第126話   ネイルの開発した薬

 変装屋の店を、遠くから眺める、ごつい男が二人。異国風の衣服の特徴を隠しもしない彼らに、向けられる視線は冷たかったが、今更慣れてしまっている。


「オイラ、どうして元の体に戻ったのかな。新しい自分に、なれたと思ったんだけど」


 大きな両肩を、しょんぼりと縮める。彼は食べ物に釣られて竜の巣に捕まってしまい、ネイルの提案に乗って新しい人生を選ぼうとしていた、あの男だった。傷だらけになっても誰からも評価されなかった自分の両手を、じっとみつめている。


「お前さんはそっちのほうが、ずっといい。俺のそばを離れるなよ。また迷子んなられちゃ、面倒だ」


「あ、うん、迷子になって、悪かったよ。でも、どうしてこんなオイラに、親切にしてくれるんだ?」


 尋ねられて、黒い鎧の剣闘士は、薄くなった頭髪を豪快にかきむしる。行動のいちいちを不思議そうに聞いてくるので、答えを出してやるのに頭を使わねばならないのが面倒だった。


「あー、俺たちは同じ主人に雇われてるだろ。理由は、それだけだ」


「じゃあ、オイラもきみに親切にしなきゃだね。あんまり、役に立てないと思うけど」


 へへへ、と卑屈な照れ笑いを浮かべる年上の男に、苦労してきたんだろうなぁと哀れみの目を向ける剣闘士の男。


「ネイル様は、どうしてオイラたちをこの国へ連れてきたんだろ」


「仕事があるからさ。俺たちの仕事は、あのピンクピンクした気持ちわりぃ店の――おっと、現れたぜ」


「ほえ? 誰が?」


 人混みの中、ほぼ全身を包帯や湿布しっぷおおった大柄おおがらな男が、松葉杖を不慣れにつきながら、現れた。こちらには気づかず、まっすぐに、ピンクピンクした店を見上げている。


 その背中の毛深さと、体中の古傷に、剣闘士の男は見覚えがあった。


「聞き覚えのある名前だったから、まさかとは思ったけどな」


「え? 知り合いなんだ」


「まあ、そんなもんだ。俺の国の武闘会で、あいつと同じ控え室になったことがあるんだ。俺は、あと少しってところで準優勝を逃しちまった。で、あいつは……途中で敗退したんじゃねーか? ケガしてたしな」


「へええ、すごいんだなー」


「お前も参加してただろ……なんかの試合直後で、トイレを占拠してなかったか?」


「ああ、あのときか。誰かからもらったお弁当を食べたら、お腹くだしちゃったんだ」


 聞いていた剣闘士が、ガクッと脱力する。


「お前さん、られてんじゃねーか。知らないやつからメシもらうんじゃねーよ」


「だって、お腹すいてて……お金ないから、お弁当が買えなかったんだ」


 そこそこの順位まで勝ち抜いていたにも関わらず、金銭をもらえていなかったとは。賞金がもらえないのは、予選敗退者くらいだった。ギャンブルに全額つぎ込むような性格にも思えないから、だまし取られたのだと推測した。


「なあ、賞金は誰にやったんだ? もらえてただろ」


「うん。でも、オイラが持ってるモノは、全部ご主人様に渡す決まりがあったんだよ」


「んあ? 雇い主のことか?」


「うーん……首輪の鍵を持ってる人だった」


「首輪?」


「そう。みんなもオイラも首輪が付いててー、たくさんモノを持ってこれた人が、首輪を外されて新しい家に入るんだ」


 なんでもないかのように話す男の過去話に、剣闘士は、ようやく合点がいった。


(どこの国の男かは知らねーが、こりゃあ相当扱いの悪い奴隷階級の出身者だな……)


 この男はまともな教育どころか、己のための欲求も、わずかな自尊心すら持つことも認められない環境で、食事も満足に提供されずに働かされてきたようだ。そしてそれを、疑問に思わなくなるほど、長く長く。


 家族も友達もいない、と嘆いていたのは、彼がいちばん格下の奴隷だったか、新しい家でまったく大事にされなかったからだろう。


 剣闘士はそこまで推理した後、今更その過去はどうにもできないことだと結論を下して、話題を切り上げた。


 今は目の前の、見知った後頭部に声をかけるのが先だ。


「おお」


 声をかけられた男が、振り向いた。全身包帯まみれ添え木だらけで、あきらかに安静にしていなければならない状態だった。振り向くだけでも、松葉杖がまともに動かせずに引きずっている有様だ。


