第138話   『卵から 生まれたのは?』①

 となりに座っているナディアはひとしきり泣かせておくことにして、ネイルは胡座あぐらを掻いてお茶を飲んでいた。


 なにも言わない、だれにも相談しない、ネイルは己の身に刻まれている他人の記憶を、だれにも教えるつもりはなかった。


 あの春の民が、竜の巣を訪ねてくるまでは。


『僕は絵を描いて旅をしているんだ。今は、白銀の子竜になにがあったのかを調べてるんだけど、知っていることがあれば、なんでも教えてほしい。絵本にして、残しておきたいんだ……自分と世界が、歩んできた歴史を』




『白銀色の小竜のまわりを、ぐるりとかこんで、大きな国ができました。』


 いつの間にか子竜は、神格化されていった。


『白銀色の小竜のまわりを、ぐるりとかこんで、大きなお城ができました。』


 いつの間にか子竜は、欲深く陰鬱な人間たちに、独占された。


『どうしてなのか、小竜にはわかりません。』


 だれも真実を、教えてはくれなかったから。


『毎日 毎日 大勢の人間が、小竜に会いに来てくれました。』


 皆、優しかった。


『ごはんを運んでくる人間。』

『お話を聴かせてくれる人間。』

『体を拭いてくれる人間。』


 皆、子竜を喜ばせようとしてくれた。

 その優しさの裏では、なんとかして子竜と意思疎通し、自分たちの願望を叶えてもらおうと、必死になっている人間の姿があった。


『どうしてなのか、小竜にはわかりません。』


 子竜には、もう一度会いたい者たちがいた。春の民だった。黄金の竜が生み出した竜人たちだ。


 しかし、子竜は人間の言葉が話せなかった。


『外の景色も、長いあいだ見ていません。』


 そのうち、子竜にとって、この狭い城が、世界の全てになっていった。


 世話係の中で、とりわけ心根の優しい少女がいた。子竜が城の壁に頭をこすりつけていると、痒いのだと察してくれて、臆せずよじ登って掻いてくれた。


 彼女は子竜の体に足を掛けて、その頭の白い鱗をしっかりと裸足で踏みつけて、頭を掻いてくれた。


 それを見た周りの者たちは、悲鳴を上げた。神聖な子竜を足蹴にした、と。


『なにが起きているのか、子供の竜には、わかりませんでした。』


 少女は周囲から孤立し、世話係の任も解かれてしまった。


 そして、竜に無礼を働いた罪人として、生きたまま石で粉々にされた。




『ある日のことです。』


 初めて嗅いだたぐいの血生臭さに、子竜は鼻をしかめた。


『人間たちが木の板を持って、小竜の部屋に、やって来ました。』


 食事にしては、美味しそうに見えない。細い石が全身に突き刺さり、血を垂れ流し続けているソレは、どうやら、食べ物ではないようだった。


 子竜は、もっとよく見ようと、前のめりになって、それに顔を近づけた。


『木の板の上には、一人の女の子が眠っていました。』


 それは、かろうじて、息があった。

 半分開いた両目は、緑色。


『小竜にごはんを、楽しいお話を、そして、体を拭いてくれていた女の子でした。』


 子竜は、わけがわからず、世話役の人間たちを見下ろした。


『「この人間が、貴方に失礼なことをしたので、殺しておきました」』


 子竜には、なんで彼らが少女を殺したかったのかわからない。


 なんでこんな、ひどいことをしたのか、彼らが、わからない。


 彼らの、人間の考えていることが、まったく理解できない。


 ただ、目の前の少女を、楽にしてやれるのは、大事にしてやれるのは、自分しかいないのだとーー


『小竜は、動かない女の子を、丸呑みします。すると、今までわからなかったことが、ぜんぶ、わかるようになりました。』


 少女を取り込み、その記憶を得た瞬間、子竜の目は見開かれた。見えるモノ全てが、どす黒く染まっていた。


『小竜は、大人になったのです。』


 子竜は吠えた。自分を囲う屋根に、否、空に向かって。


 人間たちが竜に望んでいたモノがわかったから。


 少女の記憶とともに、子竜に深く刻まれた憤怒と悲痛さ、それらが全て、巨大な力となって溢れてくる。


『「欲しい物は、なんでも申してみよ。全て叶えてやろう! 全てな!!」』


 子竜は少女から得た知識で、人間の言葉をしゃべった。


『竜の力強い咆哮に、人間たちは喜びました。』


 竜を世話してきた貴族たちは、喜んだ。


『竜が大人になったからです。』


 祭りが開かれた。上流階級のみが楽しみ、スラム街は子竜の咆哮に怯えていた。


『なんでもできる力を、みんなのために、使うと言ってくれたからです。』


 みんなとは、子竜に会うことができる一部の者たちのことだった。



『国はどんどん、大きくなっていきました。』


 白銀の竜は、一ヶ月に一度だけ、自分の前に一人でやってきた人間の願いを一つ、叶えた。叶えるたびに、白銀の竜の体から一枚、白銀色のうろこが砕け散った。


『世界一、大きくて、幸せな国になりました。』


 ある者は一族の美を願い、叶った。その一族は血管も内臓もうっすら見えるほど肌の透明感が増し、皆の美の基準を狂わせた。あまりの美と透明感を妬まれた彼らは、治安の悪いスラム街送りにされた。


 ある者は美食を願い、叶った。竜の鱗の粉を肥料や家畜の餌に混ぜて与えたとたん、この世の喜びを全て詰め込んだかのような美味食材で国が飽和した。食した者の舌の色は、白銀色に変わっていた。


 ある者は不老不死を願い、叶った。歳を取らなくなった代わりに、髪も歯も抜け落ちて、次の日には白銀色のナメクジになり、皆から迫害されて、のろのろと国を去っていった。


 ある者は世界一の強さを願い、叶った。白い鉱石でできた、魂を持たぬ兵士を与えられた。彼らは恐れも慈悲もなく、友好関係にあった隣国たちを次々に襲った。


 また、ある者は、エメロなる貧しい国がスノウベイデル国より神聖視されていることに腹を立てて、の国に、巨石の雨を降らせることを願った。


 竜のもとへ行くのは、何年もの予約待ちとなった。スノウベイデルの民は、身も心も歪に変貌し、異国の民の目には、国を徘徊する化け物が映っていた。


 ある狡猾こうかつな者は、自分だけの願いを何度も叶えるようにと願った。竜は聞き入れ、その者は他者の憎しみを買って殺された。


 狡猾な者のせいで、竜は願いを叶えてくれなくなった。皆、なんとか再び願いを叶えてもらうべく、竜の機嫌ばかり取り続けた。


 そんな日々が、三年ほど連なった。


 竜の鱗は、砕けても砕けても、下からまた生えてきた。無限に願いを叶えられる素を、蠱惑的に輝かせる竜の存在は、どんな宝石よりも価値のある、この世の宝と謳われた。


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