第83話   賑やかなお針子たち

 ヒメが室内でうめき声をあげているのが、廊下で待機していた若い執事にも聞こえ、一人のメイドがお湯の入ったおけとタオルを持って部屋に入ってきた。


「おはようございます、姫様。どうかされましたか?」


「……おはよう。私が起きてるって、よく気づいたね」


 洗面台にお湯を張ってもらい、ヒメは両手ですくって顔を洗う。歯も磨いて、寝癖のついた前髪にもちょっと水をつけて、直らないものかと、メイドと悪戦苦闘する。


「寝癖、直んないや……ヘアピンで留めておけばいっかな」


 コンコン、と部屋の扉がノックされて、穏やかそうな雰囲気のおばあちゃんメイドが入ってきた。


「おはようございます姫様」


 続いて、めちゃくちゃ若くて元気なお針子さんが三人飛び込んでくる。


「姫様おはようございます!」「おはようございまーす!」「はよざいまーっす!」


 お針子たちは、緑色の大きな箱を一つ運んできて、部屋の真ん中に置いた。真っ赤なリボンに飾られていて、いかにもプレゼントって感じの可愛らしい箱だった。


 ネグリジェ姿のヒメは、きょとーんと突っ立っている。


「お、おはよう……今日はどうしたの? なにか予定あった?」


「お花屋さんからドレスの献上品ですよ、姫様!」


 お針子たちが大はしゃぎしている。


「姫様! 姫様がご開封なさいますか!? それとも、私たちが代わりに開封いたしましょうか!!」


 そんなに期待をこめて尋ねられては、ヒメも苦笑するしかなかった。


「じゃあ、きみたちにお願いするね」


「はーい!」


 びっりびりに破られてゆく緑色の包装紙。おばあちゃんメイドが注意するも、彼女たちの耳には届かない。

 あっと言う間に引っ張り出されたのは、お人形の衣装のような愛くるしさの、真っ赤なドレス。


「きゃああ! きれーい!」


 針子たちが大はしゃぎするたびに、おばあちゃんメイドが疲れた様子でたしなめる。


「申し訳ございませんねぇ、姫様。元気だけが取りの孫たちで」


「あ、お孫さんなんだ。へ~、みんな可愛いね」


 孫たちの無礼千万にヒメが怒っていなかったので、おばあちゃんメイドは心底ほっとしていた。


 さっそく、ヒメに着付けが始まる。ヒメは姿見の中の自分が、どんどんと派手になってゆくので慌てた。


 赤いドレスはそでにひらひらのドレープが入っていて、スカートもドーリーなベルライン。パニエと大量のレースで持ち上げられて、ふっくらした形を保っている。


「この衣装、可愛いけど、うーん、私に合ってるのかな。朝からこんなの着ちゃって、ちょっと照れちゃうな」


「まるで赤いお花のようでございますね。エメロ国一の腕前を持つ、花屋からの献上品だと、伺っております」


 誰よりも手慣れた手つきで作業している、メイドのおばあちゃんが、手を休めることなく答えた。


「お花屋さん? あ、美味しそうでキレイなお花をたくさん売ってるお店のことだね」


「美味しそう、かはわかりませんが、その店のことですよ。エメロ国はどんな植物でも、生茂るほどよく育ちますから、小さな国ながらゆっくりと発展してゆきました。植物を象徴する緑色は、じつは国民の皆様が体のどこかに身に付けておりますのよ」


「へえ」


「そのような義務があるわけでもありませんのに。エメロ国の人々は不思議ですわね」


 さあ、できましたわ、とメイドのおばあちゃんが安堵のため息とともに孫たちを下がらせようとしたが、


「ポインセチアみた~い!」


 少女たちがヒメの周りをくるくる回りだす。


「ねえ絶対この色ポインセチアだよね」


「そうだけど、このスカートは、まるでスズランみたいな形! わたしスズラン派~」


「スズラン派ってなによ~、意味わかんな~い」


「二人ともちがうっすよ、これは絶対に赤いチューリップっす。姫様もそう思うっすよね?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問。ヒメが返答に迷っている間に、話題もころころ変わる。


 ヒメは竜の巣で少女たちと、とりとめのない会話をして過ごしていた日々を思い出して、少しだけ懐かしくなった。


「お花屋さんすっげーイケメンなんっすよ~! もうなんか、お花の王子様って感じなんす!」


「へえ、美人な男の人なんだね」


「あ、もちろん、お仕事の腕前もピカイチなんですよ! フラワーアレンジメントっていうんですか? アレのセンスがとってもステキなんですー!」


「しかも作業がすっごく手早くて~。この間も~、友達の誕生日にお花を贈りたいってお願いしたら~、もうあたしが欲しくなっちゃうくらいチョー可愛いの作ってもらっちゃってー!!」


