第15章  グラム伯爵

第141話   ヒメにしか出来ない事

 あの日記帳を読んだせいか、ヒメの見た夢の中で、走馬灯のごとく母の生き様が駆け抜けていった。


 けっして寝覚めのよい朝ではなかったが、絵画の中でしか出会えない女性を、初めて血の通った一人の女性として認識することができた。


(お母さんのこと、知れてよかった)


 黄色のイブニングドレスの下には、苦悩に満ちた日々に疲労した心を、隠していたことも知れた。強い女性だったと思う。


(私が王妃様の血を引いていないのが、なんだか申し訳ないなぁ。本物のマリーベル姫は、うちの王様がたべちゃったそうだし……)


 扉がノックされる。


「姫様、ネイル王子がお呼びでございます。お支度したくを」


「あ、はい! 着替えは一人でできるよ。急いで向かうね」


「いえいえ、本日こそはエレガントさを忘れずに」


 昨日のヒメは、ゴミ屋敷の片付けという雑務に一日を費やした。服も髪も、ほこりまみれでお城に帰ったら、マデリンに即刻お風呂へ連行され、複数人の侍女たちに隅々まで洗われるという拷問を受けた。その後、気疲れと体力の限界がきてしまい、母の日記を読みながら、夕飯も食べずに眠ってしまったのだった。


 今日もまた複数のメイドによるドレスの着付けをされるヒメ。真っ白な、まるで花嫁のようなデザインに、ヒメは戸惑う。


「これはぁ、誰からの贈り物なの?」


「グラム伯爵です」


「ええ? あのおじさんが、こんな服を」


 まるでヒメの嫁ぎ先を早々に周りへ報告するかのような衣装に、ヒメは強い不安を感じた。


 扉の外で待機している執事ジョージに声をかける。


「ねえ、このドレスはどういうことなの? エメロ国の結婚式に着る服みたいだね」


「とにかく、一度はそでを通しておいてくださいませ。今、グラム伯爵とガブリエル様方が、一触即発状態なのです。姫様はどうか、表向きは中立なお立場を貫きください。これは男同士の戦い、姫様を奪い合う決戦の時なのです」


「ええ……? いったい、何が起きてるの」


 ジョージがこんなふうに、はぐらかしてしまう時は、しつこく尋ねても絶対に教えてもらえない。


 今はネイル王子からの召喚に応えるのが先だと、自分に言い聞かせて、ヒメはお姫様らしく、一階の大客間へと歩きだした。




「長男さーん、来たよー。何か用事?」


 ノックしながら扉に声をかけると、おー、とネイルの穏やかな返事が。


 しかし扉を開けたのは、先に中に入っていたマデリンだった。ヒメの純白のドレスを見て鼻じらむ。


「おはようございます、マリーベル」


「おはよう、マデリン」


「そのドレスは……まあいいですわ、今は贈り主を調べている場合ではありませんもの」


「ハハハ……」


 ヒメも今は言わないほうが良いような気がして、おとなしく客間の中へと案内されていった。


 あんなに散らかっていた客間は、綺麗に整頓、掃除され、まるで何事もなかったかのよう。


 唯一、以前の客間と違うのは、キャンバスに設置され、ヒメのほうを向いた、大きな油絵。春の民セレンと、フローリアン王子の容姿を足して、さらにミリアの成分を濃く重ねた、一人の女性の胸像が描かれていた。踊り子にも似たオレンジ色の民族衣装に身を包み、虹色の美しい虹彩は、観る者の心を釘付けにして離さない。


 絶世の美女が、そこに在った。


「すごい……ええ!? すごいよ! え、な、なんで? 昨日まで内臓ばっかりですごいことになってたのに、え? 本当にあの段階から、コレになったの!? うそ、めちゃくちゃキレイ! 可愛いー!」


「もっと語彙力を磨きなさいな。疑問系ばかりで、品が無いですわよ」


「でも、え? でも、だってわけがわからないくらい、すごくない? これ」


 感動し、賛辞の言葉を低い語彙力でいっぱい並べるヒメだったが、客間にネイルの部下の姿は無かった。一仕事終えた彼らは今、ぐちゃぐちゃに汚してしまった画材を、薬品などを使って洗浄し、乾かしている最中である。


「もう完成なの? 絵の具、ちゃんと乾いてる?」


「ああ、乾いている。臭いもしないだろう?」


 ソファにネイル一家が座っている。彼の膝の上には、きらきらした眼差しを向けて父を見上げる、小さな竜の巣の子供が。今日も元気いっぱいな様子に、ヒメは少し口元がゆるんだ。


 新作の絵に視線を戻し、臭いや乾き具合を確認するために近寄ってみる。本日制作された絵画は、まるで数多の古美術商のお眼鏡に適い、その手を渡ってきたかのごとく、味のある気品さと古臭さをまとっていた。


「出来立てのほやほやなのに、古い絵みたい……。どうやったの?」


 ヒメがネイルに振り向くと、ふと、彼の最大の特徴であった二本のいびつつのが、無くなっていることに気がついた。


 昨日まで当たり前のように有った角が、あまりにも唐突に無くなっていたため、返って気付けなかったのだ。


「長男さん、つのは!? どうしたの!?」


「取った」


「取れるの!?」


「ああ。ちょうど生え変わる時期でな。頭が痒かったんだ」


 頭部に黒い包帯を巻かれている夫に、となりのミリアは浮かない顔だ。自分が兄とともに売られていた当時を思い出してしまうのと、夫本人は平気そうだが痛そうに見えるケガの具合が、笑顔になれない原因だった。


「おとーさんのツノ、すごいんだよ。こなにして、絵のぐにませだら、絵がぼろぼろになっちゃった! のろいの力なんだってー!」


 ネイルの子供が、言葉の意味もわかっていないままヒメに教えた。


(呪い……?)


 ヒメには、なんのことだかわからない。気になるところだが、完成した絵がとにかく見事で、変な事を聞き返して場の空気が悪くなってしまうのも嫌だったから、また後で質問しようと思った。


 そしてこの後のマデリンの号令によって、呪いのことなど記憶から吹き飛ぶヒメだった。


「さあマリーベル、勝負のときですわよ」


「え? 私と剣の勝負がしたいの?」


「違いますわよ! 二人で猛特訓した、あの台本の出番ですわ。そのドレスは脱いで、貴女の一張羅いっちょうらである黄色いイブニングドレスに着替えますわよ!」


「ええー!? さっき苦労して着付けてもらったばかりなんだけど」


「苦労したのは、着付けた者たちでしょ? 今度はわたくしも着付けますから、貴女は台本をソラで言えるように、ぎりぎりまで頭の中で復唱なさいな」


 テキパキ仕切るマデリンに、気圧けおされるヒメ。


「き、今日やるのー?」


「ええ。今すぐですわ。あと三日と差し迫った貴女の誕生日の支度で、皆さま大忙しなんですの。広場も大人数による飾り付けで慌ただしいですから、貴女が来れば大騒ぎになりますわ。大注目の中、見事に演説をやり遂げてくださいまし」


「ふえぇ、ま、まだ心の準備がぁ……」


 昨日の夕飯も今日の朝食も食べてないヒメは、マデリンの怪力に為すすべなく、あっけなく手を引かれて部屋から退場させられたのだった。


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