第90話   誰が描かれていないのか

 リアンが傷つくのは嫌だと、うなずいてくれた大トカゲに、ヒメは嬉しくて顔がほころんだ。


「ほら、やっぱりね。リアンさん良い人だもんね。お出かけ用の服を用意してくれて、自由に外出していいなんて言ってくれたんだ。ここじゃそういうの絶対に許されない感じがしてたから、私すっごく嬉しかったんだよね」


「……」


 やっすいヤツだな、と赤い目を細める大トカゲ。ふと目を見開いて、鼻先を扉のある方向へ向けた。


「ん? 誰か来たの?」


 ヒメも耳をすませると、駆け足気味の足音が近づいてきて、部屋の扉をこんこんと叩いた。


「姫様、お部屋にいらっしゃいますか? 少し、お尋ねしたいことがございます」


 この声は、今朝この真っ赤なドレスを着付けてくれた、お婆さんだ。


「うん、いるよ。ちょっと待っててね」


 ヒメは大トカゲに「隠れててね」とささやくと、ふわっと布団を掛けて隠した。もこもこと動いているが、あのお婆さんを部屋の中へ入れなければ気付かれないだろうと思い、ヒメは扉に歩み寄ると、扉にめいっぱい近づいた。部屋の中が見えないように、半ば通せん坊するようにして、扉を引き開けた。


「お待たせ!」



 ――――――――


 成長するにつれて、どんどん花の民に似てくる王子と、病が悪化し続けるエメロ王の件で、城内は始終安定しなかった。さぞマリーベル姫様も不安に思われているだろうと、今日もめいっぱい励ましながら、姫にドレスを着付けていた。


 そんなある日のことだった。


 執事ジョージから声をかけられ、病床に伏すエメロ王の寝室へと呼び出された。


『お前が仕えている姫は、本当の姫ではないのだ。本物は別の場所で、守られている』


 エメロ王は自責の念にえかねていたらしい。姫が十六歳の誕生日を迎える前に、城に仕えて長い使用人たちに、真実を話すことにしたのだと言う。


 城にいる偽物の王女を、周囲の皆で本物のように扱うことによって、外敵からも偽物だと気づかれにくくなり、その結果どこかにいる本物のマリーベル姫を守ることになっていたのだと、告げられた。


 その場では、冷静に王の話に耳を傾けることができた。だが、作業部屋に戻った瞬間に、涙があふれて、床に泣き崩れてしまった。


 十五年余りの日々が、心に蘇っては音をたてて崩壊してゆく。


(私が今まで込めてきた真心は……家族と過ごす時間を削ってまで尽くしてきた日々は、いったいなんだったの……!)


 忠義を尽くすのが当然とされる現場であっても、ずっとだまされていた辛さと悔しさに、息ができなくなる。こんな歳になって、みっともないぐらい、ひどくひどく傷ついていた。


「マリア様……貴女が生きていたら、このようなひどいことは許されなかったでしょう。やはりこの城には、貴女が必要だったのです。この私にも……」


 もともとは、大臣家の長女であるマリアに仕えていたお針子だった。そして彼女が王家に嫁いだ後も、一緒に付き従った。


 そのマリアが残した、マリーベル姫。


 ずっとマリアの忘れ形見であるマリーベル姫に付き添って、毎日、彼女を美しく整えてきた。姫の十六歳の誕生日の着付けを、自分の最後の仕事とし、その後は、娘と、娘の弟子である孫たちに譲りたいと考えていた。


 それなのに……。


(真実を知った私は、体調不良が続いてしまい、長らくおいとまをいただきました。本日、初めて本物の姫様をご拝顔いたしましたけれど、なんだか、世間慣れしていらっしゃらないご様子でした。心配です……)


 人通りのない廊下で、ようやく会えたメイドに駆け寄り、孫たちがどっちへ行ったか尋ねた。


 庭掃除を手伝っていた孫たちは、その場をぶらついていた使用人たちと口論になり、姫様に言いつけてやるんだと言って、駆けだしてゆくものだから、早めに追いついて止めなければ。間に合わず、姫に何か粗相そそうをしでかした場合は、お詫びしようと思っていた。


 メイドいわく、階段を上っていったとのこと。姫の部屋は二階だから、孫たちはすでに到着してしまっているかもしれない。


(ああ、早く追いつかなければ)


 長いスカートを揺らして階段を駆け上がり、姫の部屋を目指した。一国の王女の部屋だというのに見張りが誰もおらず、そこまで人手不足なのかと恐ろしくなりながらも、扉を叩いた。


