第100話   ガビィの甥

 ガビィの甥は、今年で十二歳になる。見た目は成熟しているが、仕事は動物の肉を狩る以外に、ほとんど未経験であった。今はエメロ城の厨房で、新入りという設定でエメロ人の青年に変装し、調理を手伝うかたわら、毒などを混入されないように見張る役目を担っている。


 そんなわけで、ガビィは甥の持ち場である厨房への扉を開けた。


「ちょっといいか」


伯父おじさん? どうしたんですか?」


 きょとんとした顔で、うっかりガビィとの関係性を示唆できる単語をこぼしてしまい、ハッ! として両手で口を覆った。


「ごめんなさい! つい名前を」


「ああ、次からは気をつけるんだな」


 今は、この甥しか厨房にいなかった。何か調理した後らしい、甘くて香ばしい匂いがただよう。ガビィは火の消えたコンロに置かれた、からっぽのフライパンを眺めた。


「……やけに本格的なのを作ったようだな。簡単な物でいいと、頼んだはずだが」


「あ、パンケーキです。王子は果物がお好きだと聞いていたので、ジャムにして、いっぱいのせました」


 ふわふわの髪を白い帽子にまとめた、あどけない顔のエメロ人の青年が、小首を傾げて穏やかに微笑んでいる。ガビィはパンケーキが甥にとっては簡単な料理なのだと知って、ちょっと面食らった。


 さらに、甥の両手に目が止まって、二度びっくりした。やけに黒い手袋をしていると思ったら、黒い鱗の生えた両腕だったのである。


「おまっ、腕の変装はどうした!」


「あ、すみません、報告を入れるべきでした。料理を作るときは、手と腕の変装を取ってるんです。そのままで食材を触るのは、不衛生ですからね」


「それは、そうだが……ずいぶん思い切ったことをするんだな」


 ガビィには料理のために変装を解くという発想が無かったから、よけいにびっくりする光景だった。


 一方、甥は、勝手に変装を解いたことを、咎められているのだと思い、ちょっと慌てだした。


「あ、あの、じつは、料理長には、僕の正体がばれていました。僕が変装屋さんで作ってもらった腕には、防水加工が施されていたのですが、料理長が『その分厚ぶあつい手袋を外さないと、厨房には入れんぞ』って」


「そうだったのか……なぜ言わなかった」


「ごめんなさい。厨房の皆さんといっしょに、料理を習うのが楽しくて、つい……。腕を出しても、誰も僕のこと嫌ったりしなかったんです。新入りさんがしょっちゅう周囲とケンカしてましたけど、すぐに仲直りしていました」


 なんとも気の抜ける返答である。ガビィはこの甥が今まで楽しく料理をしていた事実を、初めて知ったのだった。料理の才能を見出され、料理長含め、友と切磋琢磨して過ごしてきた、この甥。暗殺業を生業とする悪党の巣の出身者が、その腕で料理を作ることを、この場の職人が満場一致で許すとは、いったい、どれほどの才能を見出されたというのだろう。本人はぽけーっとしているが、ちょっとした事件である。これも兄へ報告してやりたい気持ちを押し殺して、ガビィは咳払いした。


「厨房の掃除は後だ。今すぐ、屋根まで来れるか。お前の親父に、届けてほしい手紙があるんだ」


「はい、すぐに向かいます」


 甥は白い帽子を外して、腕まくりを直した。でも、一度取ってしまったエメロ人の腕は、ガビィと二人がかりでも上手くはめ直せなかったので、小脇に抱えてゆくことにした。



「あ、ガブリエル様……」


 早急にお耳に入れたいことがある部下が、屋根に上がってきたガビィの姿を見るなり、声をかけた。が、ガビィの後ろから、腕を小脇にした竜の巣の少年がついて来たので、目を点にして黙ってしまった。


 部下の無言に気づかず、ガビィは竜の巣のある方角を、甥に指差して見せた。


「できるかぎり高く飛んでくれ。下から、春の民が狙い撃ってくるからな」


「え……怖いです」


「お前の鱗なら、矢を弾くことができるだろ。それとも、腹に鱗が生えていないのか?」


「生えています、大丈夫です、だけど、めっちゃ怖いです!」


 正直に弱音を吐く、新米の竜の巣の民。まだ子供だから、仕方がないところもあるのだが、鷹が怯えて降りてこない今、頼りになるのはこの子しかいない。


 ガビィから手紙の入った木の筒を受け取った際に、甥の指がかすかに震えていた。けれど、怖いからやめたい、とは言わない彼を、ガビィは信じた。


「ああ、そうだ、お前が直接に行ってくれるなら、兄さんに伝言を頼めないか。今、人物画の偽造品を作ろうとしていると。モデルは、春の民だ」


「わかりました! では、行ってきます!!」


 甥が一人で屋根を駆けだした。駆けてゆく途中でみるみる体がふくらみ、背中からエメロ人の皮をやぶって出てきたのは、大人一人なら乗れそうな、黒い小竜。仮の姿を足下に脱ぎ捨て、漆黒の翼の関節を広げて、屋根を踏み台に跳躍! 両翼で大きく羽ばたいた。


 不器用に激しくばたつく翼が、なんとも危なっかしい。それでも、ガビィから言われたとおりに、徐々に高度を上げながら、大空へと飛び去っていった。


 甥の成長に、ちょっとガビィが感動していると、


「あの、ガブリエル様、お伝えしたいことがございます」


「お! いたのか。なんだ」


 後ろから急に声がかかって、振り向いた。


 部下はようやく、街での騒ぎと、変装屋の骨折を伝えることができたのだった。




 高く高く、伯父に言われたことを守って、どんどん高度を上げてゆき、城下町の屋根屋根が靴で踏めそうなくらい小さく見えてきた頃。


「ん? なんだろう、城壁の上に、人がいる」


 あんなに高く積み上がった巨大な白い石の上に、数人が焚き木を囲って立っている。


 彼らは小さな竜に、ボウガンの切っ先を向けていた。


「え?」


 一斉に発射された矢の先端が、肩や腹、それからほっぺたに当たった。分厚い鱗に弾かれて、落下してゆく。


「ギャアアアア! いたーい! ウワ〜ン! お父さ〜ん!!」


 いきなり攻撃されて、パニックでワアワア泣きながら、それでも竜の巣を目指して飛行した。


 この日、エメロの城下町に、晴れた空から雨粒が数滴と、折れた木の矢が降ってきたという。


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