「これ、声を抑えなさい。仕事中なんですよ」


「あ、そっか、ごめんなさぁい」


 祖母に注意されるたびに反省する少女たちだが、ふとまた話題が頭に浮かぶと大はしゃぎして会話がはじける。


 あまりの賑やかさに、夢見が悪くて憂鬱だったヒメの気分も、吹き飛んでしまったのだった。




「おや、ご支度したくがお済みになりましたか」


「うん、おはようジョージさん」


 執事ジョージは、扉を開けて現れたヒメのドレスをひとしきり褒めちぎった後、ヒメの部屋に誰もいないことを確認してから、声をひそめた。


「大変だったでしょう、彼女たち」


「お針子さんのこと? そんなことないよ、とっても楽しかった」


「そうですか、姫様がそうおっしゃるなら良かったです。針など突き刺されませんでしたか?」


「え? 大丈夫だったけど?」


「それを聞いて安心いたしました。彼女たちはまだ、修行中の身でして。本当は別の者がお針子として勤める予定だったのですが――」


 みなまで言われずとも、ヒメは察した。


「この服を着せてくれるはずの本当のお針子さんたちは、逃げ出しちゃったんだね」


 人事事情を把握しているジョージは、ヒメにまでこのような事を伝えなければならない事態に、危機感を抱いていた。


「これからは、彼女たちが姫様付きのお針子となります」


「わかった。彼女たち、よくやってくれてるから、なにも心配いらないよ」


 気遣うヒメだが、執事であるジョージは、一国の姫に未熟者をあてがう事態を、重く受け止めている様子だった。


 二人は食堂へ向かうために、廊下を歩きだす。


「姫様、昨夜の話を、竜の巣の三男の王子様から伺いました。フローリアン王子が、姫様の誕生日に大衆の前で、変装をお解きになるおつもりなのだと……本格的に、陛下と血がつながっていないことを表明するおつもりなのですな」


 ヒメの脳裏に、結婚を申し込むリアンの、暗く鋭い虹色の双眸が蘇ってきた。重いため息が、ヒメからも漏れ出てしまう。


「今日来る予定だった本物のお針子さんたちは、リアンさんがエメロ王の子じゃないって大衆の前で発表することに、反対する立場なんだね。でもリアンさんの意志は固い……このままじゃ、愛する主君が大勢の前で恥を掻く姿を、何もせずに眺めることになってしまう、そうなるのが嫌で嫌で、お仕事を投げ出すって形で、反対の意志を表明しようとしたんだ」


「ご名答です、姫様。そして今現在、姫様のお誕生日が開催できるか危ういほどに、人手不足です」


「え」


「朝食を作るはずだった調理人も、今朝いなくなりました。朝は適当にパンを焼いて食べる羽目になりそうですな」


「ちょ、ちょっと待って!? お城で働いてる人、そんなに減っちゃったの!?」


 思わずジョージの前に立ちはだかるヒメに、ジョージは、白い眉毛が下がった。


「……戻ってきてくれたら、良いのですが。さすがに無人の食堂を、王子にお見せするわけに参りませんので、王子には別室で、朝食をご用意いたします。姫様との朝食会も、今日は中止とさせていただきました。王子の了承もいただいております」


「あ……(そうだった! 朝食会のお誘い受けてたんだった)う、うん、しょうがないよ、朝からこんなんじゃ、リアンさんも気まずいと思うし。私も、三男さんからいろいろ聞いちゃって、リアンさんとは顔が合わせづらくなってたから、ちょうどいいよ(忘れてたの、ごまかせたかな)」


「そうですか……」


 ジョージは床に伸びる緑色の絨毯を眺めた。そして、自然な動きで天井のシャンデリアへと視線を移す。いつでも輝いていて、これからも輝き続けるはずの、調度品の数々だった。


「この麗しい緑の城で働けることは、エメロ国民にとっては自慢の一つとなります。それが、このような形でいなくなってしまうというのは……たとえ自分たちが罰せられようとも、王子には陛下のお世継ぎとして君臨してほしいと望む、強い意思故なのでしょうか」


「みんな、リアンさんが大好きなんだね……だからって無言で消えちゃうのは、問題だと思うけど」


 こんなに愛されている人を、ヒメは見たことがなかった。


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