第146話 ガビィとデート?
ガビィと出かける……なぜ急にそのような予定になったのかと、姿見の前でヒメは慌てていた。
彼と歩くのならば、派手なドレスは考えものだ。動きやすくて、華美でないもの、この二つの条件から絞り出したのは、いつか着ていた、雲のようにふわふわな衣装。ヒメの中では、無難な服だった。
そして、目の色を緑色に変える変装眼鏡を装着! 演説の終わったお姫様が、次の時間には男性と街を歩きまわっていたなんて、民衆が聞いたら幻滅されてしまうと思ったからだった。
「よし! これで、大丈夫! たぶん……」
ガビィは先に城下町の入り口付近で待っているとマデリンが言うので、ヒメは待たせてはダメだと猛ダッシュして到着した。
あの講演があった日とは思えないほど、のどかな昼下がりの日差しを赤毛に受けながら、一人の青年が堂々と
青年の赤い双眸が、ヒメを発見するなり瞳孔をさらに細くして、
「姫……」
そのたった一言だけ。
ヒメはがくっとよろけた。
「こ、こんにちはガビィさん。今日は、えっと、どこかに連れてってくれるんだよね。マデリンから、そう聞いてるよ」
「この紙に書いてある店に、行けば良いらしいが――」
ガビィはヒメに紙を渡した。渡されても、まだ城下町に詳しくないヒメには、店の場所がわからない。
「どの店にも、行く意味がわからん。今日の予定は変更だ。姫の今後に役立つ店を訪問する」
「はい、お願いします」
よかった、いつものガビィさんだ、とヒメは安心した。
「なにを言い出しますのよ、ガビィったらー」
少し離れた木陰に身を潜める、小柄な男女の姿があった。
「なあ、俺、こんなことに付き合うなんて聞いてないんだけど」
卵売りの素朴な少年に化けた三男ファングが、マデリンの後ろで、ぶつくさ言っている。
「心配し過ぎなんだよ、マデリンは。ヒメも兄貴も、あれぐらいで丁度いいのさ」
「疲労している部下に、労いも掛けられない上司がどこにいますの?」
「一晩寝れば回復するっしょ」
ファングは花の民騒動が治まったので、任務終了ということにして、長男ネイルの子供と遊ぼうかと城に戻ってきたところを、鉢合わせしたマデリンに捕らえられたのだった。
「そうかもしれませんけれど、マリーベルにはこの国のために、これからもっと働いてもらわなければなりませんの。疲労と不満を溜め込まれたら、どこぞの誰かさんたちのように、お城に参上せずに自宅にこもってしまいますわ」
「つまり、ヒメさんに俺たちの巣へ帰ってほしくないわけか」
「もちろん。最初のうちは、彼女の世間知らずでデリカシーのない野生児っぷりにイライラしましたけど、今では、あの城になくてはならない存在となりましたの」
三男ファングの、出かかっていたあくびが引っこんだ。
「……俺、あんたのこと、あんまし知らないけど、あんたが他人を褒めてるのは初めて見るよ」
「あら、エメロ城に仕えている時点で、誉高いんですのよ?」
「そうじゃなくてさ……って、あんたも兄貴と考え方がそっくりじゃねーか!」
「あ、ほら、二人とも出発しましたわよ。頑張って、尾行してらして」
え? とファングの語尾が跳ね上がった。
「あんたは行かないの?」
「わたくしには、城に幽閉されている父への尋問役という務めがありますの。どうなるかわかりませんけど、頑張りますので、貴方も急いで」
「え〜? 丸投げかよ……」
きびきびと城へ戻ってゆくマデリンと、けっこうな距離があいてゆく。ファングはしぶしぶ、二人のあとを追って歩くのだった。
(俺だってヒメさんと出かけたいのにな〜。でも俺が周囲に話してなかったから、誰も俺がヒメさん狙いなこと知らないんだよなぁ)
