第76話   お風呂!?(驚愕)

 三男いわく、よく目立つピンクのネグリジェで外に出るわけにもいかないから、というのが黒装束に着替える理由であった。


 本来なら、ヒメは日付が変わるまでは謹慎の身。こっそり部屋から出なければ。


 数日ぶりに身にまとう漆黒色の仕事着。ヒメは姿見の前で、細長い布を何枚も体に巻き付けて、見るに竜の巣の民へと変貌する。


 最後に、頭部全体に巻き付けた布の結び目をぎゅっと引き締めて、完成。


「よし、できた。着替えをたくさん持ってきててよかった」


「ヒメさんできたー?」


 ヒメの着替え中、ずっとカーテン越しのバルコニーに締め出されていた三男が声をかけてきた。


「うん、完璧」


「ほいじゃ、行こうか」


 窓が開く音がして、夜風がカーテンを舞いあげる。そこへすべりこむようにして、ヒメがバルコニーへと移動した。


 半月の明るい夜空だった。星が月に負けじと瞬いている。


「うわあ、いい夜だね」


「ヒメさん、最近窓とか開けてた?」


「あんまり。ちなみに今日は一度も開けてないんだ。謹慎中だったし」


 うーん、と背伸びしてから、ヒメはハッと肩を跳ね上げた。


「そうだった、私、日付が変わるまでは部屋にいなきゃ」


「執事のジョージには、俺から事情を話しておいたから。大丈夫だよ」


「へえ? そ、そうなの? ありがとう……」


 なんと用意の良いことだろう、感謝の気持ちがわくと同時に、自分の性格と行動が全て見透かされているみたいで、ヒメはもじもじと身じろいだ。


「私もあとでジョージさんに、見逃してくれたお礼を言うね」


「あの爺さんなら許してくれるっしょ。ずいぶんヒメさんのこと、理解してくれてるみたいだしさ」


 彼らの行動分析学を、ヒメも会得したいと常々思うのだが、今はまだ何も余裕が持てなくて、ひたすら受け身の日々だった。


(やっぱり今の私じゃ、ガビィさんのお嫁さんにはなれないよ……あと、三年? いや、二年くらい修行して……って、どうしてそっちの方向に思考が飛ぶの! まずは仲間の足を引っ張らないように実力をつけるのが先でしょ、私!)


 一人で月に向かって「よしっ」と気合を入れ直して、ふと三男に振り向いた。


「それで、リアンさんが私を待ってるって話だけど、どういうことなの? リアンさんは私が謹慎中だって知らないの?」


「知ってるよ。だからあいつ、いつでもいいって言ってた」


「え」


「それで今! 今がいいと、俺は思ったわけ。今なら王子も、一人きりだし、腹を割って話すならさ、今が絶好の機会だよ」


「うう」


 ツッコミどころが多すぎて、ヒメの口が回らない。


「さ、しゅっぱーつ」


 三男はバルコニーの手すりを片手でひょいと飛び越えると、なんと用意の良い、バルコニーの柱に結びつけていた縄を伝って、下へ下へと壁を蹴りながら下りてゆく。


 ヒメは手すりから身を乗り出すと、周りに見張りがいないか確認した。けっこういる……だが、こちらに気づいていないのは、縄も三男も闇夜に紛れた黒色だからだろうか。


 ヒメは小声で三男に叫んだ。


「ねえ、どこ行くの? リアンさんの部屋は、一階じゃないよ」


「そんなこと知ってるって。王子は今、一階にいるんだよ」


 どうやら、王子の部屋で話をするのではないらしい。客間かな? それとも、晩餐の終わった食堂かな? とヒメは予想しながら、音が鳴らないように丁寧に窓を閉めて、バルコニーの手すりに片足をかけた。


 そろそろと縄に手足をかけて、下まで移動してゆく。三男はすでに地面に着地して、花壇の花の陰に、しゃがんで隠れていた。こういうとき、小柄な体だと有利である。



「ん? 今なにか……なんだ、風で揺れただけか」


 あわや見張りに見つかりかけたところを、春の夜風に助けられて、ヒメはひやひやしながら壁伝いに進んで、前方を行く三男の背中を追いかけた。


 どこからか、バシャリ、水音が鳴る。しっとりした空気が、花のような香りをヒメの鼻腔にまで運んでくる。花壇に咲いている花ではないようだが、どこからただよってくるのか、ヒメにはまだわからなかった。


 人のいる部屋からは、窓から差す光が強い。その下を、中腰で通り過ぎる二人。


 良い匂いのする湯気が立ち上る、大きな出窓が見えてきた。


(お風呂場?)


 窓は閉まっているようだが、わずかに隙間があるようで、湯気はそこから漏れていた。

 曇った窓硝子がらすからは、中の様子がまったく見えない。


 三男が出窓の下にしゃがんで、ヒメに手招きした。ヒメはイヤな予感がして、彼に歩み寄るのを躊躇したが、腕を掴まれて強引にそばに座らされた。


「王子、体調が優れないらしくてさ、今日は風呂が遅めだったんだよな」


「あの、あの、私たち、まさか――」


 しー! と三男が口元に人差し指をあててヒメを黙らせた。


「風呂場には一箇所だけ、すごく大きな窓があるんだ。それが、ここな。開かないように、はめ殺しにされてるんだけど、外し方なら知ってる」


「外し方って……のぞきどころの騒ぎじゃなかった」


「そういうこと。俺が知ってる本物の王子に、会いに行こう」


 そう言って三男は、見張りが近くにいないのを確認すると、なんの迷いもなく立ち上がった。


 その勢いに、ヒメが「ひぃ」とドン引きする。


「ダメだよ三男さん、そんなことしちゃ」


「女と違って隠すとこ少ねーんだから、ぎゃーぎゃー言わねーだろ」


 三男の両手が、窓枠にかかる。ぎしぎしっと音がして、出窓をふさぐ三枚の窓硝子のうち、真ん中が、窓枠ごとずり上がってゆく。


 浴場内にいる人間から気づかれる勢いで、湯気が立ち上ってゆく。否、もう気づかれないのがおかしいほどに。


 ヒメもたまらず立ち上がった。窓を下げようと手をかけたが、固くて動かせない。


「夫婦でもないのに裸を見るなんて、お医者さんぐらいしかしないよ、そんなこと」


「ヒメさんは城に来てから、着替えも風呂も、いつも誰かに手伝ってもらってただろ? 王子も同じさ。今さら怒らないよ」


 お邪魔するよ~、と三男が窓から中へと滑り込んでいった。


 ヒメは一瞬意識がどこかへ移動しそうになったのをぐっと引き戻して、でも覚悟が決まらなくて、最終的には、夜風に吹かれた草花の音に驚いて、見張りが来たと勘違いして、もうヤケだとばかりに広い浴場へと侵入してしまったのだった。


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