第96話   ガビィも動きだす

 第二執務室。通称、混沌の雑務室には二十人ほどが詰めていて、突然入ってきたガビィにも気付かないほど多忙を極めていた。


「ちょっと借りるぞ」


 インク壺に突っ込まれたペンごと、勝手に拝借。部屋の隅で書類が山と積まれた机に便箋をのっけて、長男への手紙文を、暗算で暗号化しながら書き上げてゆく。


 今頃ガビィの存在に気が付いた、徹夜明けの大臣たちが、しばしばする目をこすってガビィを二度見。ガビィはインク壺にペンを戻して「ん」と大臣の一人に押し付けると、雑務室を後にした。


 ふと、自分の部屋を片付けている二人のことが気になって寄ってみると、姫はおらず、別のメイドとマデリンだけが、部屋の大部分をすっきりさせているところだった。絨毯も半分めくられている。


「ん? あらガビィ、ちょうどいいところに」


 廊下にいたガビィに気がついたマデリンが、目の細かい箒を片手に部屋から出てきた。


「物の少ない貴方の部屋から、着替えやナイフやらが出てきましたの。隣の部屋に置いておきましたから、あとで引き取ってくださいまし」


「ああ、すまない。全部任せてしまったな」


 ガビィは仕事道具のほとんどを、人目につかない場所に小分けして隠している。何者かが鍵をこじ開けて、泥棒しに入ったとしても、目ぼしい物は何も見つけられないだろう。


 マデリンがなにやら、箒を見下ろして、もじもじし始める。


「ほんの少し、お時間よろしいかしら。ちょっとだけ気になることがありますの」


「なんだ、改まって」


 小さなマデリンが、ガビィの目の前までやって来て、精一杯の背伸びで見上げた。


「その、貴方のお兄様というお人は、どれほどエメロ人とかけ離れた見た目をしておりますの?」


「ん……? どういう意味だ」


「……そのかたは、貴方とマリーベルから随分と信頼されているご様子でしたから、きっと面倒見の良い、お優しい男性なのでしょう。その……ひょっとしたら、今回のことで直接こちらへ訪問されてしまうのかも、と思いまして……。貴方と同じく王子様でしょうし、丁重におもてなしいたしませんと、失礼に、当たりますわよね……」


 マデリンの顔に鳥肌が立っていることに、ガビィは気付いた。王子とマデリンが小さい頃から一緒にいる分、彼らが苦手とするモノにも自然と詳しくなってゆく。


「……兄さんは、顔立ちは人間だが、体のほとんどは黒い鱗で覆われている。無理なようなら、別のメイドに接待を任せるんだ」


「む、無理なんて、一言も! ちょっとだけ、は虫類系が、苦手なだけですわ。昔、毒ヘビに噛まれたことがありますけれど、子供の頃の話です、慣れましたわ」


 嘘だな、とガビィは思ったけれど、言わないでおいた。


(今回の作戦は、マデリンを宛てにすると痛い目を見そうだ。仕事の配分には、よく気を付けないとな……。念のため兄さんにも、マデリンのことを伝えておくか。手紙に追伸で、書き加えておこう)



 引き続きマデリンに部屋のことを丸投げして、ガビィはさっきの雑務室へと、歩いてゆく。その途中、リアン王子が反対側から歩いてくるのが見えた。エメロ人の従者を数人連れて、今日もしっかりと変装を施し、その仮の姿が剥がれないように、白銀色の細い金属で頭部の装飾を固定している。


 多くの者が、王子はいつもと変わらないふうに見えると答えるだろう。多忙になると、長袖のシャツに、伸縮性の高いズボンという、そのへんの青年みたいな格好になるところも、いつもの事だった。


 だが、


(やつれて見えるな)


 赤い色した観察眼は、化粧に隠された素顔を見抜いていた。


 部下の報告では、ここ最近のリアンはまともに食事を取れていないらしい。部下がお昼のお弁当の豆類を差し出したところ、それ以来、なんと深夜になっても何も食べなかったそうだ。


「やあ、ガビィ。第二執務室に用事?」


「書く物を借りるだけだ。すぐに出てゆく」


「わかった」


 雇い主であるエメロ国の王子を追い越して、先に部屋に入るわけにはいかない。ガビィが歩みを止めて待っていると、


「気づいているとは思うけど、城の者が、ごっそり減ってるよね」


 リアンのほうから、話を振ってきた。ガビィが無言でうなずくと、リアンはため息をついて、金色の長い髪を耳にかけた。


「どうも、城下町でなにかあったのが原因みたいなんだ。今、僕の友人が調査してくれてる」


「城下町? 昨日の、姫が勝手に外出した日か」


「違う。今朝早くに、食材の買い出しに出ていた調理人たちが、そのまま自宅にこもってしまったそうだ。他にも、朝早くに城下に用事があった者が、家に隠れているそうだよ」


 それはガビィの初耳であった。城下町に置いてある部下は、何をしているのかとガビィが驚いていると、ふと心当たりが思い浮かんだ。


(俺が小さくなって眠っているから、気を利かせて、報告を遅らせたのかもな)


 ガビィの部下に、たまに起きる現象だった。たとえば疲れて机にしていると、起こされずに毛布だけが肩にかかっていたりする。ガビィは少し怒気の孕んだため息をついた。


「……迂闊うかつだった。早急に俺も部隊を動かす。原因を調査して、事態の収拾に当たらねば」


「君には、ここに残ってほしい。僕は君の口から、いろいろ聞きたいんだ」


「了承した」


 部下だけを動かし、伝達役は自分が請け負う。姫の提案した作戦も実行しなければいけないしで、いつもの事だが仕事が重なる。


「それじゃ、よろしくね」


 用件を伝え終えて、第二執務室へと入って行こうとするリアン。今朝もろくに食べない彼に、ガビィは、釘を刺す事にした。


「…… 豆でも野菜でもいいから、腹を満たせ」


「なんのことだい?」


「……食欲が沸く状況でないのは理解できるが、肝心なときに倒れては、意味がないぞ」


「気持ち悪くて、吐いちゃうんだよ。一時的なストレス障害だと思うから、仕事が終われば落ち着くさ。それに今、厨房には誰もいないんだろ」


 皮肉な台詞を吐きながら、部屋の扉を開けようとする、その腕を、


「いる。一人な」


 ガビィの一声が止めた。


 ガビィには、調理師見習いという形で、若いエメロ人に変装している部下がいた。料理人が食事に毒を盛らないか、見張る役割をになっている。


「その一人に何か作らせて、この部屋に運ばせる。後ろのお前たち! 王子にしっかり食べさせるんだぞ。後から確認しに行くからな!」


 王子の後ろにいた従者が、目を丸くして返事した。


 王子も、緑色に偽った両目で、ガビィを凝視している。王子が何か言い返す前に、ガビィは颯爽さっそうきびすを返した。筆もインクも、別の部屋で借りることにした。


(……大見栄を切ってしまったが、は、料理が得意だったか? ……。たぶん、大丈夫だろ。今まで見習いを演じてきたんだし、多少は腕に覚えがあるはずだ。多少は……)


 少し心配なのは、本当に簡単なものしか作れなさそうなところだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る