第79話   悲運の王子の選択

 リアン王子は、ガビィとマデリンを責めないでやってほしいと、ヒメに前置きした。


「二人が貴女あなたに何も話せなかったのは、姉上には理解しかねる作戦を押し通そうとしているからです」


「私に理解できないこと?」


「貴女の誕生日に、国民全員を参加させた誕生日会を開きます」


「ああ、それは知ってるよ。まだ実感はわかないけど、もう十日を切ってるし、これから街の中が忙しくなるのかも」


 ヒメは初めてエメロ国に入ったとき、城下町の人々がマリーベル姫の誕生日を、楽しみにしている話を耳にしていた。王族の誕生日は、国民全員でお祝いするようで、一種のお祭りみたいな感じなのだとヒメは認識している。


「姉上の誕生日会には、国民の前で姉上の婚約者を発表する予定があるんです」


「ん? そうなんだ。婚約者って、シグマさんになるの?」


「いいえ。彼は字の読み書きができないので、残念ですが王位継承者からは外されています。今もなお、多くの貴族が、姉上の婚約者となるべく立候補しておりますが、今のエメロ王では決断することができません」


「シグマさんじゃなくて、別の人たちが立候補を……」


 マリーベル姫ってモテるんだなぁ~と、他人事のように聞いているヒメ。お金や地位に無関心なヒメには、王女との結婚がどれほど重い価値があるのかを理解していなかった。


「お父さんが決められないんなら、私のお婿さん候補は、どうやって決めるの?」


「エメロ王の代理として、僕が決めます。そして姉上も、僕の決定に従ってください」


「え? それはー、えっと……」


 ヒメは困ってしまった。自分はマリーベル姫の偽物で、本物の彼女の真意もわからないのに、こんな大事な決め事を、他人の自分が勝手に同意して良いのだろうかと。


 黙っていると怪しまれるかと思い、ヒメは引きつりそうになる顔を、なんとか微笑みでごまかした。


「いいよ、誰になるんだろうね。その、お婿さん候補は」


「僕ですよ」


「ぼ」


 絶句のあまり、ヒメはオウム返ししそうになった。


「候補という立場では足りません。姉上の誕生日会が、僕との婚約発表会に、そして一ヵ月遅れの僕の誕生日会に、姉上と式を挙げます。これで僕が、この国の王位継承者の第一候補にのし上がれます。あとは、父上がご存命のうちに、僕に王位を譲ってくださるだけ。そうなれば僕がこの国の王となり、国の実権を握り続けることができます」


 ん? ん? とヒメの頭の中で、ハテナがたくさん飛び交っていた。


「あ、あのー、私たち姉弟きょうだいだよね?」


「はい」


「リアンさんは、エメロ王と血がつながっていないことを隠すために、今まで変装屋さんでお化粧してたんだよね?」


「はい」


「……まさか、国民の前で、話しちゃうの? あなたが、エメロ王との子供じゃないことを」


 それは大変怖いことなのでは、とヒメは言いたかった。この、平然と風呂に半身をけている年若き王子に、どのような罵詈雑言が飛び交ってくるのか、考えるだけで気の毒が過ぎる。


「話すだけではありません。この姿も、大勢の前にさらします」


「ええ!? 素顔もさらしちゃうの?」


「もちろんです。僕がエメロ王の血を引いていないと、大勢の前で認めます。そしてそれは、母が不貞を働いたと、大国に知らせてしまうことにもなります。大国との関係を悪化させてしまうことは、避けられません」


「じゃあやめようよ、あなたがひどいことになるの、怖いよ」


「それでも僕は、姉上と結婚して確実に王位を継がなければ。エメロ国にいる他の王子たちでは、異国の民を毛嫌いする気質故に、竜の巣の民と手を組むことができません。小さなエメロ国が、隣国の竜と戦うためには、ちんけな事にこだわる者だと統率を取ることはできないのです」


「え? 竜って数百年くらいおとなしくしてたんじゃないの? リアンさんがそう言ったんだよ?」


「毎日頻繁に鳴き声を上げている竜が、これからもおとなしくしてくれる保証があると、お思いなのですか?」


「ナイ、ト思イマス」


「この国で、事態の収拾に奔走できるのは、僕だけなんです。僕以外に、この国が大きな混乱に陥るのを避けることはできません」


 抱え込みすぎなんじゃあ、とヒメは気圧けおされしていた。


(たしかにエメロ国の人は、異国の民に当たりがきついけど、いざとなったらわらをも掴むんじゃないかな……あ、いざとなってからじゃ遅いのか)


