第130話   執事ジョージ②

「姫様」


「やあ、お姫様」


 二人の視線に、ヒメはちょっとたじろいだが、後退あとじさりはしなかった。


「ジョ、ジョージさんに、ひどいことしないで」


「べつに何もする気はないよ。ジョージは昔から、優等生だったからね。どんなことも美しく、そつなくこなして、あげくその生き方も一本気で忠義に厚いときたもんだ。心に一点の曇りなき美、文句なしの芸術品だよ。そんな彼に、どうして僕が故意に傷を付けようって言うのさ」


「あなたの言ってること、さっぱりわかんないけど、ジョージさんとは、もう会わないで。ヘンな疑いが、ジョージさんにかかっちゃうから」


 ヒメは青い目いっぱいに涙を浮かべて、ぷるぷる震えている自身を抑えることができず、ぷるぷるしながら立っていた。


 春の民グラジオラスの虹色の虹彩こうさいが、猫の目のように締まる。その目に輝くような美術品を映して。


「わかったよ。きみは家臣思いの良い子だね。こんなに綺麗な子がお城にいるなら、まだエメロ国も捨てたもんじゃないのかもね」


「え? 褒めてるの? あ、ありがとう……って、言えばいいの?」


 また春の民に突然褒められて、面食らうヒメ。そのすきに、春の民は瑠璃色のマントを大きく広げて全身を覆い隠し、姿をくらましてしまった。


 ヒメとジョージは、呆然とその場に立っていた。先に我に返ったほうが、地獄のような気まずさを覚える。


「ジョ、ジョージさん、あの……」


 何から尋ねたらよいのか、目がぐるぐる回りだすヒメに、ジョージが静かに頭を下げた。


「姫様、ご心配をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げるジョージに、ヒメは慌てて首を横に振った。


「そんな、謝らないで。あの、えっとー、さっきの春の民と、どんな関係なのかなーって、疑問に思ってるんだけど、あ、でも違うの! ジョージさんを疑ってるとか、そんなんじゃないからね」


 もはや自分が何を言っているのか、わからなくなって大慌てするヒメの様子に、ジョージはだいたいを察した。自分が疑われ、そしてそのことでヒメがパニックを起こしているのだと。


「姫様」


「は、はい!」


「わたくしは若い頃に、様々な国へ絵の遊学に行っておりましてな、彼とは、そこで出会ったのです。珍妙な集団でしたが、多くのことを学ばせて頂きました。人生の恩師であり、そして今はたもとかつ、そんな間柄あいだがらなのです」


「つまり、今はもう、あの人とは、えんを切ってるってこと?」


「わたくしが異国で画家をしていた頃は、よく珍しい絵の具を調達して頂きましたが、エメロ国に戻った際に、師匠とは別れました。それでも、わたくしを心配してか、はたまた金銭目当てか、たまにああして参上されます。ほんとに、困ったものです」


 たまに……。つまり、ジョージが春の民と接触していたことは、事実であったのだ。しゅんとするヒメに、ジョージが続ける。


「城下町での噂は、我々の耳にも入っております。王子の威厳を損ねるやからは、たとえ師匠であっても許すことはできません。今後も、彼のもとで買い物をすることは無いので、ご安心ください」


「う、うん……でも、お師匠さんのほうから会いにきちゃうんだよね。それは、すごく困ったな……」


 ヒメは、ここが城の中庭であることに、不安を抱いた。まだここに彼がいて、自分たちの会話を聞いているのではと思うと、あたりを警戒して、きょろきょろしてしまう。


「さっきジョージさんは、たまにだけどお師匠さんが侵入してくるって言ったよね。どこらへんから、入り込んでくるの?」


「さあ、どこと言われましても……いつの間にか、この中庭にいるのです。城の中でお会いしたこともありましたな」


「城の中って……最近も?」


「いいえ。十六年ほど前から、ぱったりとお見かけしなくなりました。それが今日、いきなりお庭で片手を振っておられるものですから、寿命が十年ほど縮まりました」


「登場するだけで弟子の寿命を持ってっちゃうなんて」


 まだジョージを失いたくないヒメである。一度で十年ならば、二度目は絶対に阻止せねばならない。


「お師匠さんに、エメロ城の内部構造が、把握されているのかも。ガビィさんたちに報告するよ、いいかな」


「了承いたしました。おそらく、お師匠様も覚悟しておられるのでしょう。目撃者の姫様とわたくしを、手に掛けませんでしたからね」


「ええ? 私たち殺されてたかもしれなかったの?」


「はい。醜い作品は、粉々にされるらしいですから。姫様が美しいお人で命拾いいたしました」


「ええ〜……?」


 ジョージの知られざるぶっ飛び感覚に、ドン引きするヒメである。自分も暗殺業の出身なのに。


 ヒメはガビィに相談したかったのだが、リアン王子に尋問に行っていて留守だったので、困ってネイルに相談した。


 ジョージはすぐさま客間に連行されて、ネイルの事情聴取を非常に協力的な態度で受けたのだった。


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