第109話 用心棒の男
ガビィがそっぽを向きながら、ため息をついていた。
「証拠が無いなら、口上で説明はできないのか?」
「……顧客情報よ。提供できないわ」
数多の危険な組織から贔屓にされている店だから、脅された程度で客の情報を売ってしまっては、店の信用が無くなり、従業員たちの命も、危険にさらしてしまう。
「……だろうな。だからお前の恋人は、闇医者送りになったんだ」
「……わかってるのに訊くなんて。それと、恋人じゃなくて、ただの従業員よ」
「部屋にいた、あの春の民は誰だ」
「……言えないわ」
「あいつも顧客か」
「少し違う。でも、言えないわ」
ナディアが気まずそうにしながら上目遣いでガビィを見上げると、意外なことに、ガビィの視線はナディアの手の中に収まっている、猛禽類の爪に注がれていた。
「その爪、竜鷹の
「ええ、たぶんそうよ。標高の高い、どこかの山にしか生息しないって噂の、獰猛で賢い鷹なんですってね」
するとガビィが
「お前の恋人も、同じ物を持っていたぞ」
ごつごつした表面に、削れば繊維が取れそうなほど硬く筋張った、お世辞にも綺麗とは言い難い、でかい爪。
ナディアたちが大事に持っていたのは、装飾品と呼ぶよりも、ガラクタか薬の材料にしか見えない代物だった。
「あいつは用心棒の仕事中、装飾品を身に付けない。見つけたのは、あいつの部屋の中だ」
「まさか、押し入ったの?」
「いいや。鍵を渡された」
ガビィが懐から、今度は小さな木の板を取り出した。これを宿屋の店主に渡すと、各自の扉の鍵が開くという、不思議な仕組みの鍵だった。
「あいつは俺を信用している。俺は動けないあいつの代わりに、お前を守るよう頼まれた。この爪は、お前に見せればわかってもらえる、というあいつの言葉を信じて、ここに持ってきた」
「貴方が勝手に押し入って盗んだ、という可能性も捨て切れないわね」
「だったら、従業員を使って恋人に直接訊けばいい。たしかに俺に預けた、と言うはずだ」
本当だろうかと、ナディアは手の中の、竜鷹の爪を見下ろした。
「……貴方と彼って、そんなに仲が良かったかしら。爪に鍵に、さらには貴方を頼るだなんて」
「意外か? あいつは俺に、返しきれない借りがあるんだ。
「貴方からお金借りてたの!?」
ナディアは思わず、寝台から立ち上がっていた。金に苦労しているだなんて、一度も聞いたことがなかったし、よりにもよって竜の巣の民から借りるなんて。
いったい何が原因で、借金ができたのか。ガビィの口から出た答えは、ナディアを再び寝台に座り込ませるほど、信じがたいものだった。
ナディアの店は、様々な得意先の事情により、各組織から無償で用心棒を派遣されていた。この店を守る目的の他に、ナディアたちが裏切らないよう監視する目的も兼ねていた。
その男も、そういった者の一人だった。仕事と報酬以外に興味がない性分だったが、ガブリエルという変わった青年が、この店の店主と会話しているのを何度か目撃するうちに、だんだん、自分とこの青年の何が違うのかと、悩むようになったそうだ。
他者を惹きつける「美」の基準は、たくさんある。
男からの相談を受けたガブリエルは、強さこそこの男の美学だと理解し、高額の情報料と引き換えに、とある秘境へと、男を手引きした。
そこはなんと、竜の巣の周辺を守護する、先住民の村だった。彼らは狩猟民族であり、戦闘民族。ここの一員と認められた者は、その証として村長から竜鷹の爪を授かるという。
ガブリエルは男を挑発するように、腕に竜鷹を留まらせた。
『……あいつらは加減を知らないからな。俺が審判になる』
「え……? 貴方が彼を世話したの? 彼が一人で手に入れたんだと思ってたわ」
「悪党に貸しを作るなんて、あいつもよっぽど焦ってたんだな」
真面目な顔でしゃあしゃあと話すガビィに、ナディアはもう、どこからツッコミを入れてよいのやら、寝台に座り込んでしまった。
「あいつから俺に相談してきたんだぞ。全くなびかないお前と、どうすれば長く話ができるだろう、と相談された。悪党に相談すれば、カモにされるのがオチだというのに」
「アタシを物で釣れと、彼に言ったの?」
