第113話 親戚……
ヒメたちが偽装計画を内密に進めていたせいで、リアン王子はネイルがエメロ城を訪れた理由がわからない。
ネイルは大勢いた従者の中から、女性一人と子供を選んで、他は下がらせた。けれど黒装束を着た青年が遅れて走ってきて、女性から「セレン、こっちよ」と声をかけられて、彼だけが女性の横に並んだ。子供から「おじさんだー」と懐かれている。
(若いのに、おじさん……?)
リアンは朝早くから変装屋を呼び、エメロ人そっくりに変装を施していた。そして今、ぼんやりする頭で、ようやくあの青年が子供の親戚なのだと察する。
ネイル一家はエメロ城に入っても、周囲を振り回してくれた。子供がパンケーキを連呼して、子供とは思えない速度で城中を爆走し、壊した品物も数知れず、全員で探してようやく見つけた頃には、疲れたのか廊下の絨毯で大の字になってぐぅぐぅ眠っていた。
エメロ城の美術担当であるジョージが、顔を青くしていたからリアンは何も言わなかったが、じつは小さな子供と追いかけっこするのは初めてのことで、少し楽しかった。
(ネイル王子とは、いつかお会いしたいと思っていたけど、こんなに小さなご子息を連れて来るとは思わなかったな)
ようやく捕まえたお子さんとともに、大客間へと案内するリアンだったが、ネイルから妙なことを言われた。
『世界の裏側を知りたかったら、王子一人で、我々と話そう』
リアンは従者を付けず、一人だった。
「改めまして、僕はエメロ国の王子、フローリアンと申します」
年若いリアン王子の丁寧な対応に、ネイルも青い眼を細めた。
「よろしくな、フローリアン王子。先ほどは息子が失礼した」
「いいえ、どうかお気になさらず。愛らしいお子さんですね」
そのお子さんは今、女性の膝枕でぐぅぐぅ眠っている。彼女がお母さんのようであり、ネイルの妻のようだった。
「いつも弟たちが苦労をかけているな」
「苦労だなんて、とんでもない。いつもいつも、励まされております」
リアンは一度で良いから、ネイルに会いたいと思っていた。ガビィとファングが尊敬してやまない人物とは、いったいどんな志の持ち主なのか。なんだか
「父は今、病に伏せっておりますので、僕が代理として、お話を伺います」
「わかった」
「本日は遠路はるばる御足労いただきまして、いったい、どのような御用件でしょうか」
「そう硬くならなくて構わないさ。もうじきマリーベル姫の誕生日会があるんだろう? それにかこつけて、家族とエメロ国へ観光に来たんだ」
「観光、ですか」
意外にも
「それならば、案内役をお付けいたします。なにもない小さな国ですが、花畑や農園ならば、どこにも引けをとらない質を自負しております」
「そうなのか。では、お言葉に甘えて、あとで歩いてみるとしよう」
パンケーキ、と寝言を発した小さな竜の巣の民に、その場がしばし静かになる。
……口火を切ったのは、ネイルだった。
「フローリアン王子、今日は俺と王子にとって良い日になるよう、願っている」
「それは……ありがとうございます……」
良い日、とは何を意味するのか。リアンは微笑んではいたが、警戒した。いくら憧れの相手でも、相手は竜の巣の王子。もしかしたらネイル王子は、何か高額な交渉に移るつもりかもしれない。
豊かとは言えないエメロの財政を、これ以上圧迫されると困る。
心配するリアンを尻目に、ネイルはソファに座っていた、黒装束の青年に声をかけて、立たせた。先ほど遅れてやってきた青年だった。
その青年は、顔を覆っている黒い布を、不慣れな手つきでぐいぐいとほどいていった。現れたその素顔に、リアン王子は口が開いた。
オレンジ色の肌には、黄緑色の
それだけではなかった。青年の顔は、リアンの素顔にそっくりだったのである。
「この男は、セレン。この国の花屋で働いている春の民だ」
