第127話   ジョージの師匠

「ナターシャお待たせ〜。お城に帰ろうか」


 ヒメが扉を開けると、外で待機していたナターシャが、微笑んで出迎えた。


「あら、その子もナターシャっていうの?」


 ずっと一つの椅子を気怠けだるげに占拠していたナディアが、廊下にいるナターシャを見ようと、身を乗り出した。


 ナターシャはさらりとした長い金髪に、緑色のヘアバンドをした大人っぽい雰囲気の女性だった。見た目だけなら、エメロ国の一般女性である。


 そして、ナディアは彼女に見覚えがあった。変装が崩れるたびに店で直してやっている、常連客だ。


 だが、顧客にナターシャなんて目立つ名前は、記入されていない。妹と同じ名前なんてあったら、ナディアの記憶に強くこびりついてしまうはずだから。


「あなたの変装も、うちでやってあげてるはずだけど、その名前には聞き覚えがないわね。それにエメロ国では珍しい名前よ」


「そのようですね。同じ名前の女性は、この国ではお見かけしておりません」


 にこにこしているナターシャを、ナディアはじっくり観察する。


(たしかに彼女は、うちの客だわ。店に出入りする姿も、何度か見かけた。それに、私が妹と同じ名前の顧客情報を見逃すはずがないわ)


 目の前のこの女は、変装屋を利用するときだけは、別人の名前を使っている。それはなぜか。


(アタシの妹の本名を、この女も知っていたから、気を遣って別人の名前を名乗っていたのかしら)


 しかし、ヒメ相手には偽らずに名乗っている。エメロ国で異国風の名前が呼ばれるのは、都合が悪いはずなのに。


「あなた何者なの?」


「わたくしはただ、ネイル王子から頂いた名前を、名乗っているだけなんです。ちなみに私がお姿をお借りしている、このメイドの本名とは、関係ありません」


 ナターシャの微笑みは、崩れない。頭の回転が速いのか、それとも、事前にしゃべる内容を用意していたのか。


「まだなにか?」


「……なんでもないわ、引き留めて悪かったわね」


 ナディアは両目をつむり、しばし暗闇に一人になって気持ちを切り替えた。ここ最近、どうしてか妹を探そうとしている自分がいることに困惑している。


(あいつが部屋に来たときに、アタシに何かしたのかもしれないわね。昔から、幻覚や催眠術に詳しいヤツだったから)


 あいつとは、もちろん師匠のグラジオラスである。


「それじゃナディアさん、私がしっかりとネイル王子に伝言しておくね。何かあったら、連絡する」


「ありがとう、お姫様」


 ナディアの別れの挨拶を、ヒメも笑顔で返した。


 ナターシャと並んで帰ってゆくヒメの気配が、だんだんと遠ざかってゆく。ナディアは、ヒメにもらった「悩みが消えるあめ」の紙袋を片手に持っていた。こちらから出すお茶は断ってきたくせに、


『これ、薬屋さんで買ったんですよー。悩まなくなる薬なんですって。って言っても、ただの飴なんですけど、よかったら怪我のお守りに、差しあげますね』


 と言って、くれた。なんだろう、怪我のお守りとは。早く治るように、おまじないでも、かかっているんだろうか。なんにせよ、ヒメが優しい子だというのは、よくわかった。


 そして、今回の従者ナターシャを含めて、ヒメに隠し事をしている輩の多さに、ため息が出た。


(あのお姫様の周りにいるのは、怪しいヤツだらけね。護衛のメイドにも不審な点があるなんて、かわいそうな子)


 ナディアは「ちょっと待って」と声を張った。


「二人とも戻ってきて。このふざけたお菓子のお礼に、一つ情報をあげるわ。信じるかどうかは、貴女に任せるけど」


「え? どんな情報?」


 ヒメが部屋に戻ってきた。従者ナターシャは再び廊下で待機している。


 ヒメの扱いやすさにナディアは呆れてしまうが、呼び寄せた手前、嫌味は言わない。


「エメロ城に、やたら忠義に厚い執事がいるでしょ?」


「ジョージさんのこと?」


「ええ。そのおじいさんはね、昔は、エメロ国の貴族からちやほやされてた画家だったのよ。エメロ国一、素敵なタッチで人物を描く芸術家だったわ」


「あ、それなら知ってるよ。今朝、ジョージさんの画材道具の確認に、ついて行ったから」


 あのジョージが、みずからの過去をヒメに教えてしまうとは。そこまでヒメと仲が良いことに、ナディアは驚いたが、顔には出さない。


「じゃあ、彼が引退した理由は知ってる?」


「え? お歳だからとか?」


「フローリアン王子とマリーベル姫の絵に、嘘をつきたくなかったからよ」


 ヒメがきょとーんとしているので、説明がいると判断した。


「変装している王子のお姿を、とても絵に描くことができなかったのね。そして、影武者が変装している偽物のマリーベル姫も、絵に残したくなかったのよ」


「あ……」


「真面目で忠義に厚いジョージくんだからこそ、地位も名誉も捨てて、引退の道を選んでしまったの」


「だから、あんなところに大事な画材を、かぴかぴになるまで、隠してたのか。……ふふ、ジョージさんは、すごい人だね」


 でも、なにも引退しなくても、と思わなくもないヒメだったが、ジョージは誰の説得にも応じなかったのだろう。この数日、一緒に過ごして、そういう人だってわかったから。ずっとヒメを助けてくれた、社会的な命の恩人でもあった。


