第139話   『卵から 生まれたのは?』②

『そして竜は 真っ黒な 真っ黒な 卵を生みました。』


 竜は糞尿をしない生き物だったが、その日は、何やら黒い塊を尻尾の下の穴から生み出した。


 伴侶もいない、それどころか同種族もいない中で、竜が卵を生んだ。


 その卵が、どんな意味を、役割を、持っているのか。解明するには、竜の足元から運び出さなくてはならない。人々は竜に踏まれないように、運び出そうとしたのだろう、そのバケモノが殻を突き破って誕生したとき、目の前に集まっていた。


『卵から 生まれたのは?』


 バケモノの両腕には、みずからも持て余すほどの筋肉と、長く鋭い、頑丈な爪が備わっていた。バケモノは視界に入る人間を串刺しにしては床に叩きつけ、竜の頭によじのぼると雄叫びを上げた。


 そして床に着地して、街まで降りていった。


『卵から 生まれたのは?』


 バケモノの咆哮は、竜の恩恵を受けた者たちの体を、鉱石の化け物に変化へんげさせた。肌を突き破って生えてくる鉱石は、最初こそ血肉に濡れて輝いていたが、やがて白く濁りだし、最寄りの人間たちを砕こうと襲いかかっていった。


 美食を願った者がいた。竜の鱗を混ぜた肥料や餌を使って、食材を作り、完成した料理を、大勢に振る舞うために何軒もの店を出していた。



 バケモノも、白い鉱石の化け物と一緒に、手当たり次第に人の肉を切り裂いていた。強い怒りと憎しみ、復讐心、そして二度と戻ってこない日々への嘆きと渇望が入り混じり、さらに生まれた数多の人格に渦巻いて、強い錯乱状態に陥っていた。



 怒号と悲鳴に包まれ、燃えたぎる火事場に、血生臭い凄惨さが花を添える。スノウベイデルがこの世の終わりを具現化したような最期を遂げるまでの、ほんのわずかな時間に、バケモノは、ふと、とある屋敷を眺めた。おのうちから、あそこらへんの住所を気にする少女の人格が鳴る。


 ふらふらと、屋敷に向かった。手厚い歓迎を撃退していると、レイピアを構えた純白の騎士が階段を下りてきた。疲れきった足取りを隠して、バケモノに剣先を向け、上段に構える。ひどく、やつれた顔をしていた。


 バケモノは、己が内の少女が喜んでいる感覚に戸惑った。そしてそれを、すごく不快に感じた。誰の人格が感じたのかは、わからない。ネイルではなかった。


 ネイルはただ、このカラダを守りたかった。騎士は臆せず距離を詰め、レイピアの剣先で執拗に目玉を狙ってきた。ネイルは首を傾げてそれをかわし、逆に相手のふところにもぐりこんだ。


(姉サン!)


 刹那、誰かに羽交はがめにされたごとく腕が引っ張られる感じがして、しかしネイルの爪の勢いを止めるにはわずかに遅く、その純白の鎧を貫通し、相手の内臓深くまで、到達した。


「オマエガ……家族……?」


 竜の人格が、言葉を発した。少女の記憶をさかのぼった竜は、目の前の騎士の存在を、そのままにはしなかった。


「オ前ハ、生カシテヤル。未来永劫、彷徨ウガイイ!!」


 竜は爪を引き抜き、膝をつく騎士を蹴り飛ばした。壁に叩きつけられた騎士は、レイピアを杖にして立ち上がったが、ふと、自らの傷に手を当て、どこにも穴が空いていないことに、気を取られた。


 その隙に、バケモノは窓を頭突きで割って地面に着地した。折れた爪の一本が、あの騎士の中に、三百年もの永き呪いとして残されたのだった。


『卵から 生まれたのは?』



 ネイルの話を書き取っていた旅の絵師は、筆を止めると緑色の長い髪を耳にかけた。


「卵からかえったのは、なんだったの?」


 そう尋ねられたネイルは、自室の椅子から立ち上がると、窓を開けた。竜鷹が空を飛行し、雲間からは山々の緑がのぞく。今日は雲が低かった。


「俺がこれから話すのは、竜の巣を神聖視する狩猟民族たちから聞いた話だ。当時の俺では、客観的に周囲を観察することは、とてもできなかったからな」


 黒い鱗の生えた、トカゲのバケモノ。当時の族長は、そう言った。四肢の均衡がめちゃくちゃなバケモノが、山を駆け登ってきたのだそうだ。


 当時、この山一帯を占拠していたのは、略奪と狩猟で生き抜く、ほとんど山賊と化した狩猟民族。この地域に侵入できるものは、彼ら民族の戦士と戦って、勝利した者だけだった。彼らは当然のごとく獲物を手にして、山や自分たちに敬意を払わない無礼者を砕きに向かった。


