第12章 ネイルがエメロにやってきた
第111話 黒竜、招来
草木も眠る静かな星の夜を、一陣の風をまとった黒い巨体が切り裂く。とがった鼻先は夜風を受け流し、黒い両翼はときおり力強く羽ばたいては、その身をわずかに上昇させた。
「おとーさんのせなか、はじめてのったー」
寒い夜風を防ぐために、毛布にくるまっているのは、ミリアとその幼い息子。毛布も無しに荷物だけを背負って座っているのは、竜の巣の王子三兄弟の長男であるネイルの、部下たち。パンケーキ作りが得意な、ガビィの
「あ! おかーさん、みてみて! じめんにも、おほしさまがいるよー!」
「そ、そうね。あそこがたぶん、エメロ国よ。あんまり動かないでね、危ないから」
抱きしめていないと、息子が頭から転がり落ちてしまいそうで、心配だった。
竜の羽ばたきが減り、高度が緩やかに、下がってゆく。それに気がついたミリアは、
「到着したのですね。お疲れ様でした、貴方」
巨大な
『今回の仕事には、お前の手助けが必要だ』
夫ネイルから呼び出しを受けたミリアは、その仕事先がエメロ国であると聞いて、弟であるセレンの顔が思い浮かんだ。
『息子を、弟のセレンに、会わせてもよいでしょうか。エメロ国の花屋で働いているんです』
思い切って、ミリアはお願いしてみた。
竜が、深く鬱蒼と茂った森へと、降りてゆく。鋭く大きな両足で木々を裂きながら、その巨体を森の中へと隠していった。
「え!? もうついたの!? つまんなーい! おりたくなーいー!」
「はーい、降りましょうね」
「いーやーだー!」
いやいや期の息子を無理やり引き寄せるが、嫌がって黙らない。怒るお母さんと、大泣きする駄々っ子。これではせっかく闇夜に
(この子を連れて来るのは、まだ早かったかしら。他の奥さんたちに、預かってもらえばよかったかしら。エメロで働いているセレンに、息子を会わせたかったのだけど……。ああ、私が夫に、わがままを言ってしまったばかりに、こんなことに。ああ、どうしましょう)
早くも自分の選択に自信を失う、新米ママ、ミリア。
おいおい泣く息子のそばに、そっと近付いてきたのは、ガビィの甥だった。
「それじゃあ、僕がお城でパンケーキ作ってあげるよ」
「ぱんけーき?」
「とっても美味しいお菓子なんだよ」
「たべる!!」
速攻で機嫌が直った息子に、ミリアはガクッと脱力した。
「この子の機嫌を取ってくれて、ありがとうね。でも本当にお菓子は、作らなくていいからね」
「簡単にできますよ? お父さんたちにも振る舞いたいです」
そう言って、少年は笑顔を向けてくれた。空気を呼んで、幼子をあやしてくれた少年。いつか息子もこんなふうに、しっかりした子に育ってほしいとミリアは願った。
「なにを振る舞うって?」
木陰で部下に着替えを手伝ってもらったネイルが、いつもの召喚士の姿で戻ってきた。一人でも着替えはできるのだが、次期王の証である大量の装飾品をちゃっかり省くので、いつも部下にじゃらじゃらと飾り付けられてしまう。
「おとーさん! おにーちゃんがおかしつくってくれるって!」
元気に指をさされて、おにーちゃんが照れくささに固まってしまう。
緊張感のない場の空気に、これではいけないとミリアが口を開く。
「遊びに来たわけじゃないのよ」
「え、そーなの? でも、おかしは、たべれるよね? おかーさん」
あげないと、また泣かれそうで、苦悩する新米ママ。
「俺も食べたいな。作ってくれるか?」
「はっはい! あ、でも、厨房を使わせてもらえるか、許可を、取らないとですけど」
もじもじと語尾が消えてゆくおにーちゃん。その横で「えー? おかしはー?」と口をとがらせる弟くん。再び兄弟のお菓子をめぐるやり取りが始まるのを、ミリアが神経質に止めようとする。
ネイルはその様子をしばらく眺め、やがてミリアのとなりにやってきた。
「そう気を揉むな。子供たちの好きにさせてやれ」