 そしてヒメは、そこまで聞いて、ようやく合点がいった。なぜ部外者であるジョージだけが、竜の巣の民からすごーく信頼されていたのかが。


 今まで、すごく疑問だったわけではなかったけど、今にして思えば不思議なくらい、ジョージだけはヒメの味方でもあった。


(だから三男さんは、ジョージさんだけは信用できるエメロ人だって言ってたんだね。ガビィさんも信頼を置いてるし。そうか、そういう事情で、竜の巣の民から信頼されてたんだ)


 悪党も認める、一本気。彼だけは信頼できると、誰からも評価される男。エメロ王は寛大であるから、「ジョージがそうしたいのなら、そうしなさい」とか言って、引退を許してしまったのかもしれない。そして職を失ったジョージを、執事として雇い直したのも、エメロ王なのだとヒメは予想した。


 ナディアが椅子から、立ち上がった。真珠のように輝く長い髪も、一緒になって大きく揺れる。


「ジョージくんには、気を付けなさい」


「え?」


 この流れで、そんな言葉が出たことに、ヒメは固まってしまった。今しがた話題に上がった、信頼できる存在が、急に槍玉やりだまに挙げられると、どうしてよいかわからず、思考が停止してしまう。


 何も言えなくなっているヒメ、無言のナターシャ。その二人に、ナディアが近づく。


「彼が、誰のもとで腕を磨いてきたか、知ってる?」


「え、え? あの、剣の師匠みたいな感じの人ってこと? えー……? エメロ人の誰かじゃないの?」


「春の民、グラジオラスよ」


 ヒメは目が点になっていた。今、春の民の名前が出るとは思わなかったうえに、あのジョージが、街で騒ぎを起こす民に従事するわけが。ありえないことだと、ヒメは苦笑した。


「ジョージさんは、そんなこと一言も言ってなかったけど」


「信じるかどうかは、貴女に任せるわ。気になるなら、本人に直接確認を取りなさい。きっと真実を話してくれるわ」


 そこまで言われたら、聞かないままではいられない性格のヒメである。でも、身近にいて支え続けてくれた人を、どういう気構えで疑えばいいのか、まったくわからなかった。


(ジョージさんを、疑いたくないよ。でも、ナディアさんの話が本当だったら……味方から、情報が漏れてるってことになるから……つまり、大変な事態だよね)


 ヒメは城に戻るのが、不安になってきた。執事であるジョージはきっと、帰宅したヒメを出迎えるだろう。顔を合わせないわけにはいかなかった。


 ヒメが頭の中で苦しんでいる様子に、ナディアは、必要そうな情報を渡せて、少し安堵していた。


「今日は、話せてよかったわ。それじゃ、アタシは考え事があるから、しばらく一人にしてちょうだい」


「は、はい……ごゆっくり」


 バタンと閉められた扉。ヒメは、しばらくその扉を見上げて、口を魚のようにぱくぱく。ナディアが何を考えているのか全くわからず、助けを乞うようにナターシャに振り向いた。


「ど、どうしよう、ジョージさんって本当に、春の民と繋がってるのかな」


 ナターシャは、相変わらずの様子でヒメを見下ろしている。


「ジョージ様本人に、ご確認に行きますか? それとも、まずは隊長に報告を」


「あ、そうだった、大変なときこそ落ち着かないと、敵に隙を突かれるんだよね。えっと、えーっと、ガビィさんに相談したのち、ガビィさん同伴でジョージさんに事情を聞いてみよう」


 不安で仕方のないヒメは、とにかくガビィに付いてきてもらいたがっていた。その様子に気づいたナターシャが、


(あらあら。隊長が応じてくれたら、よろしいですね)


 うなずいて、微笑んでいた。彼女はあくまでも、事の成り行きを見守る立場なのだった。


 帰り際に、派手なバンダナの店員が走ってきて、眼鏡入りのケースを渡した。予備の眼鏡のレンズを使って、修理したと言う。


「は、早い! さすが悪党御用達。でも私、もうこれを使う予定が、無いんだよね。また壊しちゃっても申し訳ないし」


「破損したら、またいつでも来てください。それと、この眼鏡は差し上げます。今後使う予定がないとおっしゃいますけど、もしかしたら、外での任務に必要になるかもしれませんから」


 ヒメはありがたく受け取ることにした。この先に外出する予定がないとも限らない、その時はこの眼鏡を使わせてもらうことにした。


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