第128話   兄弟仲の違い

 春の民の追跡は困難を極めた。シグマが寝不足で気が立っている以上、人混みに連れてゆくことはできないので、ガビィたちは三男の王子ファングの部隊とともに、しらみつぶしにエメロ国内を捜し続けた。


(どうなってるんだ、こんなに捜しても見つからないとは)


 普段の格好では目立つので、ガビィは珍しく黒いバンダナを巻いて赤い頭髪を隠し、路地裏の陰に身を潜めていた。怪しい人物を見かけたから、追いかけてここまで来たのであるが、袋小路には誰の姿もない。


(前回のように、香を焚いてもいなくば、花畑のような独特な体臭もしない……)


 まるで空気を追っているかのようだった。


 今頃は弟たちも、エメロ国を駆け巡っていることだろう。三男とその部隊は、数日間ずっと春の民を追っていた。それなのに、未だ手がかりが掴めないまま、王子の噂や、偽絵画の情報がエメロ国内に漏れている。


(裏をかかれるのはしゃくだ。今日中になんとかしたい)


 これ以上の失態は、竜の巣の民の信用に傷がつく。ガビィはあせっていた。


「グラス様」


 姿がないのに、声だけが聞こえてきた。


「どうしたのです、こんな所で。竜の巣の連中が、我々を追跡しております。今は一つ所の長居ながいは禁物かと」


 こんな所に、グラスという名の春の民がいるらしい。ガビィは、じっと息を殺して、様子をうかがっていた。


 すると、小さなため息が聴こえた。


「……なあ、こんなことをして、いったい何が変わるというのだ」


「なにを弱気なことを。フローリアン王子から受けた屈辱をお忘れなのですか」


「こんなことをしても、春の民への待遇が良くなるわけではない。じつに無意味なことだ」


「グラス様」


 その会話内容に、ガビィの片眉が上がる。


(リアンから屈辱を受けた……? なんの話だ?)


 ガビィは視線を宙に投げて思案する。王子の側近である自分が、そのそばを離れたのは、ヒメを迎えに竜の巣へ帰ったときだった。


(俺が留守の間に、春の民グラスが、リアンに会ったのか? そんなこと、リアンは一言も……)


 ガビィがバンダナの結び目をいじりながら思案する中、再びグラスのため息が聴こえた。


はずかしめを受けたことならば、水に流したとは言い難い。年に一度の墓参りを、王子にじか談判だんぱんしに行ったが、断られた……あのときは私も立腹していたが、今となっては、その腹いせに、こんなことをしていても、どうしようもない気がするんだ」


「弟君のグラジオラス様には、なんと説明なさるおつもりですか。あのかたの計画から、グラス様が降りてしまっては、あの方はきっと独りでも戦い続けてしまいます。たとえ無鉄砲なやり方でも、美学だとかなんとか言い出して、我々の意見を聞かなくなります」


「勝手にさせておけ。あいつは、我々とは違う人間になってしまったのだ。価値観も、優先順位の付け方も、なにもかも違う。私とて、祖であるリーフドラゴンを供養して差し上げたいが、そのために、エメロ国を揺るがす作業に専念する姿を、我が祖が地の底から眺めているのだと思うと、とても情けなくなるのだ」


「グラス様……」


「お前たちは、好きにするがいい。私は降りる」


 ここでグラスを逃しては、永遠に再会する機会が無い予感がしたガビィは、彼らに声をかけることに決めた。


「グラスとやら」


 にわかに、あたりが静まり返った。警戒して黙ったのか、それとも逃げたのか、判断が難しく、ガビィは前者に賭けた。


「待て、どうか逃げないでほしい。俺がここにいると知っていて、そんな話を持ち出したのならば乗ってやる。王子との二度めの謁見を取り次ぎ、仲立なかだちしてやろう。その代わり、逃げも隠れもせずに姿を現せ」


