第102話 竜を神にしようとした時代①
「さ、マリーベル。王子に
「はーい」
マリーベルの私室に、ヒメとマデリンが集う。
今日のヒメはレースたっぷり、フリルたっぷりの、体を締め付けない黄色のワンピース。もっと簡単に表現すれば、ちょっとおしゃれな部屋着だった。
不思議なことに、今日のマデリンも似たような格好をしている。黄緑色のおしゃれな部屋着。頭部も、いつものリボンを編み込んだ髪型ではなく、リボンでゆるーいポニーテールに。しかも、ちょっとぐしゃっとなっている。
「元気な返事、大変よろしい。わたくしもある程度は、シナリオの雛形を考えてきましたの。各地の宗教的な価値観の差異を、シナリオ制作に利用しましょう」
「宗教?」
「あなたは、そこの勉強机の椅子に腰掛けて。詳細を記した資料を配りますわ」
マデリンは薄い書類の束を二部、手に持っていた。ヒメが文机の椅子に着席すると、一部をヒメの机に置いてくれた。その表紙に書かれた題名『シナリオ制作の資料』は、文字の形だけで高い品性を感じさせるほど美しかった。
「貴女に興味を持ってもらうために、いろいろと資料を調べて、まとめてきましたわ」
「興味かぁ……ありがとう、マデリンさん、じゃなかったマデリン。私、別の国の知識が、あんまり無いんだよね。資料がまとめてあるの、すごく助かる」
マデリンが片手で口を覆いながら大あくびしつつ、雑にうなずいていた。
早朝とは言い難い時刻だが、眠そうだね、とヒメが声をかけると、夜まで資料制作、そしてさっきまで、王子と朝食会に出ていたことを明かされた。
「うわ、な、なんか、ごめん……。資料制作、一緒に手伝えれば良かったよ」
ヒメは罪悪感から背筋を伸ばした。昨夜は、変装屋の惨事にショックを受けるあまりに、早めに寝てしまったのだ。
「お気遣いなく。わたくし一人で充分でしたから。では、こちらの資料をご覧になって。表紙をめくってくださいな」
言われるままに、ヒメは表紙をめくってみる。
「これ、破いたような跡があるんだけど、まさか、本からちぎっちゃったの?」
「ええ。グラム家が所有する資料から、ちぎってきましたの。昨日のうちに、人を使って、我が家の書架からね」
マデリンも手の中の資料を一枚めくりだす。ヒメはその資料を、座ったまま背伸びして覗きこんだ。
「マデリンも同じ資料を手に持ってるんだね。二冊分の本を、やぶっちゃったの?」
「心配しなくとも、うちは貸本屋ではありませんわ。それに、あと数冊は同じ本がありますから。贈り物として本をもらうことがありますの」
マデリンは飄々としているが、ヒメは自分の考えた作戦のために、誰かが私物を犠牲にしたというのが、すごく心苦しかった。
この資料、大事にしようと思う。
「それでは、一行めから読んでいきましょう」
「はい」
「エメロ国の周辺には、同じようでいて微妙に違う宗教的価値観の小国がたくさんありますの。はるか昔、竜がこの地に降りてきたときに、人々は竜を、超自然的で万能感にあふれた、頼りになる存在だと決めつけて、依存しようとしました。竜を全知全能な神として崇めることにより、日々の不安から解放されようとしたのです」
「不安から、逃げるために、竜に万能って設定を付けようとしたんだ」
「その結果、うまくいきませんでしたけどね……。黄金の竜は亡くなってしまいましたし、白銀の竜は、人間との交流に嫌悪感を示していましたわ」
「ありゃりゃ……」
「それでも、各地に住む人間たちは、黄金の竜が残してくれた慈愛と、白銀の小竜がきっと隠し持っているであろう『都合よく発動する奇跡の力』を信じ抜こうとしましたわ。その結果、各地には白銀の小竜の化身とされる、神様が想像されました」
マデリンは一息ついてから、また声に出して読んでゆく。
「慈愛と、包容、統率力、そして家庭愛を司る、ネイル。小竜の爪から生まれたとされる彼は、海のような青い瞳の優しい眼差しと、子供や家族の先行きを案じて、少し困ったような笑顔を浮かべる神様です。おもに女性が信仰していたそうですわ」
マデリンが簡潔に説明したものより、もう少し詳しい情報が、資料(本から破り取られた
マデリンがヒメの机の上の資料を、一枚めくった。
そこには、横を向いた男性の全体像が、どこかで見た覚えのある緻密なタッチで描かれていた。ヒメは海を書物でしか読んだことがないけれど、波打つ長い髪と、ゆるやかな外套、そして青々とした大きな眼差しに、不思議と穏やかな気持ちになれた。彼の腕の中には、ふっくらと肥えた赤ちゃんが、安心しきった顔ですやすやと眠っている。