「でかい鳥の爪なんか、欲しがるお前じゃなかっただろ。あいつはビンタを一発食らって、お前を
「……」
「あいつのどこが良かったんだ。色恋に興味のない俺でも、釣り合わないと気付くぞ」
「恋人じゃないわ。弟みたいなもんよ……。あれでも、アタシの代わりに、泣いたり怒ったりしてくれる子なの。いつだって全力で味方してくれるわ。……悪党だらけの商売してると、そういう純粋さに、救われるのよ」
ということにしておいた。本当は、なんでこれを受け取ったのか、自分でもわからなかった。大怪我を負って包帯まみれの彼から、いきなり押し付けられたのだ。わけがわからなくて、その結果、彼の怪我が治るまですごく心配した。たったそれだけの
「貴方にも、いない? そんな子が」
「いないな」
ばっさり即答するガビィ。本当になんにも心当たりが無いのかと、驚くばかりの清々しさだった。
「そういうわけだ。俺とあいつは繋がりがある。俺はここに来るより先に、闇医者のもとへあいつの見舞いに行った。そこで、お前を守るよう頼まれたんだ」
「引き受けたのね」
「条件付きでな。いろいろと聞き出してきたぞ。お前が俺に化けて、鎮痛剤を買い占めた挙句燃やしたのは、あいつがどうしても俺に嫌がらせをしたいと言って聞かなかったからだそうだな」
「……え? 待って、本当に彼がそんなことを言ったの?」
「……お前と俺が話しこむ姿を、前々から不愉快に思っていたそうだ」
ガビィは会話し続けることに、かなり疲れてきた。もともとしゃべるのが不得意なうえ、今日は口達者なナディアと闘うために、喉や胸のあたりに力を込めてしゃべっている。
「……鎮痛剤の事件は、全て自分一人で考えた、と言っていた。だからお前を責めないでやってほしいと。それから、お前を守ってやってくれ、とも言われた。あんたの金じゃ俺は雇い切れないと断ったんだが、借金してでも払うと頼まれた」
「それで借金したの……」
竜の巣の民は、仕事の確実性が高い分、少々の成金ではとても雇い続けていられない。支払いが滞ると、全財産を奪われた挙句に殺される。
「俺には、いつ完済されるか不明瞭な支払いを、待ってやる義理はない」
「……」
「それにあいつは、邪推したあげくの
「……情報は、出せないわ。貴方だけを特別扱いしたら、大勢の客を敵に回しかねないの。それだけアタシの店には、貴重な情報が集まるのよ」
ナディアは青い顔で眉間を押さえ、ため息をついた。
「でも違うの。鎮痛剤の件は、アタシの仕業。貴方に化けるには、いろいろな道具がいるから、彼に荷物を持ってもらってただけだったの。だから彼は、無関係よ」
「……そうだろうとは予想していた。お前があいつに従うとは、考えにくかったからな。竜の巣の民に喧嘩を売るとは、いい度胸だ」
「ほんのちょっと、困らせてやりたかっただけなの。それに貴方は優しいから、謝れば薬代で許してくれると思ったわ」
「舐められたもんだ。こっちも暇じゃないんだぞ!」
「ええ。もう懲りたわ」
ナディアもいろいろあって、疲れてきた。喉が乾いて、脱水症状から頭痛もしてくる。片手で随時、こめかみを押さえていた。
「アタシ、もうあの子と別れる。こんなにお金にだらしない子だなんて、思わなかったから」
この展開はガビィの予想外だった。赤い瞳が、ちょっと右往左往する。
「……もう別れるのか?」
「借金なら、アタシに請求なさい。それを手切れ金代わりに、彼とは縁を切るわ。新しい用心棒を
「……ふぅん、そうか……あいつ、可哀想だな。全部お前のためにやったことなのに、お前の悪戯騒ぎの代償に、絶縁されるのか」
「なんとでもおっしゃい。嫉妬深くて、貴方に弱みを握られ続けるバカなんか、うちに要らないの」
「……ナディア、俺の何に腹を立てた」
「たった一人でも、輝ける貴方が、羨ましかった。意地悪したのは、それが理由。でももう二度とやらないわ。払った代償が、あまりにも大きすぎたから」
「……払った? 誰にだ?」
ガビィが、目を細めて振り返った。
外から、甲冑がガシャガシャ鳴りながら店へと近づいてくる。
「俺はまだ、なんの仕返しも済んでないぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます