第135話 ゴミに埋もれた過去
ヒメは無言でいるわけにもいかないので、
「おはようございます。あの、勝手に入ってしまって、ごめんなさい。私は、マリーベルです。あなたの、孫にあたります」
偽物のくせに堂々と名乗ってしまい、心が痛まないわけではなかったが、今はこの異様な雰囲気のお爺さんを刺激しないように取り
ヒメは扉から半身だけ出しているのも失礼な気がして、ギクシャクしながら、全身を現した。
背を向けていた老人が、足を引きずってゆっくりと振り向いた。毛羽立った上着の上を、ぼさついた白髪の長い髪が揺れる。
「マリーベルだと……?」
「は、はい」
その老人は、どこかの木からへし折ってきたような杖で、自身を支えていた。体は節くれ立って痩せており、凍えているかのように
落ち
杖を床にガツンガツン叩くようにして歩き、老人がヒメに接近してくる。
(うわあ! もしも私が偽物だって気付かれたら、杖でぶたれちゃう!?)
老人はしかめっ面して、ヒメの青い両目をじっくり眺めた後、
「
「え?」
「断るならば、なにも答えん」
それは困るヒメは、ほっぺたを片方、引っ張ってみせた。
その皮膚の伸び具合から、変装ではないと判断した老人は、
「ふん……どうやら本物のようだな」
再び杖を鳴らして、ヒメから距離を取った。
「なんの用だ」
「あの……」
ヒメは扉の陰に隠れているファングたちに振り向いた。ファングが小声で「欲しい物を言えばいいんだよ」と助言。
しかし、ヒメの目には不潔な状況の廊下が映っていた。老人のいる部屋に視線を戻すと、その部屋のすみっこにも、食べ残したまま重ねた食器に、カラの酒瓶、汚れた布類などが、乱雑に寄せられていた。
「あの、余計なお世話かもしれませんが、このたくさんのゴミは、どうしたんですか? 捨てましょうか? その、私が」
「これは、わざと置いとるんだ。誰も入ってこんようにな」
「ええ……?」
誰も、とは。本当に誰も入れていないのだろうかとヒメは戸惑った。足の悪い老人一人で管理するには、この屋敷は広すぎる。どうやって生活しているのだろうか、ヒメは想像ができなかった。
「掃除の申し出に来たのか」
「あ、いえ、あの、母の、面影がわかるような物があれば、見せていただけないかなー、と思いまして。今日は、それが目的で参りました」
お願いします、とヒメは頭を下げた。
「そんな物はない」
「え?」
「なにも残ってはおらん」
「そ、そんな……。あ、まさか、捨てちゃったんですか!?」
「そんな……だって、マリア王妃はあなたの娘なんじゃ……」
「そうだ。たった一人の自慢の娘だ」
元大臣だった男は、杖を鳴らしながら、ゆっくりと部屋を歩きだす。
「娘は国中の者に愛されていた。その遺品は、さぞ高く売れたことだろう。使用人のふりしたコソ泥どもめが、まだ喪も明けぬうちに、家具ごと全て持ち去っていったわ」
「そんな、ひどい……」
ヒメは思わず、扉の
「俺の部隊じゃないよ。エメロ人の泥棒かもしれないだろ?」
いったい誰が犯人なのか、約十六年前の事件を捜査している時間は、今はない。
ヒメが老人に注意を向け直すと、老人は大きな窓を眺めていた。きっちり閉じた空色のカーテンの隙間から、ほんのわずかに、外が見える。
「ここには何も無い。お前がここに来た理由も、もう無い」
遠回しに帰れと言われているのだと察したヒメだが、このゴミだらけの中、なにもせず手ぶらで帰るのは、気が咎めた。
「あの……片付け、ても、いいですか? 転んだりすると危ないので」
「勝手にしろ」
老人は椅子にどっかり座って、動かなくなってしまった。まるで、やれるものならやってみろと言わんばかりに背を向けられてしまい、ヒメはファングと鍵破りに再び振り向いた。
「そういうわけだから、一緒にやろうね」
「えー!? 三人でやれってか? 冗談よせよ」
しぶしぶ扉の陰から出てきたファングと、無言で続く鍵破り。その気配を感じ、老人は背を向けたままジト目になった。
