第103話   竜を神にしようとした時代②

 マデリンが持ってきたマグカップの一つを、ヒメも飲んでみた。……竜の巣で毒味を訓練されたヒメの舌に、コーヒー豆の苦味が広がる。


(これなら最高の眠気覚ましになるぞ)


 彼女が間違えないで良かったと、ヒメはほっとする。マデリンはコーヒーを飲みながら、まだまだ眠たげに、授業を再開した。


「ガブリエルは、白銀の竜の心から誕生したと云われています。もっとも多くの国で、この信仰は浸透していたようです。竜の優しさ、寛大さ、そして救いの手を差し伸べてくれる愛、それらを人間たちは期待しました。その現れとして、各地でガブリエルの性格は異なりましたが、その国の理想の救世主として描かれている場合が多いです」


「わあ、すごい。ガビィさんは今は私たちの救世主だよね」


「暗殺者ですけどね」


 皮肉で返された。でも、めげないヒメ。だって次のページには、ガブリエルの絵があるはずだから。嬉々として、資料をめくってみると、真っ白な紙が一枚。しかも、これが最後の頁だった。


「あれ? ガビィさんの資料だけ、絵が無いよ?」


「竜の心に、形はありません。ガブリエルを信仰する国々は、彼を人間の感性で形にすることを禁じました。一説によれば、いざ絵に描いてしまうと、描き手によってガブリエルが頼りなく見えるのを防ぐ目的があったようです」


「ああ、スラッとした美人に描いたら、ムキムキの筋肉質が好きな人から反感買う、みたいな感じか」


「恐らくは。彼の理想の姿は、個人の理想として空想上で描かれ、人々は理想の救世主に少しでも近づけるように、己を磨いてゆく……そういう宗教だったようです。これには、本当に自分たちを救ってくれるのかわからない小竜を宛てにせず、自分たちでなんとかしようという、不安の裏返しから生じた方針のようですわ」


「あ……そうなんだ」


 ヒメは白紙の頁を眺めてても仕方がないので、資料がびっしりと掲載された頁に戻った。先ほどマデリンが話した、人の手で形を残さない理由が、もっと詳細に記されていた。


(小竜の愛を期待する反面、裏切られた場合にも備えてたんだ。複雑だなぁ、人の心って)


 専門外の分野だと、受け身でいるしかできないヒメ。そんな彼女の横で、マグカップ片手にマデリンは続けた。


「ガブリエルを信仰していた国は、人や神聖を絵や像に残すと、その力が半減すると信じ始め、避けるようになっていきました。おかげで当時の資料は文字ばかりで、それ以外に現存する手がかりと言えば、国外に逃れた芸術家たちが作った、難解なセンスの作品のみだそうですわ」


「あ、そのガビィさんは、見たくないかも」


 ヒメはおもしろそうに肩をゆすって笑っていた。

 マデリンはその様子を見て、ヒメが充分に興味を持ってくれたのだと確信できた。


「以上の資料を元にして、わたくしなりにシナリオを作ってまいりました。モデルとして選んだのは、エメロ六世。彼は正妻との間にお世継ぎが産まれず、側室の女性たちが大勢産みました。しかし、どの資料にも、側室の方々のことが曖昧あいまいに記されていて、資料によっては、名前も出身地も違うという、いい加減ぶり。ですが、存在しない架空の側室をわたくしたちが作ってしまえて好都合ですわ。マリーベル、よくお聴きになって。そして矛盾などを感じた場合は、指摘してくださいな」


「はい」


「では、参ります」


 マデリンはのどを潤す勢いで、コーヒーを半分以上も飲んでから、資料を


「彼女はガブリエルを信仰する、春の民でした。春の民は、国を持たない放浪の民。エメロ六世に見染められて、城に迎え入れられましたが、彼女は宗教上の理由と、自らの出生を恥じるあまり、絵画にその美を残すことを良しとしませんでした」


「おお、なんか、それっぽい」


「適当な相槌をどうも。で、エメロ十世はもちろん彼女に頼みます。彼女は折れ、しかし条件を出しました。それは、とても小さな額縁に収まる程度なら、というもの。さらには、その絵を王の自室の家具の中に隠してほしいというものでした」