続いてネイルは、寄り添うようにして座っている黒装束の女性にも、声をかけた。ちょっとした動きでも揺れる大きな胸が、その性別をはっきりとさせている。
彼女は座ったままで、顔の覆いを取って見せた。オレンジ色の肌に虹色の目のぱっちりした、彫りの深い美女であった。髪は短く切ってしまっているが、オレンジ色の毛髪の随所に、小さな花が咲いている。
「これはうちの嫁で、セレンの姉のミリア。そして、この爆睡している小さい子供は、誰だか、わかるか?」
リアンはセレンという春の民の青年が、一人でエメロ国に住んでいることは知っていたが、どんな容姿かまでは知ろうとしなかった。どうせエメロ人の厄介な気質に耐えかねて、去ってしまうと思っていたから。
「セ、セレンさんは、僕そっくりに、変装でもしているんですか?」
「いいや? こっちに来て、セレンの顔を引っ張ってみるといい。なにも剥がれたりしないがな……」
ネイルが三日月のように目を細めた。少し傾げた頭部の動きに、首飾りが音を鳴らす。
「ミリアとセレンと王子は、
リアンが無言で、人工の翡翠の両目を見開く中、ネイルは笑みをこぼした。
「それが理由で、ミリアを妻に選んだわけではなかったんだが、この世にはすごい偶然もあるものだな」
本当に偶然なのか。そんなこと今はどうでも良いくらいに、リアンは興奮し、ソファから立ち上がった。
「なんという! 竜の巣の次期王の奥方とその身内が、この僕と浅からぬ血縁関係にあると! なんと喜ばしい! 僕は天涯孤独ではなかった! ずっと独りぼっちだと嘆き暮らしておりましたから、今日この時ほど嬉しく感じたことはありません!」
狂気じみた形相で目を見開くエメロの王子に、セレンがドン引きしてソファに座ってしまった。
「今日ほど我が母にお会いしたいと思った日はありません。ネイル王子、これからもぜひ、エメロ国へいらしてください。貴方とはもっと、たくさんのことを話し合いたい」
「ハッハッハ、さすがの
ネイルが歯を見せて笑っていた。
「幼くして弟たちを従えるほどの男が、どんなものかと知りたかった。なるほど、エメロも安泰だな」
「従えるなんて、とんでもない。怒られてばかりです。安泰どころか問題も山積みで」
「どこの国も、そんなもんだ。王子のところは、父上が物静かで羨ましいけどな」
「竜の巣の王の噂は、存じております。僕の父も、お元気に暴れ回ってくだされば良いのですが」
本当に観光と姉の誕生日を祝いに来ただけなのだろうか。真意を探るには、リアンには時間が足りなかった。
大客間の扉が開かれ、リアンが一人で出てきた。
マデリンがほっとして、小走りに駆け寄る。
「リアン、大丈夫ですの?」
「ああ、マデリン。待っててくれてありがとう」
いつもみたいに微笑むリアンの片手を、マデリンは両手で包んだ。
真剣な目で王子の片手を見つめる彼女に、リアンは苦笑して、そっと手を取り戻した。
「それじゃあ、僕は仕事が残ってるから、執務室に戻るよ。姉さんの誕生日会の会場を、もっと広くできないか、大勢と話し合わないと」
なんでもないふうに安心させようとするリアンに、マデリンは何も言わず、うなずいていた。
(いったい、何がありましたの……? 手が冷えて、震えてましたわ。怒りなのか、悲しみ故なのか……。わたくしが貴方の気持ちに、もっと寄り添える立場であったなら……)
マデリンはときおり、メイド長よりも従者として剣を
唯一、エメロ王だけが、年に三度だけ、国の法律を越えて女性にも特別な階級を与えることができる。その現エメロ王の容体は、日に日に悪化していた。
「王子! 姫様!」
メイド服のエプロンとスカートを揺らして、ナターシャが廊下を走ってきた。
「エメロ王のお部屋へ、お急ぎください!!」
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