第82話   ヴァージンロードの悪夢

 ぼーっとしたまま目を開けると、見覚えのある大部屋が、目に飛び込んできた。天蓋から降り注ぐ光に照らされた玉座に、竜の巣の王がいる。


 王はひじ掛けにひじをついて、その片手であごを怠惰に支えて、ご満悦といった様子だった。


(あれ? 私、エメロ国にいたんじゃなかったっけ?)


 言葉の出ないヒメに、王がにやりと鋭い牙をむき出す。


「ヒメ、ごくろうだったな」


「あ、あの、私、なんの御用で呼ばれたのでしょうか」


 困って、足元をもじもじと見下ろすヒメは、自分の服装にぎょっとした。ノンショルダーに、白いビスチェ、プリンセスラインの、この純白の衣装は。

 レースのついた白い手袋、そして、思い出したかのように目の前にふりかかる、白いベール……。


 突如、ヒメの背後から大勢の歓声がワッと上がった。びっくりして振り向くと、そこはエメロ国の城下町の、広場になっていた。


「おめでとう!」「おめでとうエメローディア!」「末永くお幸せに!」「これでエメロ国も安泰だ!」


 青空の下で、見覚えのあるエメロ国民が、さらにはヒメたちを襲った春の民まで、勢ぞろいして祝ってくれている。ヒメの足元にはエメラルド色のながーい絨毯じゅうたんが、前方の視野のかなたまで敷かれており、ヒメはこれがヴァージンロードなのだと察した。


(あ~、夢だわ~これ……)


 ヒメは夢の中なのに目眩がした。今ヒメが着ているこのウエディングドレスだって、竜の巣の資料室で見たことがある装飾、そのままだった。


(しかもみんな、私のことエメローディアって呼んでるし……私はエメロ国ではマリーベル姫って呼ばれてるんだよ。こんなにおかしな夢を見るのも、きっと、リアンさんから聞いたことが、影響してるんだ……)


 可愛いドレスを着て、皆に祝われるという、奇妙な悪夢。しかも花婿であるはずの、リアンがどこにもいない。一人で歩けというのか……。


 夢の中でも、いつもの習慣は出てしまうものだ。マリーベル姫らしく振舞おうと、ヒメは白いハイヒールを上手に履きこなして、ヴァージンロードの両脇を固める知人たちに笑顔で手を振り始めた。


「ハハハ、どうも~……」


 夢なんだから、適当にやっていればいつか目が覚める。それなのに、生傷に冷水をかけたときのような、冷たい痛みがヒメの胸にじんわりと、広がってきた。


 思わず、立ち止まってしまう。


(私……私……なんで、こんなことしてるの。ちがう、ちがう! こんなこと、したくない。でも、なんで……? みんなのためになることなんでしょ、なんでやりたくないの? わかんない、自分がわかんないよ……)


 白い手袋に包まれた両手を、ぎゅうっと握りしめた。動かない足を、じっと見つめる。


「姉上」


 ハッと顔を上げると、そこには、エメロ人に変装している花婿姿のリアン王子と、天蓋付きの寝台ごとヴァージンロード上に招待されている、父王がいた。


「リアンさん、お父さん……」


「リアン……これは、どういうことなんだ? なぜ、姉であるマリーベルまで、衣装を着ているのだ?」


 おろおろと、困り顔だが笑みを浮かべて、リアン王子を見上げる王の顔は、王子への労いと優しさで満ちていた。王子のことを、本当に心配していて、愛しているのだと、そんな感情がヒメにも伝わってくる。


「父上、大事な話があります」


「んん? いったい、どんな話なんだ?」


「じつは――」


(待って! まだしゃべっちゃダメ!! お父さんの本当の子供じゃないなんて、そんな悲しいことを晴れ舞台で暴露しちゃダメだよ!!)


 さらに病床で衰弱しきっている父王に、そんな事実を告げてしまったら、父王の健康状態が取り返しの付かないことになりかねない。


 二人の間に割って入ろうとしたヒメだったが、夢特有の不確かな世界は、さっきまで目の前にいた二人を忽然と消してしまった。


 もはや夢であることをすっかり忘れたヒメは、気が動転したまま辺りを見回す。


「あ、ガビィさん!」


 ヴァージンロードの傍らに、マデリンと並んで立っているガビィを見つけた。


 これが偽装結婚だとしても、なんで彼が道の傍らにいて、なんで自分が、不本意な相手との不本意な結婚式のために、今日の主役になっているのだろう……ヒメはこんな形で、ウエディングドレスを着たくはなかった。


「これで全て作戦通りだ。うまくいったな」


「ええ、まったくですわ。ここまで事を運ぶのは、骨が折れましたわね~」


 マデリンが肩をごきごき鳴らして、心底疲れた顔で大きなため息をつく。まるで嫌な仕事が一つ片付いたと言わんばかりに。


(そ、そんな……二人ともひどい!!)