 そして、ことごとく返り討ちにされたそうだ。手入れの行き届いたどんな刃も、バケモノの鱗に傷を付けられなかったという。


 彼らは、そのバケモノを神聖視した。山の頂に登ることを許し、あとはバケモノの好きに、支配させることにした。


『卵から 生まれたのは?』


 トカゲのバケモノは、だんだんと少女らしい可憐な体付きになった。


『卵を生むための 女の子でした。』


 そのお腹は大きく膨らんでおり、少女は間もなく黒い卵を産み落とした。


 卵は、片手では少し足りないほどの大きさだったという。誰との子かはわからないが、彼らの中に父親はいないようだった。


 卵は、周辺のあらゆる生命力を吸い取り、どんどん巨大化していった。最初は卵と少女の世話をしていた彼らだったか、死者の多さに恐れを抱き、けれども、もう後には引けず、少女と卵を山頂に置いたまま、神聖視だけはし続けていた。


 山が半分も枯れ果てた頃には、山頂に大きな卵型の巨石が誕生していた。


 ネイルは息が苦しくて、外に出たくて、岩同然の硬く冷たい卵を、ひたすら齧ったり掘ったり、とにかく前へと進んだ。


 やっと出られたとき、引っ張り出してくれたのが彼らだった。小さな黒い竜、ネイルの誕生である。


 だが、生まれたのはネイルだけではなかった。十歳くらいの男児二人が、ネイルが掘った穴から、よろよろと這い出てきた。


 二人とも弱りきっており、すぐに彼らに保護された。


 ガブリエルと、ファング。可愛い弟二人の誕生日も、今日に決まった。


「へえ、きみら三兄弟は、そうやって生まれたのか。お互い、ろくな誕生の仕方じゃないよね。僕ら春の民なんて、腐敗したリーフドラゴンの体から生まれたんだよ。蛆虫みたいにさ」


「俺は、種子のようだと思ったがな。果実は地面で腐って、種を残して土に還るんだ。美しい自然の摂理だと思う」


「そう言ってくれると、救われるよ。きみは本当に優しいね。きみになら殺されてもいいって錯覚しそうだ」


 旅の絵師、春の民は、書き留めた資料を、確認のためにネイルに見せた。そして、どのような絵本にするか、それと、どのあたりまで絵本に描くかをあらかた説明し、完成した何部かを、ネイルに献上すると誓った。


 絵師は世界中に絵本を託したいと言うので、ネイルは許可した。


「ねえネイル、竜は、何がしたかったんだろうね。途中までは、きみも竜と一つだったんだろう? なにか、わかる?」


「詳しくは、俺も忘れてしまったんだが、竜は最初から、人間のために願いを叶えるつもりはなかったらしい。あの鱗を、全世界に振りくこと……スノウベイデルは、その実験台にされたのさ」


「実験台かぁ」


 春の民がぼんやりした口調で、反芻はんすうした。まとめたばかりの書類を抱えて、なにか思案しているような目の動きをしている。


「ねえネイル、犠牲なき発展は無いのだし、無償の愛には必ず裏がある……この本は、そういった教訓になるかもね」


「ふふ、教科書にするつもりか? 歴史は過去の偉人たちの失敗を記してこそ、価値があるからな」


「同感だよ。きっと竜が望んでいたのは、ほんの些細な幸せだったはず、そのことに、世界中の誰も気づけなかったのが、僕ら人類のあやまちさ。今もまだ竜の呪いは根付いている……僕らが次に進むには、いったい誰が犠牲になればいいんだろうね」


「俺かもしれないな。まだやり方が、わからないが」


「きみじゃないよ。僕が保証する」


 春の民グラジオラスが、ネイルを励ました。しかし、その言葉がネイルに届くまで、かなりの年月を要したのだった。


「あ、そうそう、卵を生んだ少女はどうなったの?」


「ナターシャか? とりあえず、俺の妻ということにして住まわせている。ああ、ナターシャに過去の記憶のことは聞かないほうがいいぞ。ほとんど忘れてしまった俺と違って、あいつははっきりと覚えている。その事で、とても苦しんでいるんだ」



『お し ま い』


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