第129話   執事ジョージ①

 ヒメが大客間に到着するまで、ナターシャは付いてきてくれた。


「わたくしはシグマ様のお部屋へ、薬を届けに参ります。きっとまだ、起きていらっしゃるでしょうから」


「うん。一緒に行動してくれて、ありがとう。また何かあったら、いつでも言ってね。駆けつけるよ」


 ヒメとナターシャは客間の前で別れた。道中、ヒメは、ジョージに会ったらどうしようかとナターシャに相談していたが、まずはガビィに会おうと言われて、それもそうだと、何度も納得し続けた。


 ジョージは、お手洗いに行ったのか、客間の前には竜の巣の民が化けたエメロ人の見張りしかいなかった。ホッとしていいのやら、ヒメは複雑な気持ちで、落ち込んでいた。


 早くガビィに会って、いろいろ相談して、安心したかった。


 だが、


「ええ!? ガビィさんいないの!?」


 油絵の臭いが満ちる客間に、ヒメの頓狂とんきょうな悲鳴が響く。


 さらに恐ろしい絵が視界に入って「うそおおお!? これはいくらなんでもマズイよ!!」と絶叫した。もっちゃりと絵の具を載せられた、得体の知れない生物の姿がキャンバスに塗りたくられている。


「大丈夫なの? 長男さん、これ、人間に見えないよ」


「臓器から描いているらしいぞ」


「臓器!? どうして!?」


「部下が真似まねている画家の、生前のクセだ。まったく、あのマデリンとかいう女傑は、とんでもない画家を推薦してくれたものだな。クセが強くてかなわん」


 と言いつつ、ネイルは楽しそうにしている。


「そ、そこまで調べる目利きな人、いないと思うけど」


「いる場合もある。宮廷画家には、支持者ファンが多いんだ。たとえ遠い昔の作品であってもな」


 そうなのかな、と納得しそうになるヒメ。だんだん自信がなくなってきて、うなずいておくことにした。


「そ、そうなんだ。画家の人選は、うん、たぶん、マデリンもこんなに面倒な人だったとは、知らなかったんだと思うよ。芸術にはうとそうだし」


 ヒメはネイルに、変装屋のナディアが妹の話を聞きたがっていることと、執事ジョージに疑惑がかかっていることを相談した。


「ふぅん、ナディアがか。女性を待たせるもんじゃないな。明日にでも会えないか、こちらから使いを出そう」


「じゃあ、私が変装屋さんにもう一度行かなくてもいいんだね」


「そういうことだな」


 ヒメは心底ほっとした。またナディアに会うのは、どうにも気が進まなかったから。悪党同士の腹の探り合いは、ヒメの性分に合わなかった。


「それで、ジョージさんのことなんだけど、私がガビィさんと一緒に、ジョージさんに訊いてみようと思うの」


「わかった。そっちに任せよう」


「うん、しっかりやるね」


 客間の扉が叩かれ、ネイルの返事を待たずに、ガビィが入ってきた。


「おかえり、ガビィさん! あのね――」


「……兄さん」


 駆け寄るヒメを一瞥いちべつはしたが、ガビィの用件はネイルにあるようだった。ヒメは無言で壁際に待機する。


「ガビィ、戻ったか。首尾はどうだ」


「派手に動き回るヤツらだから、こっちはなるべく、潜伏せんぷくして様子を探った。そしたら……」


 ガビィは今日ずっと、城下町に潜伏して、城の情報を垂れ流すやからを探っていたという。その目立つ容姿でどうやって潜伏していたのかと、失礼を承知でヒメが尋ねると、黒いバンダナで頭髪を隠して任務にあたっていたと返された。


「……緑の髪の春の民が、路地裏に集って話し合っていた。リアンの悪評を広めたのも、今やってる作業の話を広めたのも、やつらだった。しかし……」


 ガビィは春の民グラスについて、ネイルに情報提供した。途中までグラスが付いて来ていたことも、彼が弟に対して複雑そうな感情を抱いていることも、そして、逃げられてしまったことも。


 ネイルは、グラスが逃げてしまう前の、ガビィとのやり取りを詳しく聞きたがった。のらりくらりとした性格のグラスが、何に対して反応し逃げたのか、ネイルはそれを知りたがった。


 一方のガビィは、自分のミスを詳しく答えねばならず、気まずそうにしながら、報告していた。


「……グラスは、リアン王子に謁見し、何かを断られたことを根に持っていた。俺はこれから、リアンに話を聞いてくる」


 気まずげに首を掻きながら、ガビィが壁際のヒメに振り向いた。


「姫、何か言いかけていたな」


「なんでもないよ。私、ちょっと用事を思い出したから、一人で行ってくるね」


 ヒメはネイルにも、一人で行ってくるむねを伝えると、彼はすぐに事情を察して、少し心配そうにしていたが許可してくれた。


(とてもガビィさんを連れて行けないよ。リアンさんに用事があって忙しいみたいだし、それに、へこんでるだろうしなぁ……)


