第57話   シグマという男①

 メイドが何を言っても、扉は外から激しく叩かれ続けて静かにならない。


 ヒメは椅子に座ったまま、扉に向かって「どなたですか?」と尋ねてみた。すると扉が静かになり、なんの物音もしなくなった。


 しぃん、と静まる、ヒメの部屋。


 ヒメは返答があるまで少し待ってみたが、一向に返事がないので、椅子から立ち上がった。


「姫様、何やら気味が悪いですわ。近づくのはよしましょう」


「でも、外で待ってるジョージさんの反応が無いよ。扉の外にいるのが、もしも危ない人物だったらさ、ジョージさんが騒いで人を呼んできてもおかしくないと思うんだ」


 ヒメは扉に近づくと、五感の全てを研ぎ澄ませて、扉越しに耳を付けて相手の気配を探ってみるが、呼吸音すら聞こえない。


(ん~?)


 また激しいノックが扉全体を揺らして、びっくりしたヒメは猫みたいに飛び上がってしまった。


 このエメロ城で、ヒメに気づかれずに接近できた人物といえば、たった一人だけ。それこそ、ヒメが振り返るまで音も気配も消していて、気づかれた後は、普通にガシャガシャと鎧を鳴らして花を差し出してきた、あの男性。


「あ、シグマさん!? どうしたの?」


「入ってもいいですか?」


 朝も聞いた、くぐもった声。これは、被っているかぶとのせいだ。


 ヒメが扉を引き開けると、彼が身にまとっている白銀色の鎧の胸プレートに彫られた、不機嫌そうな白銀の竜が視界いっぱいに入ってきた。忘れた頃に急に視界を占められると、本当にびっくりする。それぐらい迫力のある彫刻作品だった。


 一歩引いて見上げた先には、シグマが立っていた。兜で素顔が隠れているため、その肩に並ぶ勲章だけが、彼であるという目印になる。


 ヒメは鎧の竜の表情も相まって、しょんぼりとうつむいた。


「怒ってる、よね……。大事な妹さんと、ケンカしちゃったから。でも、もう仲直りしたんだよ。だから、許してほしいな」


「どうして謝る必要が? 姫は襲われたから抵抗しただけです。武術とは、己の身を守るために使ってこそでしょう。そして勝つために、日々鍛錬するのです」


「え? 怒ってないの?」


「まさか。この感動に胸が高鳴って仕方がありません」


 彼はヒメの許可も取らずに、生暖かい鎧に覆われた両手で姫君の手を取った。


「姫様、エメロ国一のヴァルキリーを倒した今、貴女あなたが国一のヴァルキリーとなりました。大会に出ていなくても、勲章を貰っていなくても、僕の中では貴女は最高の戦士です」