「わあ、飾ってほしくはないけど、貴方のそばで大事にしてほしいって意味だよね? ちゃっかり王様の自室を指定しちゃって」


「王は、承諾しました。彼女は無茶な願いを聞き入れてくれた王を深く愛し、そしてお世継ぎに恵まれました」


「わ、その赤ちゃんはきっと可愛いだろうな」


 いちいち入るヒメの相槌に、マデリンはイラッとしていたが、好きにさせておいた方が頭に入りやすいかとも思い直し、咳払い一つして、先を続けた。


「しかし、お世継ぎは母親に似ない子でした。エメロ王そっくりだったのです。その事を、春の民の彼女は喜びました。それと同時に、いつか自分に似た子供が、どこかの代で産まれてしまうのではと、不安も抱いたのでした」


 リアン王子のことだと、ヒメは思った。


「やがて彼女の存在は、城に相応しくないという理由で家臣たちからの大反対に遭い、エメロ王の奮闘むなしく、彼女は王のために城を去りました。産まれた子も連れてゆきたいと申し出た彼女でしたが、エメロ王そっくりの特徴を持つ赤ちゃんは、そのまま城で生きてゆくことになりました」


「ああ……離れ離れに……」


 春の民の女性の心情を思うと、やるせなくなってきたヒメは、ふと、我に帰った。


「あ、これ作り話なんだった。それにしても、すごいよマデリン! こんなの一晩ですらすら書けるなんて!」


「あら、貴族の歴史には、よくある話ですわ。それを少し引用しただけですの。愛人の子は引き取ったけれど愛人は城に入れないとか、浮気しまくった果てに産まれた子供が、なんとなく旦那様に似ているからごまかせた、とか。現実のほうがずっとドロドロですわ」


「おお……なんか、あなたが言うと説得力がある気がする。今までいろんな人を観察してきたんだね」


 ヒメはマデリンがなんの紙も配ってくれないことに、ちょっと眉毛が上がった。


「ねえ、資料は?」


「はい?」


「いや、はい? じゃなくて。さっきマデリンがすらすらしゃべってたシナリオ案は、どこに書いてあるの?」


「書いてませんわよ」


「え!?」


 ほら、とマデリンが手持ちの資料を見せてくれた。そこには、三兄弟の名前の神様についての説明が記されているだけで、エメロ王の話などはどこにもなかった。


「暗記して話してたの!? すご〜い!」


「貴女も暗記してくださいな。大衆の前で王子を庇えるのは、身内であり姫である貴女だけ。失敗は許されません。さあ、今わたくしが話したことを、貴女も反芻なさって」


「え……そういうの早く言ってよ〜、そしたらちゃんと覚えたのに」


「覚えているところまででよろしいですから。長い台詞は、何回も何日も繰り返して、覚えるものですわ。貴族たるもの、舌を噛むような長いお世辞もお名前も、間違わずに言えませんとね」


「ああうんうん、ごめん、今から思い出すから、ちょっと黙ってて」


 ヒメは文机で頭を抱えながら、全く記憶から引き出せない冒頭部分に苦悩した。


 マデリンがぬるくなったコーヒーを飲みながら、待っている。


「えーっと、昔々、あるところにエメロ王と春の民の女の子がおりまして〜」


「ブハッ! はあ!? わたくしがいつ昔々なんて言いまして!? もう一度しっかり思い出して、ハイッ!」


「ええっと……エヘ、なんだっけ?」


「貴女ねえ! 王子の命運がかかっていますのよ!? へらへらしてないで、もう一度最初から、わたくしが話す内容を一字一句お聴きなさい!」


「ふええ、そんな怒んないでよー。あんな長いの、一回じゃ覚えられないって〜」


 マデリンの詰め込み式スパルタ教育により、ヒメは昼過ぎにはだいたいの内容を覚えることができたのだった。


(もしもマグカップの中身がタンポポコーヒーだったら、もっとゆっくりした授業だったかも……)


 部屋で一人になったヒメは、マデリンの嫌味と怒鳴り声が幻聴となってしまい、しばらく苦しんだのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る