「なかなかハンサムに描かれておりますけれど、もしかしたら、家事を手伝わず稼ぎも入れないうえに子供にも無関心な夫にうんざりした女性陣が、理想の神様を想像してしまったのでは、という説がありますの。それほど、この地域の女性は、身分が低かったそうですわ」
「女性たちの心の支えと、理想と希望が、このネイルって神様だったんだね」
「青い瞳は、気持ちの穏やかさと、静かな海を表しているそうですわ。横暴な旦那が多い地域だったんでしょう」
ヒメは資料の男性を眺めていた。
(うちの長男さんとは、似てないな。名前が似てるから、少し似てたらおもしろいかなって思ったんだけど。……まあ、似てないのは当たり前か。長男さんは神様じゃないもんね)
ボーッとしていたら、マデリンに次の頁をめくられた。またも、細かな解説がびっしりと並ぶ。
「そして次に、激励と賞賛、勝利と友情を司る神、ファング。彼は小竜の牙から生まれた神様とされていますわ」
「わあ、私もその四つは欲しいかも!」
「ファングが信仰されていた地域は、内乱と喧嘩が絶えず、人としての価値は腕っ節の強さだけといった、治安の悪い国だったそうです。隅に追いやられた弱者にとっては、今すぐ欲しいモノを司る神様が心の拠り所だったのでしょう。ファングの目が黄金でできているのも、きっと信者たちがお金を欲しがっていた現れだったんでしょうね」
マデリンがヒメの机の資料を一枚めくると、そこには、山のような金貨の上にあぐらをかく、金色の眼球の小竜の絵。鱗も金銀でできており、片手に黄金の錫杖を持っている。ヒメは壁に飾るだけで、お金持ちになれそうだと思った。
「ねえ、ひょっとして、ガブリエル、って神様もいる?」
「ええ。竜の巣の王は息子たちに、各地の神様の名前を付けているのです。悪党に、その名を付けるというのが、竜の巣の王の性格を表していますわね」
「マデリンって怖いものナシだよね。堂々とうちの王様を悪く言うエメロ人は、あなたが初めてかも」
「あら、わたくしは賞賛していましてよ? 世界中を敵にまわすような真似を、いともたやすく行える王など、彼一人でしょうから。まさに悪党ですわね。人々の安寧の祈りと、その信仰を、暗殺業という形で、
ヒメは自分の名前にも、何か人を不快にさせる意味付けがされているような気がした。今のところ気にしていないヒメだが、今後何かで由来を知ったときは、落ち込むだろうなぁと予測した。
(せめて悪い意味でないことを祈ろう……)
「……」
ふと、マデリンの活気が消えた。ヒメがひよっと眉毛を上げて、静かになった彼女のほうを見ると、
「え、寝てる……」
立ったまま壁にもたれて、船を漕いでいた。
「マデリン、大丈夫? 続きは、明日にしようか」
「……ん? あ、いいえ、もう少しがんばりましょう。厨房からコーヒーを頂いてきますわ。すぐに戻ります」
眠い目をこすりながら、マデリンが提案する。コーヒーに眠気覚まし効果があるのはヒメも知っているのだが、
(あ、昨日はジョージさんへのお土産に、タンポポコーヒーを買ってきたんだけど、あれってカフェインが入ってないんだったな……)
昨日、厨房の人にあげてしまったコーヒーは、苦味のみで眠気を覚ます。
ジョージから「これもコーヒーですが、わたくしが欲しかった物と違うんです」なんてケチを付けられて、ヒメは初めて、タンポポコーヒーの存在を知った。紙袋にタンポポの絵が描いてあったのだが、ヒメはてっきり、春だから店員さんが描いてくれたんだと思っていた。中身はコーヒー豆の粉末だと思いこんでいた。
ヒメがノンカフェインのコーヒーについて悶々と思い出している間に、マデリンは部屋を後にしていた。コーヒーのマグカップを二つ持って戻ってきた頃には、かなり眠たそうにしていた。
(お盆にも載せずに、持って来ちゃったんだ。これはそうとう眠いんだぞ……)
目をこすりながら授業を進めようとするマデリンに、ヒメはちょっとだけ休んでほしいと思った。綺麗な絵本でも眺めれば、少しは気分転換になるかもしれない。内容は、とても気持ちのよいものではないが、眺めるだけなら、あの本ほど眠気の吹き飛ぶものはなかった。
「ねえマデリン、黄金の竜と白銀の小竜が登場する絵本は知ってる?」
「あのくどいくらいの緻密なタッチの絵ですわね、知ってますわよ。ああいうの見てると、頭痛がしますわ」
「ああ、細かい絵を見るのが、苦手なんだね……」
絵本の話題は、あっさりと終了させられた。
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