第145話   ヒメ、疲労困憊する

 エメロ城の庭で、ネイルが金色の錫杖しゃくじょうのような杖をシャンシャンと鳴らして、召喚術の練習をしていた。


 隣国の竜がずっと昔に産み出した卵が、今もなお天空のかなたに浮遊しており、ネイルはそれを地上からび寄せて、卵に崩れるように命じ、卵は上空で硬い鉱石の破片となって、空に散布される。


 飛び散った破片は、小さなトカゲの姿を形作り、ネイルの周辺に着地した。


「ハア〜イ、オ呼ビ〜?」


「アラ、綺麗ナオ花〜」


 などと言いながら、どこぞへと徘徊してゆくので、ネイルの息子が大はしゃぎして追いかけていた。


 ヒメは部屋の大きな窓から、その様子をこっそり眺めていた。


「長男さん、頑張ってるなぁ。王様が召喚する人形に比べたら、小さくて丸っこいけど、私には充分すごく感じるよ」


 暖かな日差しが、ヒメに降り注ぐ。公の場で講演なんて一大事から解放されたその身は、今日一日分の勇気と気力を使い切っていた。


 ヒメは大あくびが出た自分自身に驚く。


「ちょっと休憩しようかな」


 ヒメはドレスを適当にハンガーにかけて壁に預けると、下着のまま寝台に仰向けになっていた。今日も寝台の天蓋てんがいに描かれた花畑がキレイである。


「あ〜……これでよかったのかな。今更こんなこと言ったって、もう遅いんだけどさ」


 なんの罪悪感もなく事実をねじ曲げる講演に、挑んだわけではなかった。台本が少ししか思い出せなくて、緊張のあまり始終身体が凍りついていた。おかげで今、肩ががちがちにっている。


「これで、私がマリーベル姫としてできることは、やりきっちゃった感じがするな。リアンさんのお姉さんとしての役割も、もうこれ以上は私にはできない……そんな気がするんだよね」


 ヒメは自分自身が、すごく疲れていると感じた。この国に来てから、半月も過ごしていないけれど、休みなく他人を演じ、常に自分にできることを考え続けて、異文化と複雑な対人関係に挑み続けて……さすがに、根気が尽きてしまった。


「今日は、このままお昼寝しようかな……」


 独り言すら、子守歌になってくる。


 腕を目の上に乗せて、視界に入るモノをぜんぶ真っ暗にした。


 緊張から解放されたばかりの体は重たくて、でもすごくすっきりしたから、眠りに就くのも早かった。


 そこへ、シンバルみたいな勢いで扉を開けてきたのはマデリンだった。彼女はノックしたと言い張るのだが、寝ていたヒメには聞こえなかったから、部屋に飛び込まれて大変びっくりした。


「なにを燃えカスみたいな顔してますの」


「燃えカス〜?」


「忙しくなるのは、これからですわよ。王家のすべてを記録している書記官に始まって、王家や国家の伝統を司る学会が、さっそぐ大騒ぎしていますわ。特に、王子をよく思わない側の人間は、絵画ごときではあきらめないでしょう」


「お城のドロドロは、解決したんじゃないんだね」


「そうですわね。きっと永遠に解決なんてしないのでしょう。わたくしたちは、誰に何を質問されようとも、しらを切り続けなければなりません。特にマリーベル、貴女は絵画を代々守ってきた姫という設定なんですから、質問と抗議が矢の如く降ってきますわよ」


「ええ〜?」


「ええ〜? じゃありません。今のうちに、どんな質問も返せるように練習しますわよ」


「そ、そんな、ちょっと休ませて〜」


 起きあがろうともしないヒメに、マデリンが呆れて鼻を鳴らす。


「んもう、だらしないですわねぇ」


「逆に聞くけど、なんでマデリンはそんなに元気なの……」


 マデリンが現在進行形で作り続けている武勇伝の数々は、もはやヒメの追いつける速度ではないのだった。心底不思議がるヒメに、マデリンは、さも当たり前の事を説明するような顔して、こう言った。


「誰かのためならば、人はどこまでも強くなれるものですわ。マリーベル、貴女は誰のためにここまで来ましたの?」


「え? 私は……」


 コンコン、と扉が鳴り、きっと執事ジョージだと思ったヒメは、ぜーんぜん深く考えずに返事した。


 ジョージが扉を開くと、なんだかヒメがすごくだらしがない格好をしているような気がしたが、気のせいだと思うことにした。


「姫様、マデリン様、朗報でございます。フローリアン王子が、春の民と和平を結ぶことに成功いたしました」


「リアンさんが!? すごーい、どうやったの!? もう春の民のいたずらに悩まなくて済むの!?」


「はい」


 ジョージが笑顔でうなずくのを見て、ヒメは大変喜んだ。この国に来てから日が浅いヒメは、リアンが具体的に成果を出している姿を見たことがなかったから、今初めてエメロ王の後継者らしいと思ったのだった。


 ヒメがリアンに対して失礼極まりないことを考えている間に、マデリンがヒメの下着みたいな格好に再度目くじらを立てた。


「マリーベル! 着替えてもいないのに殿方を部屋に呼ぶ姫がどこにいますのよ!」


「え? あ! ほんとだぁ。私よっぽど疲れてたんだね、普段はちゃんと着替えてるんだよ?」


 ヒメは言いながら寝台から身を起こす。ジョージが空気を読んで扉を閉めたのを見て、マデリンが深いため息をついた。


「そんなにお疲れなんですの?」


「うん……そうみたい。今日は、本当に怖かったもん」


「もん、じゃありませんわよ。……ですけど、たしかにあなたもずっと出ずっぱりで、お疲れですわよね。お茶にお菓子もいいですけれど……ここは、少し男性陣に頼んでみましょうか」