「すげえケガだな。まさか、竜の巣にケンカでも売ったか」


「正解だ」


 そう言って、包帯まみれの男は、うなだれた。


「二人して、なんでこんな所にいるんだ。友達だったのか?」


「なーに、今回の雇い主が、エメロ国に用事だって言うから、その護衛だ。ついでにこいつも、雇ってもらったんだ」


 親指で、後ろの男を指さす剣闘士。ぺこりとお辞儀する、後ろの男。


 包帯まみれの男が、その様子を不審そうに眺めて眉をしかめた。


「一匹狼の、お前が? その後ろのヤツを世話したのか?」


「荷物持ちは多いほうがいいだろ。なんたって今回の主人は、買い物が多い多い」


「なら、名案だな」


 剣闘士の適当なデマカセを、信じてもらえたようだ。


「俺に何か用事かよ」


「いやあ、派手にケガしたヤツがいたから、どうしたのかって声かけただけだ。俺たちはこれから、変装屋のナディアってヤツが元気か、様子見に行くところなんだ」


「あいつに、何か用事か?」


「今の主人が、ナディアと親しくてな、様子を聞いて来いって俺に頼んできたんだ。後ろのこいつは、なんでか付いて来た」


 親指で、後ろの男を指さす剣闘士。ぺこりとお辞儀する、後ろの男。


 ちなみに、主人がナディアと親しいという話は、剣闘士がついた嘘である。ネイルはナディアと直接の面識はなかった。


 包帯まみれの男は、その説明で納得したらしく二度ほどうなずいた。


「俺はもう解雇されちまったから、あの店には入れねー。けど、ナディアは今、骨折してるんだ。すっぴんだろうから、会わないでやってくれ。元気かどうかって聞かれたら、たぶん強がって、平気ぶるだろうが、軽い冗談でも受け流せないくらい弱ってる。あんたの主人にも、会わないでやってほしいと伝えておいてくれ」


 ものすごく具体的な説明をされて、剣闘士の男は面食らった。以前のこの男は、がさつ過ぎて他人への観察眼など皆無に等しかったのだ。


「お前、変わったな……」


 驚いているすきに、ヘンなが空いてしまい、剣闘士の男は少しあせった。沈黙すると相手からの不信感が募ったり、質問をされる時間となってしまう。


「なあ」


 さっそく何か尋ねられる気配が。


「一緒にどこかへ出かけたこともねーし、誰にも、手すら触らせねー人がいたとして……そんな人が、これからも生きていけると思うか?」


 ヘンな質問をされたが、こちら側の事情を尋ねる内容ではなかったから安堵した。


「よくわかんねーなぁ。食い物と金があれば、なんとかなんじゃねーの」


 剣闘士はわざとのんきな返答をして、なんの意図もないことを相手に印象づける。


 包帯まみれの男は、また無言で店を眺め始めた。


「……どれほど弱い人なのか、どんなふうに傷ついてきた人なのか、俺には、わからなかった。強がるばかりでな」


「そうか」


 いったい誰の話をしているのかは、剣闘士は尋ねなかった。その代わり、同調するふりをする。


「その気持ち、今ならよーくわかるぜ。今までは自分が勝つために鍛えてきた筋肉を、誰かのために使いたいって、思ったりするんだよな。ガラにもなく」


 ……無言で、うつむく、包帯まみれの男。剣闘士は、肯定と受け取ることにして、身の上話に持ってゆくことにする。


「俺ぁ、この先どうなるのか楽しみな主人を見つけて、就職したんだ。今の主人のもとで、しばらく働くつもりだ」


「就職……? 日雇いで、道場破りで、ふらふらした生き方してた、お前がか」


「お前こそ、いったい誰に懸想けそうしてんだよ。雌犬も逃げてく汗くさ野郎がよ」


「……風呂は毎日、入るようにした。あの店じゃくせーやつは叩き出されるからな」


 こんな大男を、叩き出せる人物がいることに、後ろの男が驚いている。一方、剣闘士は、精神的な意味で彼を排除できるほど強い影響力を持つ人物が、あの店にいると確信した。そしてそれは――あの店の支配者ナディアだということも。


 だけど何も指摘しない。何も気づかぬふりをして、包帯まみれの肩をぽんと持った。


「ま、気持ちの整理がつくまで、ばれないように遠くから守ってやれや。しつこく付きまとうと、それこそ一生涯嫌われかねん」


「ああ……どのみち、この体じゃあ、なんも庇えねーがな……」


 包帯まみれの男は、覇気はきのなくなった眼差しで、店を眺めていた。



 あのまま店を眺めていたいようなので、二人は彼を置いていった。ひとまず、ネイルから出された任務は終了。報告するために帰路に就く。


「さっきの人、なんだかぼーっとしてたね」


「ありゃあ、大失恋したんだな。しばらく立ち直れねーだろうよ」


「ケガしたから、捨てられたのかな。役に立たないと、いらないって言われるから」


「さあな。何があったにせよ、ひでえ女がいたもんだ」


 他人事のように口角を上げながら、焼きたてのパンを買いたがる連れを促し、エメロ城へ戻っていった。


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