第89話   小さな王子と、その従者②

 顔の覆いを取る。エメロ人から不自然に思われない服を着る。変装屋から励まされて、一時いっときは平常心を取り戻したガビィだったが、それでも初めは抵抗があった。


 素顔をさらし、軽装の皮の鎧に身を包み、エメロ城内を歩く度に、城中から悲鳴が上がった。昨日まで見かけなかった異国の青年が、固い表情でギクシャクと歩いているのだから、誰だ何者だと騒がれた。


「……お、俺は、本日より王子の側仕えとして雇われた者だ。その、よ、よろしく……」


「はい。よろしくお願いいたします、ガブリエル様」


 笑顔で返してくれたのは、エメロ王の命令でリアン王子の執事をしている、ジョージという爺さんだけだった。


 ガビィが素顔をさらして二日目。リアン王子が廊下や外を移動するときに傍に付きそうというのが、ガビィの役割だった。王子の作戦はうまくゆき、皆の注目はガビィのみに注がれた。


 気分の良いものではなかったが、引き受けると決めたのは自分だ。不快だからという理由で辞めたりは、絶対にしたくない。


 不慣れな環境で、ヘンに力んでいたから、いつもの冷静さも薄らいでいたのだろう。鼻から小さな羽虫を吸い込んでしまい、くしゃみしたら火を吹いてしまった。


 城中が大騒ぎになった。この日ほどバケモノという罵声を浴びまくった一日はなかった。


 誰もリアン王子の制止の命令を聞き入れなかった。


 竜殺しの騎士団と、シグマが出動した。さすがにガビィ単身では厳しくて、陰に潜んでいた己の部隊を指笛一つで召集。エメロ城の一階が倒壊しかけるほどの激闘の末、ガビィとその部隊が勝利した。


 ガビィがリアン王子の側仕えになる以前から、ナターシャがシグマと仲が良かった。彼女がシグマをなだめていなければ、今エメロ城はここに建っていなかっただろうとガビィは思う。敵味方の区別なく、壁と人との区別もなく、鉄の大剣をぶん回して破壊の限りを尽くす姿は、とても人には見えなかった。


(まるで、人の手に余る兵器が、人として生まれてしまったかのようだな……)


 どう見ても、国中がシグマの存在を持て余していた。ガビィは己の居場所の確保と、竜の巣の民をも圧倒したシグマを監視するために、声を大にして皆に言い放った。


「シグマのことは、俺に任せろ! 味方殺しをさせないように、徹底させる!」


 かくして、ガビィはエメロ人から冷遇されつつも、持ち前の生真面目さと、仕事中毒な気質により、少しずつ地位と実力を高め、数年後には、その知名度は城下街から周辺の国まで響いていった。



 リアン王子が十歳の誕生日を迎えようとしていた、ある日のこと。

 ガビィは王子に呼ばれて、彼の私室を訪れていた。子供の部屋には似合わない大きな机に、問題山積みの書類の山と、本棚にぎっしり詰め込まれた分厚く小難しい内容の本たち。王子らしい私物といえば、マデリンから贈られた、菓子類の入った可愛い箱ぐらいだった。


 机の横に、リアン王子が元気のない様子で立っていた。


「ああ、ガビィ……すぐに来てくれてありがとう」


「なんの用だ」


「もうすぐ、僕の誕生日会が開かれます。それについて、今後の計画を、伝えたくて。少し、長くなります」


 十歳になろうとしている王子は、すでに外見年齢が十六、七歳に達していた。橙色のごわついた髪からは、野草のような触手や、小さな花が生えている。


「僕は今まで、頭部を覆うほどの大きな帽子と、肌の色をごまかす化粧がないと、ずっと外に出ることができませんでした。けれど、これからの僕はもっと忙しくなり、帽子を被ったまま過ごしていては、仕事仲間から不信感を買うでしょう。そうならないためにも、僕は自分の姿を、帽子を被らずに見せる必要があります。今回の誕生日も、国民から祝われる王子が、帽子で顔を隠していることがないように。もう誰からも、不自然に思われないようにします」


「大丈夫なのか」


「ふふ……ちゃんと策はあります」


 王子は自嘲気味に口角を上げ、床を眺めていた。


王家うちには、奇妙な伝統があるんです。エメロ国の王族は、十歳の誕生日にお城の大きなバルコニーから国民へと姿を見せるんです。それ以後は毎年、バルコニーから、必ず、国民に向かって祝辞を述べます」


