第88話   小さな王子と、その従者①

 赤ちゃんのマリーベル姫を竜の巣へ運んだ日、入れ替わるようにエメロ城に入ったのはガビィとその部隊だった。フローリアン王子が赤ちゃんの頃から、ガビィはほとんど竜の巣へは帰らず、影からエメロ城を守っていた。


 竜の巣の王が、ガビィとその部隊に与えた任務とは、エメロ王に仕えるふりをして密偵を行うことだった。ガビィたちはエメロ国民の誰にも気づかれずに、任務をこなすだけの存在となるはずだった。


 七歳になった王子から、自室へ呼び出されるまでは。


 名指しで呼び出しを受けたガビィは、どういうことかと内心で戸惑ってはいたものの、行かないのは体制が悪くなるので、黒装束できっちりと体を覆ってから、王子の部屋の扉をくぐっていった。


 部屋は薄暗くて、しかし小さな椅子に腰掛けた王子の背後にある大きな窓からは、後光のように日が差し込んでいた。逆光により王子の顔が、暗く浮かないものに見える。


「……貴方あなたが、ガブリエル王子なんですね」


 ガビィは、ゆっくりとうなずいた。


 王子の見た目は、とても七歳児とは思えなかった。成長速度が、エメロ人よりも圧倒的に早い。グラム伯爵の娘であるマデリンは、王子よりも三つ歳上の十歳だが、今の王子はそれ以上に見える。


 椅子の上の王子は緊張しているのか、背筋が不自然にのびていた。膝の上に置いた両手も、かすかに震えている。


「ファングから、貴方のことを聞きました。竜の巣の民にも、変わった見た目の青年がいると」


「……俺のことだな」


「誰にも似ていない、赤い髪の青年であるとうかがいました。その、素顔を、見せてもらえませんか」


 緊張のあまりに、顔も声も固くなっている。


「……竜の巣の民にとって、顔の覆いを外すことが、どういう意味か、知らないわけではないな」


「はい……。大変な失礼を承知の上で、お願いしています」


 ガビィはちょっと悩んで、部屋の隅っこを特に意味もなく眺めた後、頭部の覆いに指を引っ掛けて、あっさりと布を引き剥がした。


 絨毯の上に、漆黒の布切れがはらりと落ちる。


 王子の大きく見開かれた虹色の目が、竜の巣の王子の炎のようなちに釘付けになっていた。


「まるで、炎の精霊のようですね。それか、ガーネットのような。こんなに美丈夫なかただとは、その、思わなかったもので、すみません、驚いてしまって……」


 蚊の鳴くような声量の語尾。王子はガビィと目が合わせられず、視線はおろおろと絨毯を泳ぐ。


「僕は今から、人として最低なことを、貴方に頼みます。嫌ならことわってくれて、かまいません。別の竜の巣の民に、頼みますから」


「……その用件、聞くだけなら、聞いておく」


 王子の頼みとは、自分で最低なことだと断言しただけあって、気持ちの良い内容ではなかった。


 エメロ城でたった一人、外見がエメロ人とかけ離れている少年、フローリアン。城で生まれてから七年経った今もなお、城内での偏見に苦労しているという。

 そこでガビィを近侍きんじとして側に置き、少しでも皆の敵意を分散したいというものだった。陰で仕える竜の巣の民では、天井裏や誰かに化けて城内にひそんでいるため、王子のすぐ横には立っていない。王子はすぐ側で、皆からの偏見の目逸らしをガビィに頼んだのだった。


「嫌な仕事なのは自覚しています。気乗りがしないなら、他の人に、春の民そっくりに変装してもらって側に置きますから」


 三男ファングの嫌がらせなのか、それとも、この王子と自分との相性を考慮してのことなのか。減らず口ばかり叩く弟から真実を聞き出すのは、面倒だと思った。


 竜の巣の民にとって、人前で素顔をさらすのは、裸になるのと同じくらい恥ずかしいこと。ガビィは無表情でありつつも、内心すっっっごく嫌であった。ただでさえ自分の見た目にはいろいろと思うところがあるというのに、顔をさらして、しかもよりによってこのエメロ城の日の当たる下で働けと。この王子も似たような境遇でなければ、ガビィは即で断っているところだった。


「仕事は今すぐというわけではありません。貴方にも、心の準備が必要かと思います。七日後、エメロの兵士と同じ装いで、またこの部屋を訪れてください。お待ちしています」


 丁寧に頭を下げた王子が、再度顔を上げたとき、ガビィは彼の小さな顔に、あざがあることに気が付いた。揺らぐ虹色の瞳の周辺に、かなり薄くなっているが、痣ができていた。


「……目の周辺を負傷しているようだが、何かあったのか」


「ああ……お恥ずかしいです。僕は、武術がからっきしで。言い訳を許されるなら、手加減をしてくれるエメロ人がいないんです」


 目の周りを片手で押さえ、王子は顔をゆがませた。


「武術の上達はひとまずあきらめて、父に代わって政務へ携わりたいと考えています。反対する者も出るでしょう。それを、近侍であるあなたが黙らせるといった形で、活躍してほしいのです」


「……なるほどな。俺に徹底して嫌われ役を買わせるというのが、本当の目的か」


「……」


「たしかに、この城で俺のような男が暴れたら、たいそう目立つだろうな。王子が受ける周囲からの攻撃も、いったんは弱まるだろう。その隙に王子が王に取って代わると」


「引き受けて、くださいますか」


「……」



 ガビィがそのような仕事を引き受けたと聞いて、彼の部隊員はこぞって心配した。ガビィも一度引き受けたはいいが、やっぱり嫌になってきて、しかし後から断るのも竜の巣の民への信頼に傷が付くからできなくて、なんの気の迷いか変装屋に足を運んで、その店主と友達になるという数奇な日々を過ごしたのだった。


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