「なっ、グラス様、我々を騙していたのですか!?」


 その問いに、返答はなかった。代わりに、わずかな衣ずれが目の前で鳴る。


「竜の巣の王子」


 ガビィの真紅の瞳をのぞきこむように、虹色の双眸が目の前に現れた。


 協力してやると言った手前、ガビィは彼に手は出さなかった。


「ご協力、感謝する」


 グラスは、にぃっと笑い、そして周囲で見守る部下たちを見上げた。


「お前たちは、隠れていろ」


「いいや、護衛についてこい。俺一人では、お前たちの主人を守り切れん」


 ガビィの発言に、周囲がざわつく。やがて二名が姿を現して、おずおずとグラスに近づいてきた。


 他者の部下をも動かす配慮に、グラスが再度ガビィに攻撃的な笑みを向ける。


「ほほう? 守ってくれるのか、優しい竜の一部よ」


「……妙な真似まねはするなよ。城ではシグマの気が立っている。場合によっては、俺は庇わんからな」


「竜殺しのつるぎか。あれは我々にも効くからな。安心しろ、何もせん」


 その言葉を絶対的に信用することは到底できないが、グラスの部下は気が弱そうだし、別々に行動して騒ぎを起こす可能性は低いと見積もった。


「……ついてこい。俺のそばを離れるなよ」



 堂々と春の民を引き連れて歩いている兄の姿に、三男の王子ファングが仰天して駆けつけてきた。今日のファングは、背丈の似ているエメロ人の少年に化けている。


「兄貴! そいつら、どうしたんだよ」


「待て。事情が変わった。この男をリアンに会わせる」


「は!? なんで!?」


「この男は、春の民の中で発言力が高い。この騒動を、収められるかもしれん」


「はああ!? 正気なのかよ!」


 変装の顔が崩れるくらい眉根を寄せるファング。今まさに騒動の原因を作っている連中を従えて、エメロ城に向かうとは。


「バカ兄貴は、どうして敵の言い分に耳を傾けるんだよ。ぶっ殺しゃ済む話だろ。こいつらさえエメロ国から消えりゃあ、なんの問題も無くなるのに」


 グラスを指差して抗議するファングに、ガビィは肩をすくめた。よくしゃべる相手を説得するのは、骨が折れる。


「春の民について、リアンに確認したいことができたんだ。話し合いの結果によっては、春の民を国内から退けられるかもしれん」


「リアンに会わせるの!? そいつら、リアンの悪口ばっかり言いふらしてんじゃん。俺は反対だね。リアンが襲われたらどうすんだよ」


「俺が阻止する。場合によっては、シグマを応援に呼ぶ」


 腕を組んで、強固な態度を見せる兄に、ファングは頭痛がして、片手で頭を押さえた。ガビィは自覚していなさそうだが、マデリンとシグマ兄妹きょうだいを味方に引き入れている時点で、エメロ国の重鎮に位置している。加えて頑固な性格……ガビィを止められるのは、もはや長男ネイルしかいないのではとファングは懸念した。


「なーんでどいつもこいつも兄貴になつくんだか……」


「ふふふ、恐い顔で追い回してくるやからに、友ができるとでも思うのか?」


「なんだよ、兄貴と友達になりたいのか? やめとけって。そいつ、根暗で卑屈だからさー」


 グラスにべーっと舌を出して、ファングはきびすを返して人混みの中へと消えていった。


 ここ最近のエメロ国は、マリーベル姫の誕生日会の支度したくで浮かれている。祭りや催し物が、あまりないエメロ国は、少ない祝日を盛大に祝う傾向があった。この日に入籍をする恋人たちもいるほどだ。


「仲が良いのだな」


 グラスの感想を、ガビィは皮肉と捉えた。


「どこがだ。弟には嫌われている」


「ふふふ、会話が通じるだけでも羨ましいよ。我が弟は、もはや戻ってこられぬ域まで怒りに支配されてしまった。改心することは、ないのかもしれぬ」


 グラスの声は、酒場で歌う歌手のように艶がある。その美声がかすかに震えているのを、ガビィは無言で聞いていた。


「宣言しよう。我が弟には、お前たちが束になっても敵わぬ。その憎しみは根を張り、枝を広げ、お前たちを、そして全人類の心臓を貫くだろう」


「お前は、それを望んでいるのか?」


「……」


「お前は自分の弟が、俺の親父のような存在になってほしいのか? たいした理由もなく味方を殺す暴君に。お前たちの心臓も気まぐれに貫く、そんなヤツに。お前はなってほしいのか?」


 ……返事がないのを不審に思い、ガビィが振り返ると、春の民たちが立ち止まっていた。グラスの顔から余裕ある微笑ほほえみが、消えている。わずかに顔をしかめ、石畳を凝視していた。


「気が変わった」


「なんだ、急に」


「やはり、ついて行かぬ。お前は、まぶしすぎて不愉快だ」


 そう言い残して、身につけていた瑠璃色のマントをバサリとひるがえし、身を包むと、忽然こつぜんと姿を消した。グラスの部下も同じく。一斉に消えてしまった。



 ファングはやっぱり心配になって、ガビィを追ってきた。


「あれ? あいつらは?」


「どっかいった」


「はあああ!? なにやってんだよバカ兄貴!!」


「知らん! なんか気が変わったとかで逃げられた!」


「城の近くで逃すんじゃねーよ!! 侵入されたらどうすんだ!!」


 取っ組み合いの大喧嘩の末、兄弟部隊総出で周囲の捜索に当たったのだった。


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