第93話   歴史をねじ曲げる計画

 ガビィの部屋から元寝台の粗大ゴミを、マデリンとともに廊下まで引っ張り出したヒメは、あの作戦を話すなら今だと思った。


「マデリンさん。フローリアン王子の窮地を脱せられるかもしれない作戦を、さっき思いついたんだ。ここに来たのは、それをガビィさんに相談したかったからなんだよね。もちろん、あなたにもだよ」


「フーン」


「そんな、いかにも無関心デスって声出さないでよ」


 マデリンはヒメの世間知らずっぷりを嫌というほど知ってしまっているので、どうせ「気晴らしにお散歩に連れだそうよ!」とか言い出すんだろうな程度にしか思っていなかった。


「エメロ王の家系に、リアンさんそっくりの人がいればいいんだよ!」


 ……マデリンがジト目になる。


「わたくしも以前、貴女と同じ事を思いつき、王族の家系図を大臣に頼んで見せてもらいました。そこに、春の民らしき名前はありませんでしたわよ?」


「だと思ったよ。そもそも、王族の家系に詳しい人たちが、リアンさんの出生に異議を唱えているんだと思うんだよね」


「では、エメロ王の家系図に、こっそり春の民っぽい名前を書き足しますの? それでしたら、気づく者が現れますわ。王子が今のような生い立ちなのは、貴女が言ったとおり、王族の家系図に春の民がいないことを詳しく知っている者がいるからですの。家系図も厳重に保管されておりますから、今まで無かったところに、いきなり名前が書き足されでもしたら、さすがにどなたかが気づきますわ」


 雑な小細工では、見破られたときにリアンの立場がよけいに危うくなってしまう。マデリンが警戒するのも、もっともだった。


「家系図が無理なら、肖像画だよ。マリア王妃みたいな肖像画で、春の民の女性の絵があれば、リアンさんがエメロ王のご先祖様のうちの誰かに似たんだって、周囲もわかってくれるはずだよ」


「ちょっと! 本気ですの? 無謀にも程がありましてよ、マリーベル」


「お城と街の重役たちさえ納得させられたら、きっとリアンさんを、エメロ王の子だと周囲に認めさせることができるんじゃないかな」


「そんな古びた肖像画を、どこで手に入れますのよ〜。城の宝物庫へは掃除に出入りしますけれど、王子に似た春の民の肖像画なんてありませんでしたわ」


「無ければ、作るんだよ。とっても古ぼけた、春の民の肖像画を」


 ヒメの部屋がある二階から、この五階まで、階段を十段ずつほど飛び越して駆けつけてきたのは、ガビィだった。


 縛ったスカートから太ももを露出させているヒメの格好に、突っ込んでいる余裕はなかった。


「姫、もっと小声で話せ。耳の良い者なら聴こえているぞ」


「あ、ガビィさん! ちょうどいいところに」


 ガビィの私室は、王子の私室のとなりなのだが、王子の部屋の扉の前に立っている見張りが、かぶと越しに少女たちの話し声を盗み聞いても問題ないだろう。


 彼はガビィの部下であり、竜の巣の民なのだから。


 それでも、突飛とっぴなヒメの発言が外部に漏れるといろいろと危険なので、自分の部屋へと女性二人を押し込んだ。


「ガビィさん、あのね――」


「話なら聞いた。……エメロ王の先祖に春の民を描き足すそうだな」


「うん、どうかな?」


「うちの技術者なら、古ぼけた美術品の偽造も可能だ。だが、肖像画だけでは、ただ単に趣味で集めただけだと捉えられかねない。もっとこう、周囲を、納得させるための小話も要る」


 そっかぁ、とヒメは腕を組んで考える。


「姫である私が、じつはお城の壁の中にはこんな絵が隠されていました〜って、みんなに公表するだけじゃダメ?」


「……まだシナリオが雑だな。エメロ王の先祖である女性ならば、城に隠されるほどの重大な理由が必要だ」


 絵画と歴史の偽装工作を、本気で視野に入れている二人の様子に、マデリンが絶句していた。


「本気ですの!? あなた方! 無謀にも程がありましてよ。たとえそれが上手くいったとしても、偽装した事実を一生涯賭けて隠蔽し続けてゆく覚悟は、あるんですの!?」


「あるよ。エメロ国の安泰は、うちの商売が長く続くことにも繋がるんだ。うちの利益になるのなら、いくらでも真実を黙ってるよ」


 ヒメのあっさりとした外道発言。これには、マデリンも度肝を抜かれた。


 全ては、竜の巣の利益のため。ヒメはその一点を最重要視している。


(どのような教育を受ければ、こんな卑劣な思考ができますの。一生隠蔽? 利益のためぇ?)


