第114話   エメロ王の価値観①

 急に激しくせきこみ始めて、今も咳が止まらないというナターシャの知らせに、ヒメと王子は顔を見合わせて、階段を駆け上った。ヒメは履いていたハイヒールを、階段か廊下のどこかへ吹っ飛ばしてしまっていた。


 最上階のエメロ王の寝室の扉の前では、見張りの兵士が、ヒメと王子の姿におろおろしながら扉を開けた。部屋の中の王は、静かだった。


「お父さん!」


「父上、失礼いたします!」


 二人が部屋に入ると、白い枕に頭を沈めていたエメロ王が、目を開いた。その顔の横には、白い洗面器があり、果物の種だろうか、数粒、入っていた。


 エメロ王はかたわらに控えていたメイドたちに声をかけて、痩せた病身を押して、ゆっくりと体を起こした。


「どうした、二人とも」


「お父さん。咳が止まらなくなったって聞いたから、急いで駆けつけてきたんだけど、大丈夫だった?」


「ああ、リンゴのすった物の中に、種の欠片が入りこんでいてな……。こんな小さな欠片で、むせるようになってしもうたわ」


「誰だろ、そのリンゴすった人。私が行って、気をつけるように注意するね」


「ハッハッハ、手違いは誰にでもあるものだ。色で気づけなかったわしにも、非がある」


「お父さんは悪くないよ。食べて元気になる役なんだから」


 ヒメは辺りにただようリンゴの香りに、気がついた。エメロ王の寝台の傍らに、リンゴをする容器と、皮が入ったゴミ箱がある。あわやエメロ王を窒息させかけた犯人は、この部屋で種入りおやつを作ったようだ。


 まさかこの部屋にいるメイドさんのうちの誰かなのかと、ヒメが眉をひそめたそのとき、エメロ王が、ヒメと王子に近くへ来るよう言った。


「先ほど、黒い衣装を着た子供が、この部屋に入ってきたのだ」


「え? あ、きっと竜の巣の民の子供だよ。エメロ城に遊びに来ちゃったんだ」


「ふふふ、そのようであったな……。あの子が、ここにあったリンゴを、ものすごい早さですってくれたのだ。儂の布団の上にも、乗ってきたのだぞ」


「ええ? もう、ほんとに無邪気だなぁ」


 ヒメは、父王も無邪気に思えてきた。普通、見知らぬ子供が高速ですった物を、食べるだろうか。その前に、あの子は手を洗ったのだろうか。


「……姫、儂はあの子供を見たときに、思ったのだ。この子はきっと、姫の未来を映しているのだと」


「私の未来? どういうこと?」


「お前を長らく、竜の巣に預けていた……。そのかん、お前の世話を焼いてくれた者たちも多かったことだろう。お前が心を開き、心から信頼する男も、できたかもしれん、とな……」


「お父さん? 私が竜の巣の民と仲良しなのが、嫌なの?」


 父王の言わんとしていることがわからないヒメは、不満そうに金色の眉根を寄せる。


 父王は、苦笑混じりの微笑を浮かべて、ゆっくりと首を横に振り、ヒメの片手へと、手をのばした。ヒメもそれに合わせて、手を差し出す。


 握られた手を、親子はじっと見つめた。


「……嫌かと訊かれたら、もう少しそばに置いておきたいと言うのが、本音だな。姫よ、もしも心に決めた相手が、竜の巣の民であったとしても……儂は反対せんと、言いたい」


「え? 結婚の話をしてたの?」


「ふふふ。竜の巣の民は、表沙汰にはあまり知られておらん民だ。じつは儂も、詳しくはない……。なにやら黒い噂も多い民ゆえ、不信感を抱く家臣も多いが、姫には、姫が見てきた世界があるだろう……。姫が独自につちかってきた価値観というものも、あるだろうな。儂は、それを否定はせん。この言葉だけは、どうか忘れないでいてほしいのだ」


 そんなことを言われるとは想像もしていなかったヒメは、エメロ王そっくりの青い瞳で、父王の顔を見つめていた。


「私が、竜の巣の民と結婚しても、応援してくれるってこと?」


「そうだ」


 乾いた肌で、にっこりするエメロ王。しかしヒメは、父王の気持ちが理解できなかった。そりゃあ自分は偽物の姫なのだから、誰と結婚しようがエメロ国の人に指図さしずされるいわれはない。どうしてこの人が、自分の将来を案ずるのか、わからなかった。


「王子もだぞ」


 王子は自分も呼ばれるとは思っていなくて、ちょっとびっくりして顔を上げた。


「王子も、未来を共に歩んでくれる相手が見つかったら、連れてきなさい。このさい、性別や身分など問わんよ。子供が産まれないのなら、身内から王子を養子にもらえばよいのだからな」


「……」


 王子は父から矢継ぎ早に出される、優しい条件に、顔が曇った。


「父上、そんな、まるで最期みたいなことを言わないでください。僕は、絶対に貴方に、喜んでほしくて……エメロ国が穏やかになった姿を、貴方に、見てもらいたくて、まだまだ頑張るつもりなんです。どうか、貴方の息子が不安になるようなお言葉は、お控えください」


「不安……? 儂と将来を考えることがか? 儂がいなくなった後も、お前たちは生きてゆかねばならぬのだから、せめて幸せに近づけるように、親として最大限に、尽くしてやりたいと願うのが、お前を不安にさせているというのか?」


 優しいエメロ王の、青い色の瞳。病魔にむしばまれ続けても尚、その輝きと優しさを宿した、穏やかな微笑の中には、心の底から我が子たちを案ずる気持ちが、彼をよく知らぬ者であっても、あふれんばかりに伝わってきた。


 それは疑心と傷心により暗くなっていた王子を、大きく励ます光となった。ほんの少し、王子のこわばっていた表情がゆるむ。


「いいえ、父上のご気分を害するつもりで言ったのでは……」


「わかっているよ、フローリアン。お前が儂の代わりに頑張っているのは、知っている。だが、どうかこんを詰めすぎぬようにな。この部屋にいる者は皆、お前を愛しているのだから、安心していなさい」


 ドンドンと扉を叩く音、続いて「失礼します」と声を張って自己主張する、この男声は。


「うむ、入れ」


 エメロ王の声と少しかぶるように勢いよく扉を開け放ったのは、白銀の鎧にかぶとだけ脱いでいる出で立ちの、グラム伯爵だった。


 ヒメと王子の顔が、再び緊張に硬くなる。エメロ王はそんな二人の様子に気づき、眉毛をハの字にして静かに笑っていた。


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