 少しして、扉から現れたのは――いつでも元気で朗らかなマリアだった。


「ひいいっ! マ――」


 至近距離からの、マリアの笑顔に、頭が錯乱し、大きくよろけた。その拍子に長いスカートが足に絡まり、転倒しかけたのを数歩後ろで踏みとどまった。


 そしてマリーベル姫の顔を見て悲鳴を上げた己の非礼さに、またも悲鳴を上げながら頭部を振り子のように下げた。


「なんということを! 失礼いたしました!」


「落ち着いてよ、怒ってないから」


 影武者のマリーベル姫であれば、眉をキッと吊り上げて、どういうつもりなのかと厳しく問いただしただろう。粗相もきっちりと罰する。だが、今目の前にいる姫は、苦笑しつつも、あっさりと許した。


 その違いに、いささか困惑する。


「で、どうしたの?」


「いえ、あの、い、言い訳をお許しくださいませ。姫様のお顔が、あまりにも、マリア様にそっくりで、心の臓が止まりかけてしまいました」


「ああ、似てるよね~、私とお母さん。階段のところの絵画を見上げたとき、私の絵かと思ったよ」


 へらへらしていた姫が、ふと、真顔になった。そして絶叫を上げるものだから、今度こそ心臓が止まるかと思った。


「そうだ! 絵だよ! どうして気付かなかったんだろ!」


「は、はい?」


「ごめん! ちょっと一人にして!」


 バンッと扉が閉められた。


「あ、あの……」


 孫たちが姫に粗相をしでかした場合は、お詫びしようと思っていたのだが……姫が怒っていなかったので、孫たちは問題になるようなことはしなかったのだ、と捉えることにした。


「で、では、姫様、失礼いたします……」



 ――――――――


 ヒメは興奮のあまり扉を勢いよく閉めてしまったことを思い出し、あのお婆さんがびっくりしてしまったのではないかと心配して、もう一度扉を開けた。


 老齢のお針子が、背筋を丸めて去ってゆくのが見えた。


「あの! いきなり扉を閉めてごめんね! 何か用事があったんでしょ? 執事のジョージさんに伝言しておいてね」


 振り向いたお婆さんは心底びっくりしていた。そして気の抜けたようにうなずいたので、ヒメはひとまず安堵して部屋の中へと引っ込んだ。


「そうだよ、どうして思いつかなかったんだろう! リアンさんが誰にも似ていないのならば、似てる人、作ればいいんだよ!!」


 両手でガッツポーズするヒメの声に目を覚ました大トカゲが、もそもそと布団から這い出てくる。大きな枕が目の前にあった。


「これは私一人じゃとてもできないぞっと。まずはガビィさんたちに相談して、伝書鳩でネイルさんたちにも相談しないと。偽装工作に特化しているのは、ネイルさんの部隊だから、エメロ国に来てもらわなきゃ」


 大トカゲは枕にあごをのせて、聞いている。


「えーっと、それでそれで――って、あ! しまった! 伝書鳩は花の民が撃ち落としちゃうんだった。どうしよう、どうやって竜の巣と連絡を取ればいいんだろ、今いる仲間だけで、なんとかできるかなぁ」


 ポトッと音がして、びっくりしたヒメは、大トカゲが寝台横の文机の上に移動していて、インクの乾いたペンを絨毯に落としてしまっている姿に、ぎょっとする。


 短い腕には、なぞの腕の防具と、文机に置いてあったノートを抱えている。


「書く物が欲しいの? ちょっと待っててね」


 ヒメがペンを拾って、インク壺につっこんでから大トカゲの芋虫のような指に渡した。大トカゲはとっても大真面目な顔つきで、白いノートにぐりぐりと書き始める。


 ずいと手渡されたノートを受け取ったヒメは、幼子の書き置きのような文字の羅列に、形の良い金色の眉毛が真ん中に寄った。


「次男、が、たか、持ってる……?」


 大トカゲが、小脇にしていた防具を、両手でずずいと前に出した。ヒメがよく観察してみると、手入れの行き届いた防具の表面に、猛禽類の爪だろうか、鋭利な何かが強く当たったような痕跡がうかがえた。


「それは鷹を飼うための道具だったんだ! ガビィさんが同じ物を持ってるんだね」


 姫の世間知らずっぷりがここまでくると、さすがに指摘してやりたくなる大トカゲだが、声に出してしまっては、こちらの正体がばれてしまう。

 無言で、うなずいておいた。


「さっすが占いペットくん! ありがとう!」


 姫に大喜びでぎゅううっと抱きしめられて、大トカゲは、もう眠くて大あくび……。


「あ、眠かったんだよね。ゆっくり寝てて」


 気づくと、姫が猛烈な勢いで部屋を駆け出してゆくところだった。


 大トカゲは太い尻尾でぺしぺしっと布団を叩いていたが、やがてあまりの眠気に、深いことを考えられなくなって、ヒメの布団にもぐりこむと、枕に頭をつけて、すやすやと寝息を立て始めた。


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