「あ、あの、おかしくない? だって私は、あなたの妹さんの経歴に傷をつけたってことでしょ? どうして賞賛するの?」


「身内……?」


 背の高い頭に乗っかっている兜が、しばらくの間、斜めになった。


「ああ、そう言えば、マデリンは僕の妹でしたね。忘れていました」


「家族だよね!?」


「そうでしたね」


「家族だよね!?!?」


「そうですよ」


「あんな綺麗な人を、忘れてたの? 毎日必死に働いて、どんどんサボッてゆく仲間を叱責して、王子様を支えてる、あのマデリンさんを?」


「はい」


「あなたはずっと稽古場で生活してるわけじゃないでしょ? お城で働いてる家族のこと、どうしてすぐに忘れちゃうの?」


 しかもマデリンはシグマのことを、心配までしていたというのに。組織全てが身内のような感覚で育ってきたヒメにとっては、信じがたい価値観だった。


「……難しい」


「え?」


「僕には、難しいです、その質問」


「ど、どこが?」


「僕の大事なモノは、一つだけですから」


 シグマはそれ以外に価値を置かないらしい。はたして、家族の存在が頭から吹っ飛ぶくらいに彼が大事にしているモノとは。


「それは何?」


「勝者を倒すことです」


 その返答に、ヒメは大変がっかりした。がっかりし過ぎて、頭が真っ白になり、一瞬なにを言われたのかわからないほどに、がっかりした。


「姫様、僕とも雌雄を決する名勝負を、してください!」


「はいぃ? なに言ってるの!? 私があなたと戦う理由は?」


「勝者を倒したいからです」


 マデリンの経歴についた傷の、仇討ちがしたいと言うのならば、ヒメはいつか時間を設けて、よく話し合った末に、エメロ城が落ち着いたら、受けて立っただろう。


 そして勝敗がどのようになっても、きっとお互いすっきりすると思った。でも――


(妹さんはどうでもいいから、最高の貴女ヴァルキリーと戦いたい、なんて……ど、どうなってるの、この人)


 鎧のかさましもあるだろうが、シグマとは体格差がかなりある。おまけにエメロ国一の手腕だと言うのだから、ヒメの勝ち目が薄いのは明白だ。


 それなのに、わざわざ勝敗を決めて、シグマはその後どうするつもりなのだろうか。今すぐ、ただ戦いたいだけに見える。護衛すべき、王族の姫と。


(なんだか嫌な予感がする。断らなきゃ)


 あれこれ言い訳を考えたが、うまいこと案が降りてこず、けっきょく、はっきりと意思表示することにした。


「ごめんなさい、断るよ」


「どうしてですか?」


「そのー、私がイヤなの。あなたとは戦えない。今はそれどころじゃないし、いろいろすることがあって、頭がこんがらがっちゃってるから、勝負するのはあきらめて」


「すみません、長過ぎて理解ができませんでした。戦ってくれるんですね?」


「違うよ!」


 シグマには端的に説明せねば、通じないことをヒメは知らなかった。思わず上げた大声に、鎧の中の繊細な青年が大変驚いているが、ヒメは気づかない。


「私が言うのもヘンだけど、あなたはもっと周囲を見ないと、いつか絶対に怪我するよ」


「姫様のおっしゃる、周囲を見るとは、どのような事を意味するのですか? 僕は、常に周囲を見ていますが」


「そうだね、まずは、その視界の悪そうな兜を、取って見せて」


「えっ!?」


「ほらね、絶対にイヤでしょ? 私にも絶対にイヤだって思う気持ちがあるんだよ。それが、あなたと勝負すること」


「勝者を倒すことが、イヤな事だとおっしゃるのですか?」


「あなたの価値観を否定はしないよ。でも、私はあなたの価値観に共感ができないの。わかるかな」


「わかりません」


 なんの悪気も無く、即答された。

 成立しない会話が続いてゆくうちに、ヒメはだんだん背筋が寒くなってゆく。


(私が了承するまで、あきらめないつもりなのかな……)


 精神が参るほど疲労していた妹に、ねぎらいの言葉すら思い浮かばずに嬉々としているシグマには、気味の悪いものしか感じない。ましてや彼が振るう剣には、きっと得たいの知れない不気味さが、蛇のように巻き付いているだろうと思った。


「もしも僕が、今ここで兜を取ることができたなら、貴女の言っていることが、理解できるかもしれません」


 シグマはそう言うなり、指の先まで甲冑に覆われているにも関わらず、器用に首元後ろの留め具を外して、兜をゆっくりと、外してみせた。


 兜で蒸れたのか、少し汗ばんでぺったりした金貨色の短髪に、ぱっちりとした丸みのある翡翠色の両目。まるで大型犬の子犬のような無垢さをまとう、ほがらかな顔立ちの可愛らしいお兄さんだった。


 ……その頭髪を巻き込んで、おでこ半分くらいまでを、茶色く汚れた細い布が覆っている。


(この白い布、包帯ほうたい!? うちで使ってるのは黒い包帯だけど、え、これエメロ国で使う包帯だよね?)


 だとしたら、そうとうな大ケガを負っていることにならないかと、ヒメは両手を口にあてて絶句していた。


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