がヒメへと向いた。
「大きくなったな、お姫様」
「あ、はい、ありがとうございます……」
変装眼鏡を掛けているのに言い当てられて、ヒメは呆然と返事していた。
伸びた胸ぐらをそのままに、厨房へと去ってゆく店長の大きな背中を見送りながら、ヒメは小首を傾げた。
「以前どこかで会ったのかな。私は、覚えてないんだけど……」
店長は姫が一緒にいることに緊急性を見出して、店に入れてくれたようだが、ガビィはヒメにこの店の紹介をするために連れてきただけで、そこまでしてもらうほどの用事ではなかったから、ただただ気まずいだけとなった。
(そう言えば、部下の一人が、この店の予定を仕入れていたっけな)
しばらくはこの店に寄れないほど多忙となるだろうから、ガビィはあまり真剣に取り合っていなかった。今日この店が、吟遊詩人たちに貸し切られるなんて、すっかり記憶から抜けていた。
雑炊とナッツクッキーは、お酒のつまみにちょうど良いしょっぱさで、早食いが常識の竜の巣二人は、味の感想を言い合うでもなく、器はすでにカラだった。
楽器の演奏の練習が始まった。まずはチューニングから遠慮なく大音量で、ガビィとヒメは、テーブルで振動するコップの水面を眺めていた。
「十六年前、俺たちは姫を城から誘拐し、この店で一息ついていた」
「ん? マリーベル姫のこと?」
「……そうだ。あの時の俺たちは、親父に言われるまま動いていた。そのせいで今、取り返しのつかない事態に陥っている」
「この場所から、いろんなことが始まったんだね」
ヒメは本物のマリーベル姫に、巣の中で会ったのかもと思った。
(でもうちの王様に食べられちゃったんだよね……ひどいことするなぁ、今更だけど)
ふと、ガビィがヒメのいる方角を凝視。ヒメは、どうしたのかと振り向いてみる。
(あ、窓だ。ガビィさんは、ここから見える景色を、眺めていたのか)
窓は、そんなに大きくない。お城の三角屋根が、民家の屋根屋根の隙間から、ひっそりと見えるだけ。
(なんだ……私じゃないのか)
もう一人の自分が、呟いた。
(……誰かいるな。ファングか? 俺に用なら、すぐに話しかけてきそうなもんだが、なんで隠れてるんだか)
一方のガビィは、窓から見える最寄りの民家の陰を眺めていたのだった。この酒場の付近には、用心棒が何人か立っており、顔馴染みでない者がこそこそしていると捕まってしまう。
兄ネイルがそんなことをするのは考えにくいから、消去法で弟ファングが上がったのだった。
「その、私が演説したとき、ガビィさんはそばにいなかったけど……とりあえず、上手くできたみたいなんだ。まだまだこれからが大変だってマデリンは言うんだけど、私は……」
ヒメは、ぎゅっと自分と手を握った。
「誕生日が終わったら、この国と、お父さんに、さよならする」
窓によそ見していたガビィの双眸が、ヒメに戻ってきた。
「お父さんね、私がどんな人生を歩んでも、応援してくれるみたいなんだ。あんな人を絶望させられる言葉なんて、きっと私には思いつかない。竜の巣で暮らす、この国には戻らない、それをお父さんに伝えたら、私は、巣へ帰るつもりなんだ」
ヒメはガビィと視線を合わせるのが、なんだか気恥ずかしくて、意味もなく、からになった器を見下ろした。
「竜の巣の王様も待たせちゃってるし、早く戻らないとね」
「誕生日までは、この国にいるんだろ」
「うん。でもさ、私はリアンさんに王位をゆずったし、マリーベル姫のお父さんにも会えたし、ここでやることは、ぜんぶやりきったの。清々しいくらいに、やりきった感で胸がいっぱいなんだよね。きっと私、もう何もできない。緊張の連続で、燃え尽きちゃったんだと思う。後のことは、マリーベル姫の影武者さんでもできることだし、私は、早く竜の巣に帰りたいの。任務を終えた喜びに、浸っていたいの」
「竜の巣に戻れば、ここよりもっとひどい生活が待っている」
「私の価値観では、竜の巣のほうがずっとマシ」
「どうなってるんだ、お前の価値観は」
「故郷と家族を愛してるだけだよ」
「……」
ヒメの答えは、真実を知るガビィには大変な皮肉だった。
でも、これがヒメの答えであり、本音だという。ガビィは、どうしたらよいかと、しばし思案。
「……誕生日以降も、ここにいないか」
「どうして? 私みたいな未熟者を、ここに引き留めたい理由なんて……今日だって本当は、もう少しかっこいい講演になるはずだったんだよ、それなのに、私、半分くらい台本を忘れちゃって……」
ヒメは今日、台本をド忘れしてしまったアホさを、すごく悔いていたし、しっかりできない自分に、見切りをつけてもいた。
「私、このままじゃガビィさんたちの足を引っ張っちゃうから……もう、帰る。もっと巣で修行してから、貴方と再会したい」
「あの巣に戻ったら、二度とここへは、帰れないぞ、姫」
「じゃあ、あなたがたまに、里帰りしてよ。私、待ってるから」
へへ、とヒメは照れ臭くなって、コップを持って、水を一口。
帰ることに前向きでいるヒメに、ガビィは内心でムッとしていた。
「……あの巣では、子供を産む道具としてしか、扱われないぞ」
「結婚するなら、子供ほしいな~」
「ちがう、幸せな意味で言ってるんじゃない。竜の巣の民の赤ん坊を産むのは、大変なんだ。同じ竜の巣の民にならないと、出産に耐えられない。姫は人間の世界で、永遠に居場所を失ってもいいのか」
「ん? 何言ってるのかわからないけど、私には、その覚悟があるんだってば」
軽く言ってみせるヒメに、ガビィの眉毛が不快そうに真ん中に。その様子にヒメも不審がる。
「どうして反対するの?」
「姫、成人の儀なんてものを、親父に吹き込まれているそうだな」
「あ、うん、それが済んだら、私にも鱗が生えるんだよ」
「そんな儀式など、存在しない。穢れた竜人の血を飲まされ、存在そのものを変貌させられるだけだ。今のヒメとは、別人のような性格となってしまうかもしれない」
「え? 性格まで変わっちゃうのは、初耳だな。みんなみたいに、かっこよく仕事ができるようになるなら、べつにいいかな」
「俺は――」
泳いでいた赤い双眸が、ヒメの眼鏡越しの、ビー玉色の両目と向き合う。綺麗な目をした、赤ん坊だった。苦労して寝かしつけたこともある。あんなに小さく弱い存在だった、それが今、自分を真っ直ぐに見つめて、這い上がってきた。
こんな所までたどり着いて、果たすべき仕事をやり遂げてみせた。
経験不足ゆえに単細胞なのが玉に
正直、ここまで骨のある女だとは、想像もしていなかったガビィである。どこまでも伸び
(もしも、親父のもとに返せば――こんなふうに、話すことも、できなくなってしまう)
「俺はイヤだ」
考えるより先に、言葉が出ていた。
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