第94話   ヒメは人手不足に貢献したい

「……兄さんへの手紙は、俺が作る。便箋びんせんなら持っている」


 ガビィは部屋の隅で横転している文机の引き出しを、ガタガタ揺すりながら引っ張り出すと、絨毯の上にこぼれ出た文具を適当に隅に押しやり、目当ての便箋のみを手に持った。


 便箋しか持たずに部屋を出て行こうとする彼の後ろ姿に、気付いたヒメが声をかける。


「私の部屋にペンとインク壷があるよ。勝手に入っていいからね」


「う……遠慮する。別の部屋のを借りる」


 躊躇しながら去っていったガビィに、ヒメは若干の不快感を抱いたが、流しておいた。マデリンと再び部屋の掃除に戻る。細かな木くずが絨毯に散乱し、箒で何度も掃かなければ綺麗にならない。


「ガビィさんは、夜はどこで寝るんだろう」


「別室がいくらか空いていますから、そこに移ってもらいましょう」


 倒れた文机を起こしながら、マデリンがヒメを一瞥いちべつした。


「ガビィ、と呼び捨てするのではありませんでしたの?」


「あ。……えっと、えっと、ガビィは、今日は別室で寝るんだね。わかりましたとも、うん」


 さっそく指摘されて、慌ててうなずくヒメである。じつはさっきまでガビィ呼びを忘れていたのは、マデリンには内緒だ。


「うぅ、まだ恥ずかしいなぁ。呼び捨てするの……」


「なぜそこまで恥じるんですの? 目上の者が従者を呼び捨てするのは、そこまで不自然だとは思いませんけど」


「竜の巣だとね、異性を愛称で呼び捨てするときは、ものすごく仲良しな夫婦が、お部屋の中でお互いを呼び合うときだけに使うんだよ。私にはまだいろいろと早すぎる……」


「貴女が決めたんですのよ?」


「わ、わかってるよ。でも、いざ使ってみると、顔から火が出そうで……」


 しゃべっているうちに、みるみる赤くなる、ヒメの顔。ふしゅ〜っと湯気まで上がらんばかりになり、思わず両手で顔を覆う。


 マデリンはそんなヒメの様子に呆れつつも、


「そう言えば、貴女はまだ十六歳未満でしたわね」


 自分よりも背が高くて発育の良いヒメを、今まで同い年のように扱ってきたことに、今更ながら気が付いた。


 きゃっ、と小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、廊下に置いていた寝台が音を立てて倒れてしまった。たまたま仕事で通りかかったメイドが、おそるおそる部屋に顔を出す。


「姫様、廊下にあったこのパニエは、もしかして……」


「私が脱いだんだよ。また後で履くから」


 腕まくりに、縛ったスカート姿で箒を持っているヒメに、メイドが悲鳴を上げた。


「なりません姫様! 人手不足といえど、貴女に掃除など任せた日には、陛下に申し開きができませんわ」


「お父さんには、私が無理言って勝手にやったって正直に話せばいいよ」


「できません! そんな言い訳めいたこと! それに姫様までがこのような雑事をなされたら、いよいよエメロ城が危機に瀕しているのだと周囲が不安になります」


 ヒメはぐいぐいと背中を押されて廊下へ移動、ガビィの部屋の家具だった残骸に身を隠され、その場で着衣を手早く直された。


 そしてメイドにしっかりと見張られながら、自室へと帰されたのだった。



 一人、部屋でため息をついて、寝台に腰掛けるヒメ。竜の巣にいた頃は、当番制の仕事が毎日あったから、周囲が忙しそうにしている中で暇なのは、かなりの罪悪感と不快感が募る。


「そうだ、私がメイド服に着替えればいいんだ。目の色はみんなと違うけど、後ろ姿だけだったら、私だって気付かれないでしょ」


 ヒメは衣装いしょう箪笥だんすに隠していたメイド服を、こっそりと着てみた。さっそく廊下に出ると、待機していたジョージがびっくりした。


「姫様? もしやまたお忍びで城下へ向かうのですか!?」


「そんなことしないよ。私もお城の人手不足の穴を埋めたいんだ」


 おろおろするジョージを説得して、ヒメは一階の裏玄関の足拭きマットを、新しい物に取り替える仕事をもらった。鮮やかな黄緑色の植物柄のマットを持って、ヒメは一階の裏玄関へと、階段を下りてゆく。


「簡単な仕事だなぁ。すぐに終わらせて、また次のお仕事をもらいに行こうっと」


 古い物はすでに撤去されており、裏玄関は寒々しい景色だった。ヒメがマットを設置すると、ぱっと華やかに変わる。


 そこへ、あの三つ子ちゃんがやって来た。ひいひい言いながら、ガビィの部屋のガラクタを背負っている。


「あれ? 姫様! その服とってもよくお似合いですね!」


「姫様もお城のお手伝いですか? 私たちもなんですよ〜。この粗大ゴミを城下町の家具屋さんまで運べって言われちゃって〜」


「こんなの女の子の仕事じゃないっすよ! 姫様もそう思うっすよね?」


 三つ子にあっさりと正体を見破られて、ヒメの笑顔が引きつった。


「アハハ……三人とも、お手伝いしてくれてありがとう。とっても助かるよ。気を付けて運んでね」


「はーい!」


「あ、ねえ、帰りに花屋さんに寄ろうよ! セレンさんに癒されちゃお!」


「あ、大賛成っす! よーし、早く終わらせるぞー!」


 猛烈な勢いで去ってゆく三人娘。ヒメは呆気に取られていた。


(変装屋さんにお願いして、私だと気付かれないように変装するコツとか、目の色がごまかせる方法がないか、聞いてみよう……)


 ヒメにも外出の予定ができたのだった。


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