第99話   変装屋の抱く悪夢

 臨時休業と書かれた木札のかかった取っ手に指をのばしかけ、ヒメは「あ」とジェニーに振り向いた。


「お店に入るときって、暗号がいるんだよね。ジェニー、知ってる?」


「暗号は、裏の仕事の用件でのみ使います。眼鏡を借りる程度なら、堂々と表玄関から入って問題ないでしょう。若い女性であるわたくしたちがこの店を尋ねても、周囲からは不自然には思われないかと」


「でも、扉に臨時休業って看板が下がってるよ? 裏から入ったほうが自然じゃない?」


「若い女性が路地裏をうろつくほうが、よほど目立ちます。わたくしたちは、臨時休業でも買った商品を返品したいだけの、ただの一般人、という設定でいきましょう。さ、ノックしますよ」


 ジェニーがヒメを追い越して、容赦なく扉を叩いた。


 扉の硝子ガラス越しに、派手なバンダナを頭に巻いた細身の女性が、びくびくした様子で近づいてくる。鍵を開けて、おそるおそる顔を出す。そしてジェニーの顔を見るなり、カエルのように目を見開いて「ひい!」と鋭い悲鳴を上げた。


「ま、まだ何かご用ですか……」


「え? 私たちは、今日初めてここに来たんだけど」


 店員の女性の怯えきった反応に、面食らったヒメも語尾が縮まってゆく。わけがわからずジェニーに振り向くと、ふてぶてしさを覚えるほど堂々と二の腕を組んで店員を眺めていた。


「わたくしたちは危害を加えに来たわけではありません。仕事の依頼です。この人の目の色を緑に変えてほしいのです。特殊な色付き硝子ガラス眼鏡めがねがあったでしょう、アレをお願いします」


「は、はい、少々お待ちください」


 店員は扉をばたんと閉めたが、勢いあまって、扉が細く開いてしまった。店員の背中が遠ざかってゆくのを確認してから、ヒメはおそるおそる、薄暗い店内を観察してみる。


「うわ……お店の中、棚とか壊されてるよ。商品も引き裂かれて、床に散らばってる。泥棒と乱闘したのかな」


「さあ? どうしてでしょうね」


 ジェニーの薄ら笑いに、ヒメの直感が冴えた。


「知ってるんでしょ。何があったか教えて! はい、私はちゃんと聞いたからね。聞かれなかったもので、なんて言い訳しないでね」


 小さな舌打ちとともに、ジェニーが真顔をずいと近づけてきた。


「エメローディア、この甘えん坊が、よく覚えておきなさい。悪党は常に危ない橋を渡ってゆく生き物です。故に、仲間同士の信頼を欠くような真似には、かなりの代償が伴います。たとえば、この店に献上品を欠かさなかった、我々のような上得意様を裏切ろうものならね!」


「まさか! 調査の手が回ったっていうのは、うちの仲間が変装屋さんのお店をめちゃくちゃにして、白状させようとしたってこと!?」


「店だけで済んでるといいですがね。明日も利用する場所ですから」


 ヒメは信じられない生き物と遭遇しているかのような心地で、青い目を見開いていた。リアン王子と、竜の巣の民の両方を、支えてくれていた商売仲間に、こんな形で尋問するなんて。


「へ、変装屋さーん!」


 ヒメは変装屋の店主が無事か、確認したい一心で、店の扉をくぐった。来客を告げるベルが、可愛いらしい音を鳴らした。



 ぐちゃぐちゃの店内の隅っこには、片付けをしている涙目の店員が数名いたのだが、ヒメは気づかず、従業員用の扉を思いきり開けた。


「店主さんいる!?」


「しーっ! 今、ナディア様は薬の影響で、神経が過敏になってるんです。お静かにお願いします」


 さっきのバンダナの店員が、口もとに人差し指を当てて必死にお願いする。ヒメもつられて、うんうんとうなずいた。

 店員の手には、薄く黄色みがかかった色硝子の眼鏡が、折りたたまれた状態で収まっていた。これが、目の色を変える眼鏡なのだろう。


「どうかしたのかしら、お姫様」


 このローテンションな、野太い声は。

 しかしそこのソファに座っている人物の横顔には、見覚えがなかった。くっきりとした鋭い目付きを気だるげに潤ませて、妖艶な微笑を浮かべている、真珠のような肌をした美青年であった。


(うそ、だれ、この人! 声は店主さんだけど、すっごく綺麗な人……)


 そのあまりの美しさに、ヒメは生唾を飲んで魅入ってしまう。こんな城下町の奥で、座っているような身分の人ではない、だが、誰の目にも触れられないように閉じ込められてしまいそうだから外出させるのも心配になってしまう、それほどの美貌の持ち主であった。


 この場の光源は、全てこの人を輝かせるためだけにあるのでは、そんな錯覚さえ抱くほど真っ白に艶めいた長い髪は、白いリボンで一つにゆるくまとめられており、カッターシャツ一枚からゆるく透けているボディラインはしなやかに引き締まっており、白いスラックスも、体をしめつけない作りながら、足を細く長く魅せてくれる、美へのこだわりを詰めた上物だった。


「もしかして、アタシのお見舞いに来てくれたとか」


 横顔だけでヒメを魅了していたその人は、ゆっくりと正面を向いた。……口の端は切れて真っ赤に、片目は開けられないほど青紫色に腫れ上がっている。


 数日前にヒメを愛らしく飾ってくれた利き腕は、白い三角巾で吊られていた。指先まで黒ずんでおり、どう見ても捻挫ねんざ程度ではすんでいない。そのことが、ヒメの背筋を凍りつかせた。


