第14章  姫の誕生日まであと4日!

第134話   王妃マリアの実家

 今日のヒメは朝から元気だった。いつも元気だが、今日は特別元気だった。


 元気過ぎて、スカイブルーのミニワンピのスカートがめくれかえるのも気にせず、元気に自室から飛び出したところ、たまたま鉢合はちあわせたマデリンに注意された。でも、ちっとも気にならない。


(私にしかできない仕事! 長男さんから頼まれちゃった! しっかりこなさなくっちゃ!)


 ヒメは竜の巣から持ってきた鞄を背負っていた。ナターシャは留守だから、三男の王子ファングと一緒に任務遂行と城を飛び出した。


 ファングは今日も、エメロ人の少年に化けていて、変装屋に通うのが気まずいから同じ変装を使い回しているのだと、こぼしていた。


 はたして、二人に課せられた、その任務とは。王妃マリアの筆跡がわかる書類を入手すること。


 ネイルは完成した絵画を公にする前に、マリーベルの母、つまりエメロ国のお妃マリア直筆じきひつの手紙を偽造したいと考えていた。


 実際には存在しない手紙を、竜の巣の民で作ってしまうのである。


 ネイルの提案によると、生前、人気者だったマリア王妃が、リアン王子を庇う内容の手紙を書き、さらにこの絵画にも触れる内容を書き残していれば、この絵の存在意義が高まり、民も信用しやすくなる、らしい。


『しかしな、マリア王妃の直筆の書類は、全て王家の書庫にて厳重に管理されている。部下に鍵破かぎやぶりを頼んでもいいが、万が一、気づかれては厄介なことになる』


 そこでヒメに白羽の矢が立ったのだと、説明された。王妃マリアは、引退した大臣の娘。その大臣は偏屈な爺さんらしいが、孫のヒメならば屋敷に入れてくれるだろうとのことだった。


