第75話   ヒメはガビィをどう思ってる?

 ヒメはナターシャのために絵本を音読しながら、素晴らしい挿絵を指差しては互いに感想を言い合った。


『金色の竜は、いつまでたっても帰ってきません。白銀色の小さな竜は、とてもさびしくなりました。「僕も地上に行きたいよ」白銀色の小さな竜は、勇気をだして、あなに飛びこんでゆきました。あなはふかく、くらく、とても寒くて、小さな体の白銀色の竜は、いっしょけんめいに翼をぱたぱたさせました。スポッ! 白銀色の小さな竜は、ようやくあなを通りぬけました。』


 暗い穴の先には、どこかで見た覚えのある雲と、小さな銀色の竜の眼下に広がる実り豊かな大地が、見開きいっぱいに描かれていた。色は付いていなくとも、細かく描かれた景色により、金色の大きな竜に生えていた植物のたぐいがその地を慈しんだのだと物語る。


 次のページを開くと、以前より肉体がしぼんでしまった大きな竜が、人々に見守られながら横たわっていた。


『そこには、金色の竜がいました。』


 金色の竜に生えていた植物は、ごっそり減っていた。その身から生える実りを抜いては大地に植えたのだと、ヒメは思う。飢えた子供たちは金の竜が予想していたよりも、はるかに多かったのだ。


『金色の竜は、子供たちと、それから銀色の小さな竜に、言いました。「私が何日も動かなくなってしまったら、この場所にうめよ。きっとこの地はさむい冬でも、実りがのこるだろう」子供たちは悲しみました。「金色の竜よ、どうかずっといっしょに、いてください」銀色の小さな竜も、悲しみました。「せっかく会えたのに、どうして寝ているの? もっとあそぼうよ」やがて、金色の大きな竜は、何日も動かなくなりました。』


 次の頁の絵は、ヒメは少し苦手だった。横たえた金色の竜の、異様にふくらんだお腹から、まるでウジのように、わらわらと春の民が這い出ているのだから。彼らは裸で、そしてすでに成人していた。ツタのような模様が肌に浮き出ており、髪の毛には穂や花が付いていた。


『「私たちは、金色の竜の種子です。優しい子供たちよ、そして白銀色のかわいい竜よ、どうか私たちのことも、この世界にまぜてください。それが金色の竜からの、お願いごとです」子供たちはびっくりぎょうてん。白銀色の小さな竜も、びっくりして、走って遠くに隠れてしまいました。』


 次の頁には、文章がなかった。代わりに、春の民が奏でる楽器と歌や踊りに、手を取って一緒に踊る子供たちと、それを後ろでもじもじしながら見守る白銀色の竜の姿が描かれていた。涙目になっているけれど、楽しそうな人々の輪の中に入りたそうにしている、小さな竜。それに気づいて、両手で手招きしている春の民がいる。


 たった一匹になってしまったけれど、孤独にならずに済んだ、小さな竜。金色の竜がこの地に降りたのは、きっと彼のためでもあったのだと、ヒメは思っている。


「あれ……? ねえナターシャ、この挿絵の、輪の中で歌ってる男の人、顔が今朝会った春の民にそっくりだよ」


「あら、ほんと。まるで本人のようですね」


 今朝会った歪な笑みではなくて、気持ちよさそうに聴衆の期待に応えている彼は、きっとこの場でいちばんの人気者なのだと、ヒメは思った。

 この絵本は何度も読んだはずなのに、いざ挿絵そっくりな人と出会っても、こんなに気づかないものだとは。そもそも、幼少期のときに読んでいた姿そのままに登場する時点で、どこかおかしい。


「もしもご本人ならば、いったい今、おいくつなのでしょう」


「きっと今朝会った人の、ご先祖様かもね」


 コンコン、と扉が鳴った。


「ナターシャ、交代のお時間がきましてよ」


 なんと、部屋に入ってきたのはマデリンだった。ナターシャが、あ、と言わんばかりの顔になったのを見たヒメは、次にマデリンが来ることを忘れていたのだと察した。


 本の続きはまた後日ということになり、ナターシャが一礼して去っていった。部屋にはマデリンとヒメの、二人だけになる。


「ご機嫌いかがかしら、マリーベル。お手紙、読みましてよ」


「よかった。ガビィさんにも届けてくれた?」


「ええ。彼も読んでくれたと思いますわ。あなたと隊を組むのは、反対のようですけれど」


「んも~。どうやったらガビィさんと仲良くなれるんだろ。それとも、もう仲良しなのかな。これ以上は、無いのかな」


 うーん、と両腕を組んで、金色の眉を寄せて悩むマリーベルの様子に、マデリンはなんとも思わないようにしようとしていたけど、やめにした。


「マリーベル、貴女まさか、ガブリエルと結婚する気ですの?」


 単刀直入に尋ねられたヒメは、少し怪訝そうな顔で眉をひそめた。それからまた、うーん、と腕を組んで考え込む。


「ガビィさんが嫌だって言うなら、私もしたくないよ」


「では、したいと言われたら、しますの?」


「うーん……今のままの関係で、したいなんて言われたら気まずいなぁ。ガビィさんだけが、どんどん先にいっちゃってて、私はまだ、なんにもこなせていないから、なんだか釣り合わない気がするんだよね」