「男性陣?」


「ああ、こっちの話ですわ。着替えて待っていてくださいな」


 意味深に微笑むマデリンに、不思議とイヤな気持ちにはならなかったヒメだった。




 ガビィが廊下で、春の民グラスとなにやら話し合っていた。グラスが、弟グラジオラスの行方がわからない、などと言っているのが聞こえる。


 常に多忙なガビィが暇になる時間など滅多にないことを知っているマデリンは、今少し良いかと話しかけた。


「長居をし過ぎたな。私は引き続き弟を捜索しよう。ではな」


 グラスが会話を切り上げて、歩き去っていった。


 ガビィはマデリンに、行方不明だったグラム伯爵が見つかったことを、告げなかった。それ以前に、グラム伯爵が春の民と繋がり、王家を裏切っていた事実も、まだ話していなかった。


 ガビィはマデリンからの用件に、耳を傾ける。そして、思わず二度聞きした。


「……は? 俺が誰と、どこに行けと?」


 本気で理解できないといったふうな顔でガビィが尋ねる。


「ですから、マリーベルと一緒に、どこかへお出かけなさってあげて。今日の彼女の成功を、褒めてあげてくださいませね」


「褒めるって……まだ良い結果が出たか、わからないだろ」


「結果が出るまで待っていては、あの子が本格的にやる気をなくしてしまいますわ。あの子にとっては、エメロ国での賞賛よりも、貴方がた竜の巣の民に褒められたほうが、よっぽど嬉しいことなんですの」


 ガビィにはマデリンの言っていることが、よくわからなかった。竜の巣の文化では、褒められる代わりに次の仕事を任される。仕事がこない場合は、皆から失望されているという証拠であり、かなり悲しくなる。


 仕事が上手くいった程度で、大げさに出かけたり賞賛する暇があるならば、次の仕事へ取りかかる。これが竜の巣の文化。世界中を敵に回して動いている組織なため、常に多忙なのだった。


 マデリンの提案に、ガビィが長考している。


 その不器用な様子に、マデリンは肩をすくめて、メイド服の白いエプロンポケットから、四つ折りにした一枚の紙を取り出した。


「計画を立ててまいりました。この通りに事を運べば、万事上手くいきますわ」


「……」


 イヤそうに赤い眉を寄せて受け取ったガビィは、紙を広げて内容を確認した。


「……なんだこれは。店の名前を、箇条書きしているのか」


「そのお店を、マリーベルと一緒に周ってくださいまし。きっとあの子、喜ぶと思いますわ」


「店を周ると、喜ぶヤツなのか? 初めて知った」


「……今は、そういう理解の仕方でも大丈夫ですわ。お店の名前の下には、話題のネタになりそうなものも箇条書きしてみましたの。会話に困ったら、それを参考になさって」


 ガビィは言われたとおりに、話題のネタとやらに視線を移した。


「……なんだこれは。天気ぃ? 洋服の感想ぉ? 化粧の感想もか? まだまだあるな。……一番最後に、今日の感想、と書いてあるぞ。感想ばかり聞くんだな」


「聞くのではなくて、貴方が答えるのですわ」


 まるで初めてバナナを見たゴリラみたいな顔をして、ガビィが長考している。


「聞かれてもいないのに、こんなに感想を出さなくてはならない理由が、わからん」


「では、ひとまず練習してみましょう。ガビィ、今日の天気を見てどう思います?」


「積乱雲が遠く見える。雲の速度から判断してもうすぐ雨が降るだろうが、一時いっときのことだから、夕方には降り止む」


「……あのですわね、ガビィ、わたくしだって天気ぐらい予想できましてよ。この雲一つ無い晴天の、どこに雨の気配がありますの。二人きりのお出かけ程度が、そんなに苦痛なんですの?」


 ガビィが、気まずそうに身じろぎする。


「なんだか……むずがゆいな」


「え?」


「任務と、必要な物資の買い出しを、部下と済ませる、それ以外で、誰かと出かけたことがないんだ」


「……あの、わたくしも人のこと言えませんけど、貴方、娯楽って知ってます?」


「言葉の意味は知っているが、姫と店を周ることが、娯楽に繋がるのか? 俺には、よくわからんな……」


 珍しく言い訳ばっかりするガビィに、マデリンも食い下がる。


「彼女はここになくてはならない存在ですわ。どうか半日ほど一緒に過ごして、彼女を回復させてくださいませ」


「ええ……」


「いい歳しているのですから、恥ずかしがってはいけませんわ」


 ガビィがこんなに困った顔をするのは、マデリンも初めて見た。指示を書いてもこんな感じなのだから、本気でいろんなことが、よくわからない様子である。


「貴方、まさか、マリーベルのことがお嫌いなんですの?」


「まだ部下として使うには、早すぎると評価している」


「そうではなくて、好きか嫌いか、ですわ」


「部下を好き嫌いで判断はしない。姫への評価は、今後の活躍しだいで変化するだろう」


「も、もういいですわ。それで、引き受けてくださいますの?」


 ガビィは仕事以外で出かける暇があったらグラム伯爵の尋問をしたかったのだが、返答を急かされ、さらにヒメが部屋でぐったりしている姿を想像してみたら、よくわからないが、背中をさすってやりたい気持ちになった。


「……上手くできる保証はないが、引き受けた」


「よろしい! では、お願いいたしますわね」


 こんな女を妻にしたら大変だろうな、と思うガビィなのだった。


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