 ネイルは部下を一人、貸してくれるという。道中のどこかにいるから、回収するようにとヒメに託した。


「よーし、マリーベル姫のおじいちゃんに、さっそく会いに行こう!」


「あははヒメー、地図が上下逆だよ」


「ああ、ほんとだ。よいしょっと」


 母マリアの実家は、ヒメたちが初めてエメロ国に入った入り口とは真逆の方向にある、大きな屋敷だった。


 二人は地図の通りに歩き、途中でネイルの部下である、無口な鍵破りの男と合流して、てくてくと歩き続けた。



 その屋敷がある場所は、城下町の賑わいから、かなり離れており、すぐそばに城壁が見えていた。


 辺りは背の高い雑草だらけで、足の踏み場も見当たらない。


 屋敷の壁は老朽化しており、日差しと風雨により変色していた。ひび割れてできた隙間すきまは、つる植物の侵入を多量に許している。


「ここが……そうなの? 建物自体は立派だけど……なんだか、身分が高かった人の住まいには見えないね」


 頑丈な二階建てを見上げて、ヒメは朽ちた屋根の先端にまばたきする。ぱっと見で判断すれば、誰かが屋敷の世話をしているようには見えなかった。


 鍵破りの男は、少し離れた木陰でじっとしていて、一言も発しない。


「使用人がいる気配がねぇな。爺さんの一人暮らしかも。あーあ、さっそく偏屈な鱗片が見えて、気分下がるわー」


 背伸びしながらファングがグチった。


「ヒメさん、頑固がんこ者との口論に勝てる自信はある? 無いなら、助太刀すけだちするよ。俺は兄貴よりは口が回るから」


「ああ、うん、自信は無いけど、なんとか挨拶だけでも済ませてみるよ。もしも、ややこしいことになったら、そのときは助けてほしいな」


「ん、わかったよ。とりま最初はヒメさんに任せてみるわ」


 任されたヒメは、固い動きでうなずき、土埃で色褪せて見えていた茶色い玄関扉に近づくと、意を決してノックした。


 ……無音の中、風の強さだけが春を主張する。


「ノックしたけど、誰も出ないや」


 ヒメは金色の眉毛をハの字にして、とりあえず開けられそうかと扉を観察してみた。


 扉のつるっとした表面に、ますます眉根をひそめる。


「ヘンな扉。鍵穴はあるのに、取っ手がないよ。どうやって外から入るんだろう。誰かに中から開けてもらうのかな?」


「たぶんさー、鍵穴に突っ込んだ鍵そのものが、取っ手になるタイプなんだよ。つまり、鍵を持ってないヤツじゃ開けられないわけ」


「ええっ!? 鍵も取っ手もない私たちじゃ、これ開けられないってこと?」


 ヒメは扉が、壁に見えてきた。蹴破ろうにも頑丈そうだし、中にいる住民にも嫌われてしまう。


「ど、どうしよう。私が窓から中の人に、開けてくださいって声をかけようかな」


「もしかしたら、中で倒れてるかもな〜、介抱してやんなくちゃ〜って口実ができたところで、いざ出陣!」


「出陣? どうやって?」


 おろおろするヒメをよそに、ファングは兄ネイルの新しい部下である鍵破りに扉を頼んだ。黒装束に身を包み、じっと木陰に潜んでいた鍵破りが、静かに扉へと近づいてゆく。


 ヒメは作業の邪魔にならないように、扉から離れた。


 鍵破りは小さな鏡で鍵穴と型を確認、そして、何が起きたのかヒメには全くわからぬ速さで、針金を鍵穴に突っ込むと、小さな金属音一つ上げ、開錠してしまった。


 扉が無防備に、開いてゆく。


「わああ、ありがとう鍵破りさん」


「……」


「あ、あの……?」


 鍵破りと呼ばれた竜の巣の民は、ヒメの姿を目で捉えてはいるのだが、一言も声を発しない。


 まるで口がないかの様子に、ファングも気になって、彼の近くに寄って観察してみた。声をかけても、質問しても、彼は瞬きするだけで返事をしない。


(あー……してるな、こりゃ。俺たちの血に適応できなかったのか)


 体質が合わないと、人形のようになってしまう。指示はこなすし、指示がないときは淡々と生活もできるのだが、自発的な行動はほとんどなく、会話もしない。そのうち鱗が暴走して、ある日黒い鉱石のような姿になって絶命する。


 邪竜の呪いを解呪する薬は、ネイルのつのと多種多様な薬草とで調合できるが、その薬すら体質に合わないと、もはや元に戻すことは不可能であった。


「無口なヤツなのさ。気にせず行こう」


「う、うん……」


「一応、俺らもヒメさんの後ろをついて行くけど、交渉はヒメさんに任せるね」


「あ、うん。任せて」


 減らず口な相手ならば、マデリンで少し慣れているヒメ。あの娘ほどしっかりした人は出てこないだろうと自分を鼓舞こぶして、ヒメは建物の中に踏み込んだ。


「わっ! 農具だらけ……」


 玄関ホールに、うず高く積み上がっていたのは、ガーデニングも本格的な農園造りも可能な道具、だったガラクタ。先が鋭利に尖った物や、刃物、鉄製の重たいくわなどなど……ヒメはドン引きしていた。


「こんな所で、どうやってお客さんを迎えるの? ケガ人が出るよ」


「客を迎える気がないんだろ」


 ファングが振り向くと、鍵破りはしっかりと後ろをついて来ており、ほっとした。兄ネイルから預かった鬼才の部下だ、紛失するわけにはいかない。


「すいませーん! レイゲン・バードマンさんはいらっしゃいますかー!?」


 ヒメが大声で屋敷の住民に声をかけた。かすかに火のぜる音が聞こえた以外には、火の番をしている人間のものだろうか、せきが聞こえた。


「返事はないけど、誰かいるみたい」


「ヒメさんはここの孫なんだし、それに免じて侵入しちまおうや」


 どうやってこの山を乗り越えて行くのかと困ってしまうヒメに、ファングが壁を指差してみせた。


「ヒメさん、ここに突起があるのわかる? 絵ってさ、額縁も含めると、かなり重いんだ。それを支えたり、吊り下げたりする突起物だよ。正式名称は、知らないけど」


 吊り金具とか、フックと呼ばれるが、そのことを二人に教えてくれるジョージは今、この場にいない。


「私たちの足場になりそうだね」


 壁にたくさん付けられた突起物が、ヒメの目には、どんな大きさの絵画にも適応できるふうに映った。


「もともとは、たくさん絵を飾ってお客さんを楽しませる場所だったんだね……」


 それが今では、全てを拒むように通路に尖った物を積み上げている。


 ファングを先頭に、ヒメも壁の突起物に足と手をかけて、背後の瓦礫を気にしながら進んでいった。


 玄関ホールを抜けて廊下に着地した二人は、鍵破りがついて来ていないことに気づいて、二人して呼んだら来てくれた。どうやら鍵破りに、ここへ来た目的が伝わっていなかったらしい。


 玄関ホールを抜けた先は、広々とした廊下があったが、敷かれた青い絨毯じゅうたんはしわくちゃに偏り、そこかしこに酒瓶が放置されて、ハエがたかっていた。


「お酒の瓶……。洗ってないのかな、ちょっとお酒臭いね」


 ヒメは不安になって、ファングに振り向いた。


「ねえ三男さん、私は、来る場所を間違えてないよね。地図にも、ここだって載ってたし」


「うん、ここが王妃マリアの実家だよ」


「そう、だよね……」


 ヒメは廊下の先を眺めた。竜の巣も、エメロ城も綺麗に掃除されていたから、てっきり母の実家もそうなっているものだと、思いこんでいた。


 廊下の先では、大きな扉が半開きになっており、中にいる住民がせきをしていた。


 ヒメの胸に、未知への躊躇ちゅうちょが芽生えるが、意を決して、扉に近づいていった。


「誰だ」


 春の暖かな部屋の中で、暖炉の真っ赤な炎を見つめる老人が、振り向かずに尋ねた。ツバを吐き捨てるような独特な発音は、高齢ゆえに口が動かしづらいせいなのか、それとも悪態なのか、ヒメには判断がつかなかった。


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