第110話   最強の用心棒

「は……? え、ちょっと、何をするつもりなの!? まさか貴方も暴力に訴えるつもりじゃないでしょうね。エメロ城に苦情入れるわよ」


「最近、竜がよく鳴くせいか、シグマの気がたかぶって困っている。練習試合のたびに、怪我人を多数出すんだ。少しシグマを落ち着かせるために、しばらくこの店で預かってほしい」


 ナディアの耳にも、甲冑をまとった何者かが走ってくる元気な足音が、聞こえてくる。


(まさか、このためにシグマくんを連れて来たの!?)


 ナディアの口元が痙攣している。


「預けるって……そ、それは、いつまで、かしら」


「そうだなぁ、三日ほどだ」


「……ねえ、ガブリエルくん、本当に申し訳なく思ってるわ。助けてくれたことにも、感謝してる。だからお願い、シグマくんだけはやめてちょうだい」


「さっきの春の民が、また来るかもしれないだろう? 新しい用心棒だと思って、可愛がってやってくれ」


 甲冑をがっちゃがちゃ言わせて、バルコニーによじのぼってきたのは、白銀の鎧を昼下がりの日差しの下にさらすシグマだった。兜の上に、黒っぽい灰色に汚れた子猫が、必死にしがみついている。


「ガブリエル殿! すみません、ネコを助けていたら、春の民を見失ってしまいました」


 そこへナターシャも屋根から下りてきて、バルコニーの手すりに腰掛けた。シグマのせいで足場が狭かったからだ。


「隊長、春の民が踏んづけてしまった子猫を、シグマ様が救出いたしました。飼育したいと申し出ておりますが、許可していただけますか?」


 別のことに興味が移ったシグマに、引き続き春の民を追跡するのは困難だった。ガビィは子猫を両手で掴んで、兜から下ろしてやる。


(ちょうどいい。姫に新しい占いペットくんが来たとでも言っておくか)


 ガビィはあっさり許可を出した。手を取り合って喜ぶシグマとナターシャに、ガビィはさらに声をかける。


「二人とも、次の任務に当たってくれ。この人に怪しい人物が近付かないか、ずっとそばで守るんだ」


「御意」


「ちょっと待ってちょうだい、何を考えてるの! ただでさえブッ飛んでる子なのに、うちで暴れられたら、店の中に仕込んだ歯車がずれちゃうわよ! 仕事にも支障が出るわ! 貴方たちだって困るでしょ!?」


「こっちは世界一の用心棒を、無償で貸し出すんだぞ。歯車ぐらいなんだ、手間賃だと思って地道に直せ」


「なんなのよ貴方は、さっきから! 誰も勝てない用心棒なんて雇ったら、うちにいる他の組織の用心棒たちから警戒されちゃうでしょう!? アタシと従業員が、完全にエメロ国に染まったと邪推されるわ!」


「俺の知ったことじゃない。自分でなんとかしろ」


 猫を片手にしたガビィと、ナディアが眉間を突き合わせる距離で睨み合う。


「けっきょく貴方も暴力に訴えるのね」


「正義の味方じゃないからな。お前が怪しい客の情報さえ渡せば、俺たちはおとなしくエメロ城に帰ってやる」


「……」


「わあ、血の匂いがします」


 シグマの嬉しそうな声に、ナディアが無言で兜を見上げると、シグマは床に落ちていたナディアの鼻血へと、兜の目線を向けていた。


「人間寄りの、甘みを含んだ匂いの中に、竜の巣の民特有の、芳しい血の匂いがします。二種類の血液を同時に体に流してるなんて、うわ〜誰なんだろう、斬ってみたいな〜、もっとたくさん嗅いでみたいです」


「ではな、変装屋」


「ちょっと待って!! 行かないでガブリエルくん!! ガブリエルくんってば!!」


 ひょいとバルコニーの手すりを飛び越えて、街へと下りてゆくガビィ。証拠不十分の疑わしい変装屋の動きは、三日間ほど完封され、ついでに店も閉めざるを得ないだろう。そしてシグマがいれば、春の民も侵入できない。


「自分の男運の無さが、嫌になるわね……」


 ナディアは手すりに頬杖をつきながら、街にできた人だかりを眺めた。ミシミシという軋み音に気付いて振り向くと、シグマが血の付着した床板を、めくっているところだった。



 たくさんしゃべったから、のどが痛む。街でお茶でも買って飲むかと思っていた矢先、


「兄貴! 白昼堂々と何やってんだよ」


 バルコニーから街へ着地したガビィを待っていたのは、変装屋が利用できずに厚着のコートでごまかしている三男だった。


「シグマが変装屋の三階によじ登るところを、街のみんなが固唾を飲んで見守ってたんだぞ。落ちるんじゃないかって」


 晴れた空の下で、雨も凌げそうなフードがちょっとした違和感をかもしている。


 だが、堂々としているガビィに比べたら、些細な問題であった。おまけに今は、猫まで小脇にしている。


「……シグマの握力ならば、手袋を何枚重ねていようが、落下することはないだろう」


「変装屋に情報吐かせるために、シグマを連れてくるなんて。兄貴のほうがよっぽど強引じゃんか。しかも、その猫……。何があったのか尋ねるほうも疲れるんだけど」


「……これは占いペットくんだ。エメロ城で飼うことにする」


「はああ? 占いぃ?」


 三男は知らないのである。ガビィは偽物に仕事を妨害されただけでなく、ヒメの私室に全裸で爆睡してしまったあげくに、それを執事ジョージにからかわれたことを。


 ナディアが鎮痛剤さえ隠さなければ、あんなことにはならなかった。ついでに占いペットくんなるモノも、誕生しなかった。


「……飼うのは冗談だ。今頃シグマも、猫のことは忘れているだろう。母猫がどこかで見つかればいいんだが」


「いないっしょ。最近の竜の遠吠えに、野良猫どころかネズミや羽虫まで見かけなくなったんだ。竜鷹も怯えるほどだし、並の小動物じゃエメロ国にいられないと思うよ」


 ガビィは赤い瞳を見開いて、辺りを軽く見渡した。最近、仕事や対人関係のごたごたに気を取られていて、自然に目を向けているいとまがなかった自分に気がつく。


 恐怖で震えている子猫の脇を持って、自分と目線を合わせさせる。


「……。お前、親に置いていかれたのか?」


 汚れて灰色になっている子猫。母猫と一緒だったならば、綺麗に舐めてもらえるはずだから、もしかしたら、本当にひとりぼっちなのかもしれなかった。


 ガビィが子猫のふっくらしたピンクのお腹を凝視していると、後ろから「あのぉ」と、息も絶え絶えの女性の声がかかった。


 振り向くと、いつも派手なバンダナを頭に巻いた、変装屋の女性従業員であった。走ってきたらしく、苦しげに胸を押さえている。


「どうした」


「ナディア様から、伝言です。疑わしいお客様の情報を、お一人だけですが、お渡しするそうです」


 彼女の後ろから、シグマが走ってきた。ナターシャもメイド服のスカートを揺らしてついてくる。シグマはナディアの鼻血が付着した床板を一枚、小脇に抱えていた。


「ガブリエル殿! ナディアさんから頂きました!」


「……よかったな」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る