(兄貴だけ、ずりーよ。なんでヒメさんのそばにいなかったヤツが、こうして応援されてるんだよ。一生独身でいろっつーの)
また一つ、ガビィとそりの合わない部分が、増えてしまったのだった。
路地裏でもなく、よく目立つ表通りでもない、しかし一般の人が入るには少し薄暗くて危ない雰囲気のする場所に、その店は建っていた。
煤けたような色合いの木造建てで、扉にかかった準備中の札が示すとおり、中から料理の仕込みの音らしき包丁とまな板の音が鳴っている。
壁にかかった黒板には、今日のおすすめの料理とお酒が、箇条書きされていた。
「お酒が出るところなの?」
「酒場だからな」
ガビィが遠慮なく扉を叩くと、すぐ横の窓から、眼帯をしたおじさんがぬっと顔を出し、ガビィが何やら難しい話を始めた。それを聞いたおじさんは二度三度うなずき、扉の内鍵が音を立てて外され、玄関が開かれた。
「ガビィさん、今のは合言葉?」
「毎月変わる。内容は店主の気分次第だ」
「へ〜。星座の話してたね」
「店の二階に、天体望遠鏡がある。レンズが割れてて、なにも見えないがな」
実際に星を観測しているわけではないらしい。ガビィが扉をくぐるので、よくわからないままヒメもついてゆく。
準備中の札がかかっていたにも関わらず、店内にはまばらに客がいた。何か食べている者もいれば、壁にもたれて、目を閉じている者、ガビィたちの来訪に神経を尖らせている者など、一風変わった空気が流れている。
ガビィが扉に近いテーブル席の椅子を引いたので、ヒメも斜め向かいの椅子を引いて、おっかなびっくり、腰を下ろした。
女性の店員が、お
「私、酒場なんて初めて入った。なんだか独特な匂いがするね」
「タバコと、肉料理の臭いが強い。夜はこれの比ではないぞ」
「う……私、夜は入れないかも」
「夜に立ち寄る仕事もある」
「ふへぇ」
壁に彫られたメニュー表に、ヒメは馴染み深い料理名を発見。ナッツクッキーと、鳥の雑炊だ。
ちょうど注文を取りに来たのは、さっきの眼帯おじさん。店長だった。ヒメはお金を持っておらず、お水だけ注文しようとしたら、
「好きなの、頼め」
ヒメはびっくりして振り向いた。
「いいの? 私、お金持ってないから、返すことできないんだけど……」
「
ガビィは片手の
「えっと、あの、じゃあ遠慮なく……」
ヒメはメニュー表を指差して、好物の二皿を注文。生まれて初めて、外の世界の店で料理を注文した。
ガビィはクッキーは頼まず、鳥の雑炊だけ。注文を取った店長は、酒は飲まないのか? とニタニタしながら聞き返したが、
「酒を飲んだ俺がむせると、この店が全焼するぞ」
と、ガビィが返したので、つまんなそうな顔をしながら厨房へと移動していった。
「一ナッキーと、二トリゾー」
「はいよー」
不思議な略し方で、厨房に注文が届く。
椅子に座って料理を待つヒメは、急に緊張してきた。二人きりで何か食べるのは、初めてのことだから。
ガビィとは竜の巣の食堂でも一緒になったことがない。エメロ国への遠征の途中で、ヒメも豆とかぽりぽり食べていたけれど、あのときは初めての過酷な遠出で、誰かと食事を楽しむ余裕がなく、半分寝ながら食べていた。
「リアンが見逃しているのは、変装屋と、この一軒だけだ」
「え?」
「悪党の集い場だ。ここで殺人が起きたとしても、エメロの役人は介入できない。その代わり、俺たちで片付けなきゃならない。良くも悪くも、こういう店だ」
ああ、とヒメは我に帰った。そして思い出す。今日は、ガビィから役立つ店を、教わりに来たのだと。
(私ったら、浮かれちゃってた……。でも、なんでだろう、夢から醒めたみたいな、寂しい気持ちになってる……)
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