 マデリンは、マリーベルから難しい話が出てくるとは思わなかった。てっきり「うん、したいな~」と、のんきに答えてくると思っていた。


「貴女はガブリエルとどうなりたいんですの?」


「うーん……そうだなぁ、私もガビィさんの部隊の一人になりたいな。それで私も、彼の役に立つの! えへへ、ガビィさんに頼りにされたいなぁ、できれば褒めてもらいたいな」


 早くも褒められたかのようなにやけ顔をさらすヒメに、マデリンは呆気に取られていた。


「な、なるほど、信頼関係を築いて、ともに同じ目的を果たしたいと……貴女の抱く感情は、頼りになる男性への憧れだったのですわね」


 マデリンは心配して損したとばかりに、肩をすくめた。もしもマリーベルが、結婚を望む形で彼を愛していたとしたら、たとえお飾りの姫君でも、少し気の毒な立場だと思っていたから。


 彼は竜の巣の王子だが、異国から派遣された兵士のような立場であり、エメロ国の姫と結婚するとなると、彼の本業も相まって、いろいろと障害が生じる。たぶんマリーベル自身は、何もわかっていないんだろうけど、これからそれを知って、嘆き悲しむ未来が待っているのは、他人事とはいえマデリンも気の滅入る思いをしていた。


「もしかして、それを確認するために部屋に来たの?」


「それもありますけれど、貴女がまた脱走を企てていないかの確認にね」


「信頼って一度崩れると、なかなか回復しないね」


「以後、気を付けなさいな。それと、もうすぐお風呂ですわよ」


「はーい……」


 ヒメは毎日のお風呂が、未だ慣れなくて苦痛だった。お湯はとても暖かくて気持ちいいし、全身が温まると血流がよくなって、よく眠れる。でも、お風呂にはヒメの体を洗うためにメイドが数名いるのである。


 これも地味にヒメの気が休まらない原因になっていた。




 濡れた全身と髪を、慣れた手つきで拭いてもらって、用意された寝巻ねまきは、ふわふわのスカートで可愛くて。


 でも。


(ようやく終わった……。嫌だなぁ、エメロ国のお風呂。一日の中でいちばん嫌だよ)


 自分で洗いたいと言い張ったヒメだったが、自分たちの仕事が無くなるからとメイドたちも譲らず、言い合いになりながらのお風呂という、気まずさの塊のような夜になった。以後ヒメは、あきらめておとなしくしていようと思う。


(この生活って、本物のマリーベル姫が送るはずだったんだよねぇ……今頃、本物の彼女は竜の巣でどうしてるんだろ。お城に帰りたいって、思ってたりして……)


 今すぐ立場を交換してあげたいヒメだった。衝動的にそう思っただけで、任務を放棄するつもりはないけれど。


 今この部屋には誰もいないが、部屋の外では執事のジョージが椅子に座っている。高齢なのだから無理はしないでとヒメは言ったのだが、今日のジョージは、なんだか不安そうにしており、十二時を過ぎるまではここにいると言い張るので、ヒメは怪訝に思いながらも、許可した。


(私が真夜中に出かけるかもって心配してるのかな? 今日はほんとにいろんな人に迷惑かけちゃったんだ……。でも、これからは自由に外出もできるんだよ。ジョージさんも連れていっちゃおっと!)


 まさかジョージが、グラム伯爵の動きを警戒するあまりに、個人的にヒメの部屋の前に座っているだなんて、夢にも思わないヒメだった。


「ヒーメさん!」


 天井板が大きくずれたと思ったら、寝台の天蓋を支える柱を伝って、するりと着地した三男の姿が。その素早い動作の合間に見えたのは、口元の黒い布を少しずらして食べている、串に刺さったお団子だった。器用なことに、手を使わずに食べている。


「厨房でお菓子つまんできた」


「口に刺さらないようにね」


 ヒメの忠告も余計とばかりに、三男の硬く鋭い歯が串ごとバリバリと噛み砕いた。もぐもぐ、ごくんと喉が鳴る。


「ヒメさん、そんなひらひらした布なんか着てないでさ、いつもの黒いのに戻ろうよ」


「でも黒色は、エメロ国じゃ不吉な色なんでしょ?」


「俺らにとっては仕事着だよ。闇夜に紛れるには、うってつけだし」


 三男は部屋の窓の鍵を手早く開けて、半月の浮かぶ夜空へと誘うように、大きく窓を押し開いた。


 そしてヒメに振り向き、金色の目を細める。


「出かけるよ。王子が待ってる」


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