 ヒメは二人の無情っぷりにドン引きした。どこまで仕事仕事で割り切っているのだろう、心が無いのだろうかと、いろいろな文句が心に渦巻く。


(この偽装結婚のために、リアンさんがどれだけ悩んできたと思ってるの!?)


 リアン王子が悩んでいる姿を、実際には見ていないヒメだが、毎日変装していたリアン王子が、本当の姿を国民に見せることに、躊躇ためらいを感じないわけがないと確信していた。


 思わず二人のもとへ駆け寄ろうとしたヒメだったが、ヒメの後ろからヒメそっくりの何者かが追い抜いて、ガビィの目の前に立った。


「あなたねえ!! どのつら下げてそこに立ってるんだよ!! 私こんなの聞いてないよ! 勝手に人を結婚させないでよ!!」


 ヒメそっくりの何者かが、堂々と二人に抗議している。誰よりも大きな、よく響く声で。


 しかし、ガビィもマデリンも、しらけた顔だ。


「竜の巣のためだろう?」

「お仲間のためでしょう?」


 さも当然とばかりに、二人から告げられた。その言葉に、ヒメそっくりの何者かがドレスを踏み破らん勢いの地団駄を踏んで激昂する。


「私イヤ! こんなのやだ!! こんなやり方、絶対間違ってる! こんなやり方じゃリアンさんばっかりいっぱい傷ついちゃうよ! こんな妥協案に私を使わないで!! 私を道具扱いしないでよ!! 私の意見もちゃんと聞いてよ!!」


 ヒメそっくりの何者かの言葉に、本物のヒメは、唖然としていた。


(あの女の子、私の言いたいこと、ぜんぶ言ってくれてる……)


 しかしその勢いに、ヒメまで気圧けおされしていた。あまりにももう一人の自分が騒ぐので、もう少し静かにしてほしいヒメは、おそるおそる、彼女に歩み寄った。


「ヒメ」


 竜の巣の王が、なぜかヴァージンロードのど真ん中に、でんと立っていた。しかも目尻が吊り上がっている。


「げ! お、王様!?」


「命令もこなさず、嫌だ嫌だと連呼しよって! よくもこの儂を失望させてくれたな! 皆の者、かかれえええ!!」


 王の号令で、竜の巣の民がどこからともなく大勢現れて、次々に抜剣。瞬く間に広場が大騒ぎになった。


「王様、やめて!」


 王の前に立ちふさがったのは、もう一人のヒメだった。だが大きな竜の足で蹴飛ばされて、あっけなくコテーンと倒れてしまった。


「竜の巣に不利益を生む者は、今ここで消し炭にしてくれる!」


 王がずんずんと、本物のヒメのほうへ歩いてきた。その足の速いこと速いこと。そしてヒメの足は、なぜか動きが鈍くなっていた。


「ちょっと待って王様! 好き勝手言ってたのは、私じゃないよ! なんで私のほうに来るの!?」


 王の火柱がヴァージンロードごと、ヒメと大勢を消し炭にした。妙に現実味のない、まるで紙人形を焼いたように燃えていたのが、唯一の救いだったように、ヒメには思えた。




 最悪の目覚めに、ヒメは呻きながら、寝台から身を起こした。昨日、寝台につっぷしたまま気絶してしまい、誰かが掛布団だけでもかけてくれていたが、うつぶせに寝てしまったせいで、今もひどく息苦しかった。


「ダメだ、竜の巣のみんなを敵に回してまで、自分の意見を貫くことはできない……」


 あの火炙りの光景は現実味がなかったが、エメロ国での滞在時間を延ばしに延ばしてしまい、ガビィとマデリンが立てたエメロ国での作戦を大失敗させ、結婚式もリアン王子の目論見もくろみも台無しにさせたあげく、のこのこと竜の巣に戻ってきたヒメを、竜の巣の王が受け入れるとは到底思えなかった。帰宅して即、頭から喰われるだろう、本物のマリーベル姫みたいに。


「う~ん、でもなぁ……まだ何か、方法が残ってるような気がするんだよねぇ。私もみんなも、どっちにも得になる方法って、何かないかなぁ……」


 今まで大勢の仲間のために生きてきたヒメは、今もその癖が抜けないでいる。リアン王子も、マデリンも、執事のジョージも、ヒメにとっては、仲間になっていた。


 しかし良い案というものは、小さな頭一つだけではなかなか思い浮かばないものだ。ヒメはまた、ハァ、と寝台につっぷしてしまった。


「どうしよう……誰かに、相談できたらいいんだけど、こんな大きな秘密、誰に話せばいいのやら……」


 マリーベル姫の誕生日まで、あと八日と迫っていた。


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