 王族としての誇りも、正義感も、威風堂々とした貴族ぜんたる自尊心も、ヒメには無かったのである。


 もしや、この作戦に竜の巣の利益が絡まなければ、この姫は始終他人事のように、ボーッと流れに身を任せていたのかもしれない……マデリンは利益中心の組織に嫌悪感を抱きつつも、王子の偽装工作のためにあれこれ悩む二人を妨げることは、やめにした。


「お二人とも。シナリオならわたくしも考えますわ。王家の歴史には詳しいんですの。偽装するなら、知恵を貸しましょう」


「さっすが伯爵令嬢! 自国の教養があるんだね。助かるよ!」


 ヒメのイマイチなセンスの称賛に、マデリンが不愉快げに鼻を鳴らした。


 シナリオ制作はマデリンの助力があれば大丈夫だろう。しかし、あらゆる作業がガビィすら初めての事であり、迷いなく推し進めるのは難航すると予想された。


「姫の誕生日まで、あと八日しかない。今後何かに行き詰まったら、一人で抱え込まずに俺に相談しろ。時間がない」


「うん、わかったよ、ガビィさん。それで、肖像画の偽造品の件なんだけど、竜の巣の長男さんに連絡を入れよう。ガビィさん、鷹を飼ってるんでしょう? それを使って、手紙を配達してほしいの」


 ヒメは、ガビィが左手に持っている、あの防具を目に留めて言った。占いペットくんが抱えていた代物とずいぶん似ている。


「わかった」


 じつはガビィ、シグマが扉を突き破ってきたとき、とっさに、この防具だけは持って逃げたのだ。よく調教された鷹は、竜の巣の民が別人に変装していても、その腕が安らげる場所だとわかるように、特別な防具のみにしか留まらないように躾けられていた。


 だから、シグマや誰かにこの防具を取られたら大変なのだ。これが無いと、ガビィでもあの鷹を呼び寄せるのが困難になってしまう。


「兄さんには、手紙を送ってこっちに来てもらう。兄さんは竜の巣でいちばんの目利きだ。偽造品も、兄さんの監修のもとで制作すれば、誰も偽物だと気付かないだろう」


「わあ、長男さんに会うの、久しぶりな気がするよ。早く顔が見たいなぁ」


 ヒメはきっとエメロ国の美しさが、ネイルの気分転換になるだろうと思った。楽しみで笑顔になるヒメのそばで、マデリンの顔から表情が消えてゆく。


「ねえマリーベル、いくら上手な偽造品ができたとしても、それを公に発表できるのは、エメロ王の身内である貴女の発言力をもってしかできませんわ。無論、エメロ国の全員が、すぐに納得するとは考えられません。絶対に反論する者が現れます。貴女はそんな彼らの挑発を、暴力に頼らず論破する自信はおありなんですの?」


「あ…………考えてなかった、かな……」


「だと思いましたわ。それも考えていきましょう。あと八日ですけれど」


「ものすごく無謀な賭けをしている気分になってきたかも」


「あら、今更実感しましたの? わたくしは最初から、嫌な予感しかしませんでしたわ」


「でも、やるしかないよ。やってみる価値はあると思う。リアンさんが、次のエメロ王になるために」


 今後ともリアンがエメロ国を引っ張ってゆくために。そして竜の巣と末永く付き合ってくれるように。


『いくら上手な偽造品ができたとしても、それを公に発表できるのは、エメロ王の身内である貴女の発言力をもってしかできませんわ』


 先程のマデリンの言葉が、急にヒメの重圧になってきた。公を前に、偽造品を本物だと押し通せるのは、ヒメしかいないのだと。


 だったら、もっとお姫様らしく振る舞わねばと、思い至った。


「二人とも、私はエメロ国民を全力で騙すつもりなの。それで、私がもっと本物のマリーベルっぽくなるために、今日からあなたたちを、呼び捨てします! いいでしょうか! ダメって言われても、やるからね! そのほうが姫っぽいと思うんだ」


 赤いドレスの色が移ったかのように、頬が熱くほてってゆくのを感じ、ヒメは自分の発言を後悔したが、けれど偽装工作を徹底するためには、自分も徹底するぞという気持ちに迷いはなかった。


 唐突に発せられたヒメの提案に、ガビィとマデリンがしばし無言になる。


「……まあ、そうだな」


「そう言えば、今まで『さん』付けされていましたわね」


「よろしくお願いするね、マデリン、ガ……ガビィ……も……」


 いざ彼の愛称を呼んでみると、全身が緊張で固くなってしまい、口が回ってくれない。ここは愛称ではなく、普通にガブリエルと呼び捨てしようかとヒメが妥協案を思いついた、そのとき。


「無理するなよ」


「無理じゃないよ! 心配しないでねガブリエルさん、じゃなかったガビィ」


 とっさに出た強がりに、あわあわと赤面するヒメ。

 二人の眉毛が、寄っている。


「だ、大丈夫だからね!」


「わかったわかった」


「わかりましたわ。がんばってくださいまし」


「もう! 二人ともそっけない! でも私がんばるからね!」


 人前で男性を、愛称で、親しげに呼ぶ……竜の巣では新婚さんですら人前でそのようなことはしない。もう胃がでんぐり返りそうなヒメであった。


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