 任務に失敗して帰ってきたガビィ。逃げ隠れにけた種族を大勢相手にして、が悪かったとはいえ、大失態である。


 ヒメはさっきまで、当たり前のようにガビィに付いてきてもらおうとしていた。それが今では、すごく良くないことのように思えたのだ。


 これからヒメが会う相手は、いつも身近にいて微笑んでいるお爺さん。ずっと支えてくれていた人だからこそ、裏切りの真意を尋ねられるのも、自分しかいないと思った。


 それに、もしもジョージが敵側で、ヒメに向かって刃物かこぶしを振り回してきたとしても、勝てる自信があった。止める自信も。


 でも、傷つかない自信はなかった。


 きっと、この客間を出たら、ジョージは待っていてくれている。いつもいつも、そうだったから。


 勇気を出して、扉を開けた。


「……あれ? ジョージさんがいない。まだお手洗いから戻ってないのかなぁ」


 もしかしたら、トイレで倒れているかもしれない。心配になったヒメは、最寄りのトイレから調べてみようと思った。


 ふと窓に、意識が向く。いつも綺麗に咲いている花畑に、今日はたくさんの蝶々が舞っているのが見える。庭師が木々の手入れを終えて、形のよい木々が並んでいた。


「たくさん蝶々が飛んでるな〜。いいよね、キレイな虫さんは。どこでも自由に飛んでさ」


 その並木の奥まった陰に、ロマンスグレーのオールバックが見える。誰かと話しているようだ。


「ジョージさん?」


 ヒメは背を低くかがんで、裏庭へと、こそこそ出てきた。


 春風が吹きすさび、並木の枝葉と、そしてジョージの話し相手の、緑色の長い髪を揺らした。


「ふあ!?」


 春の民だ。あの雑草混じりの、ごわごわした髪質。間違いない。


「ジョ……ジョージ、さん……」


 ヒメは心の準備ができていなくて、何度も客間の向こうのガビィを振り向いた。でも、客間に戻ったら、次の瞬間には春の民もジョージも消えているような気がして、ヒメは固唾を飲んで、覚悟を決めた。


 息を殺して、裏庭へ。静かに、素早く、並木を一本一本、陰にして、ジョージたちと距離を詰めてゆく。


「本当に今回の件に、きみは関与してないの? この国できみを不参加にしたまま、絵の仕事をやり遂げようだなんて、竜の巣ももったいないことするんだねぇ」


「ふふふ、買いかぶり過ぎですよ。たぶん、年寄りは足手まといなのでしょう。若い者は若い者同士、わたくしはただ、何事もなく日々が過ぎますよう、祈っているだけです」


 淡々と会話している。まるで友人のようだ。


(あわわわ、怖いよ……どうしよう……)


 信頼している執事が、敵対している相手と談笑しているだなんて。ヒメは耳を塞ぎたい気持ちと戦いながら、その場にしゃがみ続けていた。


「本日は、どのような用件で参られたのでしょう。今エメロ国は、ぴりぴりと殺気立つ戦場と化しております。お師匠様の姿を、街でお見かけするたび、寿命が縮まる思いですぞ」


「本気で思っちゃいないでしょ。僕がどうなろうと、自業自得だ〜程度にしか思わないはずだ。きみはもう、才能も人生も全てエメロ国に捧げちゃってるんだから。それはそれで美徳だし、責めるつもりはないよ。たださぁ、もう筆は、握らないのかなぁって思って。きみの頼みなら、また絵の具を仕入れてくるよ」


「執事としての仕事が激務でしてな。とても、心を落ち着けて絵を描くことができないのです。姫様と、王子のお姿を、私の最後の仕事にしようと思っていただけに、残念ですなぁ、あのお二人を、揃いで描いて差し上げることができないとは」


 二人は、ジョージが画家だった頃からの知り合いらしい。ナディアの言ったとおりで、ヒメはショックが大きすぎて、どうしたらいいのか、わからない。


「お師匠様、このエメロ国が憎いのはわかります。このような悪戯いたずらをされては、王子のお立場が危うくなり、エメロ国の統率も取れなくなりましょう。それがお師匠様の狙いである以上、わたくしから金銭を援助して差し上げるわけにはまいりません」


 ヒメが驚いて、顔をあげた。そこには、険しい顔の執事ジョージがあった。話し相手の春の民を、まっすぐに見つめている。


「春の民とエメロ国の橋渡し役ならば、別の人をお立てください。わたくしにはとても務まりません。なにぶん、もう歳ですでな」


「……」


「もしもわたくしの生き方が勘に障るのであれば、この場で制裁は受けましょう。貴方は師匠である前に、春の民。自分たちに不都合な人間に、情けをかけてやるいとまはありますまい」


「待って、ジョージさんに何かしたら許さないから!」


 ヒメはたまらず、草間の陰から飛び出していた。


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