第140話 母の日記の要約
皆に望まれての、幸せな結婚式だった。
そして王妃マリアの、最後の輝かしい姿だった。
「ええ? 帝国の姫が、この国へ嫁ぎにいらっしゃるのですか? ど、どうして、そんな話が」
理由の不明瞭な縁談が、半ば強制的に結ばれた。このエメロ国に価値を見出したらしき帝国から、エメロ十三世のもとに、まだ十四歳になったばかりのカタリナ姫が嫁いできた。
この姫、とにかくわがままで凶暴で、誰の手にも負えず、まともに躾けられていないのではと皆が顔をしかめるほどだった。
「きっと、幼くして親元を離れたのが、寂しくてたまらないのだろう」
優しい夫、エメロ13世は、昼夜問わず癇癪を起こすカタリナとの会話の時間を、必ず作った。
しだいにカタリナは落ち着きを取り戻し、エメロ王にのみ、心を開くようになった。
優しく、根気強い夫に、マリアは尊敬の意を表するとともに、新婚なのに一緒にいられる時間が短いことに、密かな不満を抱いていた。しかし周りから望まれる王妃の姿とは、良妻賢母そのもの。嫉妬と不満を露わにして、夫を困らせる妻ではなかった。
マリアは、大臣の父にだけ、愚痴るようになった。
どういうわけか、マリアの愚痴の内容が、カタリナに全て筒抜けになっていることが発覚した。事の発端は、いつものごとく朝から泣き喚いているカタリナからの、不平不満の羅列。マリアに悪口を言われていると、金切り声で訴えていた。
マリアは彼女に謝罪の言葉を口にしたが、カタリナの怒りは治らず、取っ組み合いの大げんかに。家臣がすぐに止めたが、床が女二人の髪の毛だらけになってしまった。
カタリナとマリアが嫁いで二年目、二人ともお腹の大きさが、目立つようになっていた。
マリアは妊娠したのが奇跡かと思うくらい、エメロ王との時間が取れなかった。帝国からの使者が頻繁に訪れ、エメロ王がその対応に追われていたからだった。
帝国の狙いが、全く掴めない。そんな中、カタリナ姫が帝王の末娘であり、こんな性格になるのも頷けるほどの溺愛っぷりで暮らしてきたことと、カタリナ姫自身が正妻でないことを激しく不満に思い、父である帝王に、嘘ばかりの手紙を書き連ねて送っていることが判明した。
マリアは、何もできずにいた。何もできない自分が、情けなく、たまらなく情けなく、悔しくて毎夜泣くようになった。妊娠中期、ホルモンの乱れで情緒が不安定になっていると、医師から告げられた。
カタリナ姫が帝国のスパイであることを突き止めたのは、竜の巣の民であった。
帝国の狙いは、エメロ国の異常なほど豊かな土壌だった。しかし隣国の竜の存在がどうにも疎ましく、エメロ国の支配計画を断念。カタリナ姫は、そのままエメロ国に捨て置かれてしまい、それでパニックを起こして暴れていたのだった。
計画が断念されたのは、カタリナ姫が嫁いですぐのこと。スパイ活動を頑張り、帝国の父に褒めてもらい、そして火の海になったエメロ国から救い出してくれるのを、カタリナ姫はずっと夢見ていたのだった。
エメロ王の妻になる気など、
マリアの具合が、日に日に悪くなっていったのは、臨月間近の不安からではなかった。
エメロ王も風邪を悪化させたまま治る気配がなく、診察した医師からはとんでもない病名を告げられた。
それは夫婦間の貞節を頑なに守ってきた二人にとって、衝撃的な病だった。
遠い異国の地で発生している、性病。
免疫力の著しい低下が主な病状で、些細な風邪すらも、自身では治すことが不可能になる、不治の病だった。
どこから、こんな病気が、城の中に。
犯人はわかっていたが、帝国が使者を送ってはカタリナ姫のご機嫌取りを頻繁に行っており、小さなエメロ国が姫の不貞を告発する勇気はなかった。
マリアは医師とよく相談し、お腹の子に病の影響が出ないように、薬を飲みながら、自身の体調に気を配りながら、ただただ我が子の健康を祈って、必死に日々を過ごしていた。
始終気の休まる時がなかった。ストレスで精神的に参り、寝台から起き上がれない日もあった。
それでも、夫の前では気丈に振る舞った。常に笑顔を絶やさず、夫の癒しであり続けたが、内心では、多忙にかまけて会いに来てくれない夫に苛立ち、愛は消えかかっていた。王妃だからという義務感だけで、微笑むようになっていた。
こんな生活も、夫への愛情も、きっと自分が母になれば、元通りに戻れるはず。
マリアにとって、お腹の子は唯一
マリアは第一子を出産した。男児でなかったことを悔やむ声も上がったが、空色の美しい両目と、なにを見ても明るく笑う愛らしさで、皆からとても大事にされた。
病が移っている様子もなく、マリアは安堵のあまりに姫の笑顔を見るたびに号泣した。
夫との間にも、再び愛情を取り戻し、これで穏やかに過ごせると思った矢先、姫の乳母が何者かに殺害される事件が発生した。
姫の守役の兵士が、毒を盛られて、意識を失った。
新しい乳母が、肩を斬られて重傷を負った。
王が雇っている竜の巣の民は、調査するためには代金がかかるの一点張りで、動いてくれない。
「きっとカタリナ姫だわ。私が先に第一子を産んだから、妬んでいるんだわ」
カタリナ姫の性格なら、やりかねなかった。
カタリナ姫が出産したのは、マリアの出産の一ヶ月後。そしてカタリナが窓の外へ、身を投げたという知らせが入った。
最期に発した言葉は「お父様に殺される!」だったそうだ。
産まれた男の子は、オレンジ色の肌と髪、そして両目は虹色だった。
誰とも似ていない。
両目の特徴は、当時エメロ国との国交は無いとされてきた、春の民のものだった。
春の民は世界中を旅し、あらゆる娯楽を善とする、独自の文化を貫く放浪の民。
彼らを排除しようとする国は多く、その理由は性病を始めとする病気の蔓延の原因となっていることだった。
春の民自身は、どんな病気に感染しても発症しない。竜人であるから、人間の病に強いのだ。だが彼らと
マリアとエメロ王の病は、カタリナの不貞によるもの。春の民がいつの間にか城に入り込み、帝国からの珍しい品と引き換えに、カタリナと密会していたのだった。
帝国は大事な愛娘を見殺しにしたと激怒し、しかし隣国の竜の産卵期と重なって、エメロ国が火の海になることは免れた。
皆、あの竜が何をしでかすかわからず、様子を見るしかないのだった。
不治の病が、悪化した。マリアは、夫に、絶対にマリーベル姫を守ってくれるように頼んだ。
手放さないでと。どんなときでも、そばに置いて守ってあげて、と。
多忙な夫に、子育ては無理だ。けれども、これが最後のわがまま。マリアは、マリーベルに手紙を書き残すことにした。
姫の成長を、その未来を、どんなに楽しみにしているかを
姫の未来に寄り添い、いろいろな記念日を作りたかったと綴った。
親子で秘密の話も、してみたかったことを綴った。
手紙は全て、エメロ王に託すことにした。
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