「……」


「僕が世間でいう十歳児よりも、異様に大きいのは自覚しています。身長の件は、椅子に座っていれば、遠目からならば小柄に見えるでしょう。それか、僕よりも背の高い人にとなりに立ってもらえれば、対比の差で、遠目からならばごまかせます。問題なのは、僕の……」


 王子は、髪に手を当てた。


「変装、しようと思います」


「変装屋を使うつもりか」


「はい、やむを得ない事態ですから」


「……」


「じつは、誕生日の主役となった王族は、城下街まで赴いて、皆と語らう機会があるんですが、強制ではありませんから、僕は、その……城下へ下りるのは、欠席しようかと思うんです。さすがに、至近距離での皆の目をごまかし続ける自信が、ありませんから」


「では、俺が代役で城下街まで下りる」


 へ? という心底意外そうな声をあげて、王子が固まっていた。


「なんなら、バルコニーの椅子のとなりも、俺が立ってやる」


「そこまでしてもらえませんよ! エメロ国民の大勢の前で、きみを立たせるだなんて!」


「そのために、俺をここに呼んだんじゃなかったのか?」


 前回のように、と付け足すほどガビィは意地悪ではなかったが、そういう意味だと捉えていた。


 王子が、細い肩を震わせて絶句しているのをの当たりにするまでは。


「ちがう……違います! 僕はただ、誰かに……聞いてほしかっただけ。でも、他に話せる人が誰もいなくて……人選が浅はかでしたね、すみません」


 三男ファングは今、竜の巣の王の命令により巣に戻っており、かれこれ数年が経過していた。リアン王子にとって最も心を開いていた相手は今、ここにいない。


「俺の顔は、そんなにひどいか?」


 この三年余りで、ガビィの支持は跳ね上がっていた。あのシグマの稽古試合の相手を買って出て、さらに指導者としてシグマを大人しくさせることに成功し、竜殺しの騎士団に剣の指導を、そしてリアン王子の側近として、そのよく目立つ容姿も相まって、すっかり城内の有名人であった。


 だが、まだこの素顔のままで城下へ下りたことは、一度もなかった。王子の誕生日を機会に、ガビィが国民の前に顔を出せば、きっと王族の誰よりも、彼が目立つ。それは決して気持ちの良い意味ではない。


 それなのに。迷いのないガビィの様子に、王子は釘付けになっていた。その目が、にじんだ涙をこぼすまいと細まってゆく。


「……ああ、とんでもない。僕もきみのように、強さを美に換えられるほど、強くなりたい、いや、ならなくては。僕も城下へ向かいます」


「無理して矢面に立つ必要はないだろう。エメロ人相手に、ますます政務がやりづらくなるぞ」


「しかし――」


「お前は政務に集中するのが役目だろ。無用な苦痛は、集中力を欠くぞ」


「でも、やっぱりこんなこと、卑怯だ、僕も、城下街に――」


 しっかりしようと焦っているリアン王子を見ていると、長男ネイルのもとに産まれた小さな子供たちが、ガビィの目に浮かんできた。


「無理をするなと言っている。お前、まだ子供だろ?」


 大人の保護下のもと、仲間の経験を見聞きしながら、おっかなびっくり、歩みを進めるのが子供だ。今リアン王子を保護できる身内はいない。ゆっくり成長してゆく時間も、王子には無いのだ。


 では、彼を励まし、共に歩む仲間が、一刻も早く必要だと、ガビィは考えたのだった。そのためには、まず、己の役割というものを、王子にしっかりと自覚してもらわなければ。


「子供……? 僕が?」


 リアン王子が、しばし虹色の目を丸くして、ガビィを見上げていた。改めて、がたいの良い竜の巣の王子の、明るい炎のような存在感に圧倒される。


(子供扱い、された……。お父様以外の、大人に……)


 リアン王子は目の縁からあふれ出た涙の理由がわからなくて、机の上にあるチリ紙の箱から、三枚ほど引き抜いて、目に押し当てた。


 抑えようとすればするほど、嗚咽がせりあがってくる。


「なぜ泣く」


「わ、かりま、せん……僕、花粉症なんです。だから、きっとコレも……」


 泣くのと、目がごろごろして涙が出るのは違うと、当時の彼らにはわからなかった。


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