第133話   明日を待て

 ガビィは城の屋根に上がっていた。双眼鏡で上空を見張っている部下のそばに、ちょうど餌のネズミを与える時間だったらしく、一羽の竜鷹がもぐもぐしながら、くつろいでいた。


(こうも続けてタイミングが良いと、後々を不安視してしまうな)


 部下に事情を説明し、ガビィはあらかじめ用意していた一枚の長ーい手紙を、ふところから引っ張り出した。


 驚く部下を尻目に、手紙の上端っこを竜鷹の両足に掴ませた。手紙は折るでもなく、丸めて筒に入れるでもなく、長ーいままだ。その真ん中に、ガビィ直筆じきひつの手紙文がつづられていた。


「よし、飛べ。エメロ国内を、旋回するんだ」


 ガビィは重たい竜鷹を、両手で空に掲げて、屋根のふちまで歩いていった。そして大空めがけて、放り投げた。


 大きな翼を音高く羽ばたかせて、颯爽と飛び上がってゆく鷹、その足には、長ーい手紙が風圧にはためいて空を泳ぎだすという、なんともかっこ悪い絵面が。


「ガ、ガブリエル様、あれは……」


「春の民のグラスに、読んでもらえれば、いいんだがな……」


 春の民に射落とされてしまうかもしれないが、ヒメの誕生日が近く、躊躇している時間はなかった。


 竜鷹の代わりに、ネイルの子供たちに手紙を運搬させる方法もあるが、手紙の受け渡しの相手が春の民の集団とあっては、あまりに危険だ。リアンに、今年の護衛代が割高になると言ったのは、竜鷹一羽分の代金のことである。




 竜鷹はエメロ国上空を、紙が破れない速度で飛行する。暗号を使って書かれた文字は、一般の者が目にすると、まるで幼児のイタズラ書きだ。


「グラス様! グラス様宛に、書状が!」


 三階建ての宿屋の屋根から、双眼鏡で不審物を見張っていた春の民が、となりのグラスに声をかけた。


 グラスは、髪の毛に実ってしまった大中小さまざまな果実を、涙目になりながらナイフでギコギコと切り落としている。


「なんと書いてある」


「今日中に、グラス様とお会いしたい、失礼を詫びたいと、書いてあります。けれど、罠かもしれませんよ。どうされますか?」


「……明日にすると伝えろ。私は、この髪の毛にどんどん実ってくるヤツを、全て切らねばならないからな」


 部下が振り向くと、グラスは頭髪から草の汁を垂れ流しながら収穫していた。ついさっき一斉に実りだし、グラスの養分を吸ってどんどん大きくなってゆくので、早く切り取らないとグラス自身が弱ってしまうのだ。


 春の民から採れるこの実は、強い幻覚作用があるため、裏で高く取り引きされているが、収穫に激痛を伴うため、現時点で春の民に量産する気はない。


「あ……グラジオラス様の花粉のせいですね。わかりました、私が代わりに、エメロ城に言伝に参ります」


「すまんな。さすがに、こんな頭では人前に出られん」


 グラスの部下は、双眼鏡を別の部下に預けると、一人、エメロ城へと向かった。




 割れた窓に、剥がれた床板の修繕。大工を呼ぶために、自室を何十年かぶりに片付けた。けっこう、いらない物が転がっていて、今までこんなに汚い部屋で過ごしてきたのかと、己の病みっぷりを改めて自覚した一日であった。


 そんな変装屋ナディアのもとに、ネイルの使いからの書状が届いたのは、空模様が夕方に差し掛かった頃だった。


「あら、早いわね。もっと待たされるかと思ったわ」


 使いから託されたという手紙をナディアに渡した従業員が、足早に作業場へ戻ってゆく足音を聞きながら、ナディアは手紙の封を破った。


 一枚の紙に、時刻と場所が指定されていた。不満ならすっぽかしてくれて構わないとも、書かれていた。


「どういうお話が聴けるのかしら。内容次第では、竜の巣の民の秘密が、わかるかもしれないわね」


 大工たちの仕事はとても早くて、真新しい床板が周りと浮いている以外に、気になる点はなかった。今は部屋にナディアの一人だけ。片付きすぎた部屋は返って不便ゆえ、タンスの中に押し込んだいろいろな道具を、また取り出さなくてはならなかった。


 面倒だから、ほんの少し逃げたく思った。


 バルコニーに出ると、麗しいエメロ城が夕日を背景に、遠くそびえていた。民の双眸と同じ緑色の屋根を載せて、その後ろに黒い影を落としながら、今日もたくさんの秘密を抱え込み、国の象徴シンボルとして鎮座している。


 どこの国でも、同じこと。ただ一つ違うのは、この国は竜の巣の民がいないと、成り立たないほど弱小国だということ。


「彼らは本当に、あのお姫様を使って願いを叶えようとしているのかしら。だとしたら、どんな願いなのかしらね」


 バルコニーから街を眺めながら、風に当たっていると、見覚えのある後頭部を見かけた。


「あの子……」


 包帯の取れない体を引きづり、周辺を歩いている。見回りをしているのだと気づいたナディアは、ため息をついた。


「あのていたらくで、どうやってこの店を守れるって言うの……本当に困った子ね」


 視線が合ってしまうのも気まずくて、ナディアは部屋へと戻っていった。


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