第95話   おしゃれ着で、お土産を

 玄関マットに触れた手を、使用人共同の洗面台でしっかりと洗い、備え付けの鏡を見た。メイド服を着た、マリーベル姫が映っている。


(そうだ、城下町までナターシャと買い出しに行ったとき、私はメイド服を着てたのに、春の民がすぐにマリーベル姫だって気付いたな。じゃあ、このメイド服で変装屋さんに向かうのは危ないな……)


 ヒメはリアンに貰ったおしゃれ着に着替えることにした。メイド服のままでは、街に潜んでいる春の民に正体を見破られ、再び街が混乱の渦に巻き込まれるかもしれないから。


「おや? 姫様、お仕事は無事に終わりましたか?」


 二階の廊下の椅子に座っていたジョージが、ヒメが歩いてくる姿に気付いて、声をかけた。


「うん、ばっちり! 私、ちょっと部屋で考え事してるね」


 ヒメは部屋に戻ると、桃色のミニドレスに、こっそり一人で着替えた。


(よしっと。で、たしかお城のメイドさんが、お出かけをするときは従者を付けるようにって言ってたっけな……)


 外出すら一人で行けない身の上。竜の巣から一人で出たことのない、世間知らずなヒメも、さすがに煩わしく思い始めた。でも、勝手に外出したのがバレたら、周りからやいやい責められるわ、周りもやいやい責められるわで、心苦しい。


(誰を連れて行こうかな〜。マデリンさんとガビィさんは忙しいし、ジョージさんは変装屋さんと仲が悪いみたいだしな……)


 以前ヒメが変装屋と話していたとき、ジョージは激しく警戒していた。彼の意外な一面だったから、ヒメはよく覚えている。


(用事が用事だし、竜の巣の仲間に来てもらうのが一番だと思う。よし、誰か呼んできてもらお)


 ヒメは廊下で待機している執事ジョージに、手の空いている竜の巣の民がいたら部屋に呼んでほしいと、頼んだ。


「あ、ジョージさんには、誰が竜の巣の民なのかわかんないか。みんな変装してるからね」


 ヒメが出したお願いを引っ込めようとすると、


「姫様、この有能は執事をあなどってはなりませんよ。どなたが竜の巣の民か、そうでないのかを、しっかりと把握しております。では、お時間の空いているお仲間を、呼んで参りましょう」


 そして、連れてきてくれたのが、


(げ、あのポニーテールは……)


 髪型の他にも、一人だけ黒のリボンで髪をまとめているセンスや、他のメイドと違って無愛想なところが群を抜いているのが特徴的だ。もはや正体を隠す気がないのかもしれない。


「お呼びですか、姫様」


「あ、あのー……えっと……」


 ナターシャか三男の王子が来てくれるものとばかり思いこんでいたヒメは、本当にこの人しか手が空いていなかったのだろうかと大変がっかりした。それが顔に出ないように、顔面の筋肉に力を入れて普通の表情を保ってみせる。


 が、


「わたくしが出した課題は、こなして頂けましたか?」


 あ、と顔に出やすいヒメの反応に、ポニーテールのメイドの金色の眉毛が刹那の早さでつり上がる。

 ガビィが仲間を危険にさらしてまでエメロ国に仕える理由、それをガビィ本人から尋ねるという用事を、ヒメはすっかり忘れていたのだった。具体的には、王子の衝撃的な入浴現場に飛び込んでしまったあたりから、記憶がいろいろと抜けてしまっていた。


(素直に、忘れてた〜なんて言うのは、まずいかも。『では、わたくしは忙しいので別の者にしてくださいませね』とか言われて、立ち去られそう)


 もういっそ一人で抜け出して、また部屋で謹慎になったほうが気が楽だろうか。くじけそうになりながらもヒメは平常心を装おうと努力する。


「そ、その答えは、ここでは言えないな」


「はい、か、いいえで答えられそうなものですが?」


「それは、そのー……まあちょっとそのへんに置いといて。大事な用事ができたから、一緒に来てほしいの。すぐに済む用事だから」


 やっちまった、と冷汗を流すヒメ。無論、こんな芝居で快く引き受けてくれるような相手ではない。


「その用事とは、ナターシャでは不可能なのですか? わたくしよりも彼女のほうが、面倒見が良いでしょうに」


「あ、自覚あるんだ」


「なにかおっしゃいましたか」


「イイエ。ジョージさん、今からでも、三男さんかナターシャを呼べる?」


 ヒメも心からそのほうが良いと思っていた。このメイドは忠誠心が竜の巣の王ただ一人へと向いており、ガビィに不信感を抱くあまりに新米のヒメにスパイをさせるという、恐ろしい性格をしている。マデリンよりも厄介だ。


 尋ねられて、ジョージは申し訳なさそうに、眉毛をハの字に寄せた。


「ナターシャは、シグマ様と食堂の片付けをしておりました。彼女を呼びつけるのは、やめたほうがいいでしょう」


「そうだったんだ」


「三男の王子様は、どちらにいらっしゃるのかは把握しておりません。あのかたはエメロ城内部では働いておりませんからな」


 ジョージが知っているのは、エメロ城内部の常勤だけだった。


「三男の王子ならば、城下町で情報収集をしておりますよ」


 答えたのは、このメイドだった。


「じゃあ、暇なのはあなたしかいないんだね」


「暇なものですか。この人手不足のせいで、竜の巣の我々すら、こき使われているというのに。貴女の誕生日会の支度したくにまで、参加させられているのですよ!」


「ああ、それも不機嫌な理由なのね」


 今初めて知った上に、他人事感が丸出しのヒメのバカ面に、メイドが険しい表情を見せる。


 しかし、ヒメはひるまない。むしろ、やっぱり自分も働くべきだと強く確信できて、己の行動に自信が湧いた。


「だったら尚更、あなたに付いて来てもらいたいな。名前はなんて呼べばいい?」


 平然と名前を聞いてきたヒメに、メイドの険しい顔が脱力とともに解除された。


「ほんっとに、貴女という人は……ジェニーです。このメイドの名前ですけどね」


「姫様、いったいどちらへ参られるのですか?」


 なんの説明も受けていないジョージの、きょとんとした目に、ヒメは慌てた。ジョージは以前、出かけるなら自分を連れていってほしいとか、城下町でコーヒーを飲みたいとか言っていたから、城下町へ行くと知ったら、付いてきてしまうかもしれない。しかし、彼は変装屋と不仲のようだから、行き先を正直に話したら、猛反対の末に今後彼の協力が仰ぎづらくなる可能性も否めない。


「えっとー、えっと……さ、三男さんの友達に会いに行くんだ」


 ウソは言っていない。ヒメはこれでなんとかごまかせないかと願った。


 執事ジョージが、顔が見えないほどうなだれてしまった。


「お土産を」


「え?」


「お土産を期待いたします」


「あ、ハイ……」


 予想していなかった流れに、ヒメが言われるまま返事をすると、うなだれていた執事がニヤッと顔を上げた。


「街の治安が、乱れております。どうかご無事で、お土産を片手にお戻りになってくださいね」


 お土産が欲しいのか、ヒメの無事を案じての茶目っ気なのか、きっと両方なんだろうなと、ヒメは苦笑して八重歯を見せた。


「約束するよ。必ず無事で戻ってくるね」


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