 おろおろと悩むヒメと、己の胸に手を当ててため息をつくリアン王子が、同じ面持ちになっている。


「せめて僕が、こんなにも春の民に似ていなければ、少しはごまかすことも可能だったのですが」


「うん……どこからどう見ても、春の民に見えるよ」


「ガビィとマデリンの狙いは、姉上に意見を持たせないままに、誕生日会まで日付を進めることでした。姉上はただ、誕生日に着飾って椅子に座り、言われるままに皆に祝われているだけでいいんです。本当に僕の妻とならなくていいですよ、誕生日会が終わったら、残りの生活は影武者に勤めてもらうつもりです」


「え? 影武者と結婚式するの?」


「あくまで、ふりだけですよ。僕はマリーベル姫と子供を作る気はありませんから、本物の姉上は、竜の巣にお戻りください。ここは、居心地が悪いでしょうから」


 何もかもお見通しのリアンのことを、ヒメは何もわからなかった。国のために、ここまで心身を削り切る人を、見たことが無かった。というより、エメロ国の人材があまりにも頼りなく、リアンに全てのしかかっている状態に感じる。


「こんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした。姉上は、何もしなくていいですから、どうか犬に噛まれたと思って、婚約の儀式まで待ってください」


「リアンさんを信じて支えてきたみんなの前で、自分はエメロ王の子じゃないって、言うつもりなの? そんなの、ひどいよ! 私あなたのことよく知らないけど、すごくがんばってる人なんだって、いろんな人から聞いてる。そんなあなたが、私と結婚しないと王位が継げない立場だったなんて、みんなが知ったら、悲しむよ」


「では、他にどのような案が? 竜が活性化し、時は一刻を争います。竜が住むスノウベイデル国と隣同士のエメロ国が、何もしないでいるわけにはいかないのです」


「あなたの素顔のこと、隠しておけないの? ずっと変装し続ければいいじゃない。エメロ王の自慢の息子なんだって、胸を張っていればいいよ。そうすれば、私と結婚しなくても――」


「姉上、もしも僕の子供を身ごもった女性が、僕の素顔とそっくりの子供を産んだらどうしますか。その子にも、幼児の頃から変装させるおつもりですか? いつか無理がたたって、周囲に知られてしまうでしょう」


「……」


「街にも、どういうわけか僕がエメロ王と似ていないことが広まっています。隠しておく限界が、来ているんだと思います」


 それはヒメも、ガビィから聞いていた。王子が産まれたときに、それに携わった使用人をエメロ王が処刑しなかったばかりに、情報が外に漏れてしまったのではないか、と。


 リアン王子の、重く大きなため息が、浴室に響いた。


「……僕も、演技をし続けることに、疲れてしまいました。母の不貞を白日はくじつもとにさらすのは、北の大国を敵に回してしまうかもしれませんが、マリーベル姫との結婚により、僕がエメロ王の跡を継げる立ち場となれば、また政治の指揮を執って、エメロを強くしてゆきます」


 希望を絶たれても絶たれても、這い上がってきた者の目が、じっとりとヒメを見据えた。


「姉上、僕と、結婚してください。異論は認めません」


 ヒメの胸に、人目もはばからず号泣したくなるほど強い感情が、渦巻いた。


(つらい……)


 無意識に、言葉が胸に湧いて出た。これが、辛さ。どうにもできない状態から生まれた、苦しくて、でも大声で泣いて吐き出すことができない、抱えているだけで悲しくなる、強烈な感情。


 頭が混乱していた。これは仕事、全ては影武者が、やってくれる。自分は任務さえこなして、竜の巣に帰れる。願っていたことだったはず。


(リアンさんが、そんなつらいことをずっと考えていただなんて。しかもガビィさんも、このこと知ってたんでしょ? ガビィさんはずっと私のそばにいながら、そんな計画を推し進めてたってこと? ……私が、弟のリアンさんと結婚すればいいって? たとえ影武者でも、私の顔した誰かがリアン王子のお嫁さんになればいいって? そんなの、そんなのってないよぉ……)


 こんなによく響く浴場で抗議しては、外にいる誰かの耳に入ってしまうだろう。


 自分は竜の巣の民。リアン王子との友好関係を維持することは、この先の商売相手を末永く確保することにも繋がる。


(耐えろ、耐えろ! 耐えろ私!)


 私情を捨てて、冷酷に、竜の巣の民の仲間のために。弱っているエメロ国の王子に恩を売り、利用するために。


 ヒメは重たくて首が落ちそうになる頭を上げた。


「私たち竜の巣の民が、あなたを守るよ」


 心のどこかが、軋みを上げた。


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