やだやだ期の息子と無理やり手をつないでいたミリアは、夫の言葉に対し、少しだけ不満げに眉根を寄せていたが、
「……はい、そうしてみます」
おそるおそる、片手をはなしてみた。すると、すぐさまおにーちゃんの元へ駆け寄る息子。楽しそうに
ミリアはほっとして、敬愛する夫を見上げた。
夫の視線は、遠く松明を揺らすエメロ国の城壁へと向いていた。次の仕事のことを考えているのだろう。
ミリアも同じ方向を向いた。そして、妻の顔を捨てて彼の部下と同じになった。
「ん? 竜の巣の民か? ガブリエル様の一派かな」
城門の門番であるクリスは、先輩から代々託されてボロボロの望遠鏡のひび割れたガラスに若干、偵察を妨害されながら、その先頭を歩く大きな男の異様な風体に、眉毛を寄せた。
「
とっても小さい黒ずくめも歩いている。あの落ち着きのないちょこまかっぷりは、幼児だろうか。
「子連れみたいだが、怪しいやつらをすんなりと通すわけにはいかないな」
クリスは部下達に通達し、それぞれ槍や剣を片手にして、門の前に立ち塞がった。
「不審者に声かけるのが、俺らの仕事だ」
その不審者一派が、門の前にわらわらと固まった。
身長二メートル越えの、さらに
修羅のごとく、殺気立つ城門の護衛。恐怖心と緊張感を強烈に与えてくる相手に対して、当然の防衛本能であった。
そして第一印象がこんなふうに最悪になってしまうのが、ネイルのひそかな悩みだったりする。笑ってみせても、口の端から鋭利な犬歯が飛び出してしまう。仲間たちは皆、そう見えないと言ってくれるのだが、見慣れない者がネイルに会うと、不機嫌そうだと言われる。顔の鱗が、彼の穏和な表情を消してしまっているのだ。
「その銀色の鎧の型は。エメロ国の兵士だな」
声をかけるが、兵士たちの表情が和らぐことはない。竜の巣と付き合いが長いはずなのに。
悪いヤツだー! と絶叫しながら背後に隠れる息子に、ネイルは苦笑しながら、再度兵士たちと向き合った。
「失礼。私は竜の巣の第一王子、ネイル・ベイデルギアだ。弟のガブリエルに話があって来た。案内してもらえないだろうか?」
苦笑する際に、傾げた小首。そして大きく傾く、二本の
声色は柔らかそうな雰囲気なのに、なんでか、断ったら殺されそうな不気味な感覚に、兵士たちは顔を見合わせた。
「ガブリエル様の、お兄さんだと」
「ガブリエル様とちっとも似てないけど、どうしよう」
「証拠を見せろって言ったら、戦闘になりそうだな」
「この数じゃあ勝てないよな。応援呼ぶか」
諦めと悟りの境地に陥ってもなお、槍を手放さないクリスたちに、パンケーキが作りたいおにーちゃんが、そっと片手をあげた。
「あの、僕が説明いたします」
おにーちゃんは、エメロ城で働いているガビィの話や、その部下たちが誰に化けているのかなどを、正確に把握していた。それをクリスたちに話して聞かせて、ようやくガビィの兄上一派であることを、クリスたちに信じてもらえた。
仕事が忙しくて、あんまり我が子たちに構ってあげられなかったネイルは、少し見ないうちに成長した息子の姿に、青い宝石のような眼を細めていた。
振り向いた息子に、ゆっくりとうなずいてやる。仲間の役に立てたという自信で、息子の顔は輝いていた。
「おっかし! おっかし!」
ぴょんぴょん飛び跳ねるのは、ミリアの息子。駆け出しそうになるのを、ミリアが手をつないで制止する。すぐに始まる、母子の口論。自分のやりたいことを止められると、すぐに機嫌が悪くなるのは、子供だから仕方がないのだとミリアもわかってはいるのだが。騒いでいるのはこの子だけだから、周りに申し訳ない気持ちになる。
(うちの子も、あの子みたいにしっかりした男の子になれるかしら……)
つい、誰かと比べて不安になってしまう、新米ママだった。
「行くぞ、ミリア」
「あ、はい!」
「わーい! パンケーキ〜!」
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