「やはり、連れがいたか」
一国の姫を、独りでこんな所へよこすはずがないとは思っていた。どんな男どもかと、首だけ回して確認してみると、一人はエメロ人(に化けたファング)と、もう一人は、変装もなにもしていない竜の巣の民だった。
三人のお片付け大作戦は、とりあえずゴミを分類別に、外へ出していこうというものだった。
分類の基準は、ざっくりと。燃えるゴミか否か、紙類か否か、食器か否か、瓶か否か、その他。
鍵破りが、鍵穴を見つけるたびに片っ端から解除してしまい、おかげで、やらなくても良いのではないかと躊躇してしまう私室まで、整理する羽目になった。
お昼ご飯など、当然出ない。ヒメたちは背負っていた荷物鞄から、筒に入った豆類を食べて、休憩を取り、作業を再開した。
「ヒメさん、もう夕方だよー?」
大雑把な清掃活動に終わりが見えてきた頃には、空が赤く染まっていた。
ヒメの空色ミニワンピースは、すっかり灰色に汚れてしまった。それは気にしないヒメなのだが、気づけば屋敷の外は
「付き合ってくれて、ありがとう、三男さん、鍵破りさんも。とりあえず、お屋敷の中のゴミはあらかたキレイになったし、これでお爺さんも安全に歩けるよ、たぶん」
日の入りとともに下がってきた気温。肌寒い風の中、山積みのゴミを見て、あの老人が笑顔になる保証など、ない。
とっさの思いつきとはいえ、ヒメは自分のツメの甘さに、少し絶望した。
「と、とりあえず、お爺さんに報告するために戻ろうか。待ちくたびれてるかも」
アハハ、と引きつり笑いを浮かべながら、ヒメは二人を促して、暖炉の燃えたぎる大部屋へと戻ってきた。
「お爺さーん、とりあえずだけど終わりましたよー……って、あれ? いない」
ゴミを片付けたことによって、部屋の一面を占める本棚と、空色の絨毯が視界に飛び込む。もとは、爽やかな色合いの部屋だったのだと思われた。
困惑するヒメのとなりで、ファングが聞き耳を立てる。
「……あー、さっき片付けた寝室から、イビキが聞こえる」
「うそ、寝ちゃったの? 一言ぐらい、声かけてくれても……」
眉毛がハの字に下がるヒメ。ふと、暖炉の上に、一冊の本が載っているのを見つけた。
掃除していたときは、なかった物だった。お爺さんがどこかから引っ張り出して、さらにそれを出しっぱなしにしたらしい。
なんでこんな事をするのかと、さすがのヒメもイラッときた。
「火元にノートなんて置いて、危ないなぁ。暖炉も消しておいてあげないと、火事になっちゃうよ」
ヒメはぶんむくれながら暖炉へと近づく。書物を手に取り、空色の表紙に書かれた手書きの「日記帳」という綺麗な文字に、目が留まった。
「……」
ちょうど欲しかったから、と喜ぶ気持ちは、わかなかった。
(お母さんの日記帳みたい。いったい、なにが書いてあるんだろ……)
ヒメは、嫌な予感がしていた。
扉に取っ手すら付けずに、侵入者を拒む老人が、守っていた過去が、ここにある。
ヒメはぱらぱらと、日記帳をめくり、最後あたりの
「これ……お母さんが、亡くなるまでの、日記だ……」
目に涙をいっぱいに溜めて、玄関めざして廊下を歩いてゆくヒメの後ろを、暖炉の火を肺活量だけで吹き消したファングと、無言の鍵破りがついてゆく。
「ヒメさん、大丈夫? ずっと暗い顔してるよ。無理してそんな物、読まなくたっていいんじゃない?」
「ありがとう、心配してくれて……けど、私はこれを、全部読まなきゃ、いけない気がするの。お城とこの国がめちゃくちゃになった理由が、この日記帳に書いてある気がするんだ」
母マリアは、この国を、そして最愛のエメロ王のことを、本当はどう思っていたのだろうか。
これを読むことは、ヒメの今までで一番の試練となるのだった。
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