「私の、仲間が、やったんですか……」


 ショックで喘ぎ喘ぎ言葉を選ぶヒメの様子を、店主はじっと観察していた。その額には、玉のような汗が浮いているけれど、真珠色の肌は光を反射し、その衰弱ぶりも隠してしまう。


「顧客の名前は出せないの。でも、慣れてるから心配しないで。こんな商売をしているもの、客ともめることもあるわ」


「慣れてるって……」


 ヒメには聞き捨てならない言葉だった。痛みに慣れるなんて不可能だ。痛いものは痛い、そのはずなのに、この人は。


「すごい汗ですね」


 ヒメの後ろから部屋に入ってきたジェニーが、店主を一目見るなり、そう言った。


「骨折の痛みを、市販薬のみで鎮めるのは限界があります。違法な薬物も駆使して、激痛を抑えているのならば、話は別ですが」


「骨折!? 薬物!?!? 店主さん、ほんとなの!? ちゃんとお医者さんに診てもらった!?」


 ヒメの素っ頓狂な声が、薬物で神経過敏になっている店主の聴覚を激しく刺激した。思わず歪んだその表情に、ジェニーが愉快げに口角を上げる。それに気づいた店主が、表情を消した。


「人の心配をしてる場合かしら。貴女にもこれから、たくさんの試練が待ってるわ。今から備えなさい。味方は案外、少ないものよ」


「あ! 今、はぐらかしたね、診察行ってないんでしょ。あなたの腕の骨が変な方向に癒着したら、後から治すのが大変になっちゃうんだよ!? 仕事にだって支障が出るかも!」


 本気で心配するヒメの説教が、頭の奥にまでビリビリ響く。店主は両耳をふさごうとして、片手に走った痛みに顔をしかめた。そんな自分に、自嘲がこぼれる。


(必死になった声が、妹にそっくりだわ。なんだか、あの子に叱られてるみたい……懐かしい感覚ね)


 こんなことを思い出すのも、きっと薬の影響だと、自分に言い聞かせた。今は感傷に浸ってる場合ではない。この腕を折った犯人が、この場にいるのだから。冷静さを欠いては緊張の糸が切れて、倒れてしまいかねない。こんな状況で、それだけは回避せねば。


「エメローディア、今の店主は接客ができる状態ではないようです。出直しましょう」


「え? でも、助けてあげようよ。ねえ店主さん、眼鏡なんていいから、一緒にお医者さんに行こう。ヤダって言っても、引っぱってくからね。ジェニー、この近くのお医者さんを教えて」


 ところがジェニーは返事の代わりに、恐怖を感じるほどの怪力でヒメの腕を引っぱり寄せた。


「彼らと我々は、金銭と引き換えに利用し合っている、赤の他人です。余計な世話まで焼くのは間違いですよ」


「それは、そうかもしれないけど、でも毎日お世話になってる人でしょ? ここでそんな言い方するなんて、ひどいよ」


「我々の用件に応えられないのならば、用済みとして消すまで」


「ええ!? さらにひどい!」


「我々と契約している以上、皆、それぐらいの覚悟を持っています。エメローディア、何度も言ったような気がしますが、彼らは仲間ではありません。いいかげん理解しなさい」


 ぴしゃりと言われてしまい、それでもヒメは、あきらめて見捨てるという決断ができなかった。初めて黒以外の衣装を教えてくれて、お城でも応援してくれた店主の声が、胸に刻まれているから。


「ジェニーの言ってること、わかるんだけど、納得できないよ」


 ヒメは金色の眉毛を思いっきり真ん中に寄せた。自分の意思と、組織のやり方、板挟みになるたびに、疑問と恐怖で胸が苦しくなる。


 仲間を失うことは、ヒメも初めてではなかった。仕事で命を落としたり、竜の巣の王に殺されたり。けれど、いずれもヒメの目の前で起きたことではなかった。ヒメは目の前で、弱っている仲間を見捨てた経験が、一度もないのだ。


(うああああ! もうやだ! 頭が混乱して痛くなってきたよ! ガビィさん助けて! ぜんぶ、違うって、否定して、お願い……)


 うまく息が吸えなくて、涙目で首元を押さえて苦しむヒメに、ジェニーがしぶしぶといった表情で歩み寄って、その背中をさすってやった。


 それを眺めていた店主の瞳孔が、薬の影響で開いてきた。光が異様に強く目に入り、ちかちかと瞬く中で、白いベールをまとった小柄な少女が、大勢に惜しまれ、別れ際に抱きしめられながら、祝福されてゆく。そんな幻覚が、意識を支配していった。


 少女が、おずおずと振り向いた。その目の色は、翡翠色。髪も肌も唇の色だって、全てが白なのに、彼女の目の色だけが、なぜか。


 ひび割れた唇が、励ますように口角を上げる。そして、言葉を紡ぎ出すために、ゆっくりと花開いた。


『それじゃあ姉さん、行ってくるね』


「待って!!」


 突然の金切り声とともに、店主がソファから立ち上がった。その手は、ヒメへと伸ばされている。


「あ……」


 我に返って、手を引っ込めた。行動が制御できない自分に驚いたせいなのか、動悸が激しくなり、目の前が揺らぎ始めてゆく。かろうじて視野の隅にいる従業員を発見できたのが、ものすごく幸運に感じた。


「そこのあなた、眼鏡をお客の顔に合うように調整して。奥の部屋に器具があるわ」


「は、はい!」


「アタシは部屋に戻る。誰も入らないで」


「え? しかし、一人でいると幻覚や幻聴がひどくなるからって、さっきナディア様ご自身が――」


 店主はしんどそうに足を引きずり、部屋の扉を開閉して出ていってしまった。店員の心配げな声も、届いていない様子だった。


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