第56話   エメロ国の城壁の歴史

第一編 『エメロ国とスノウベイデルの歴史』


第一章 『隣り合う謎多き国々』


 エメロ国は、もともとベイデル国という大国の一部であり、その頃はエメロ国とは呼ばれず、エメロ地方、と呼ばれていた。


 エメロ地方に限らず、ベイデル国には地方と呼ばれる場所が点在しており、それらは大国の滅亡後、国として成っている。


(ふぅん……エメロ国は、ベイデル国の一部だったんだ。じゃあ、当時の偉い人って、ベイデル王とか呼ばれてたのかな)


 ヒメが立ったまま読んでいるので、メイドの一人が椅子に座ることを提案した。椅子を引いてくれて、ヒメはお礼を言ってそこに腰かけた。


「ねえメイドさん、ベイデル国と、このエメロ国は、もとは、1つの国だったの? この本に、そう載ってるんだけど」


「ええ、そう云われております。エメロ国には、何も資料が残っていないのですが、世間ではそのよういった説が有力でございます」


「へ〜。エメロ国側に資料が無いのは、少し気になるけど……あ、ページ閉じちゃった! どこまで読んだっけ……あった、ここからだ」


 当時、地方に追いやられていた人々は、ベイデル国の首都に住むに値しないと判断された者が、寄り集まって住む場所であった。


 ベイデル国を長らく調査している地層学者を取材したところ、ベイデル国首都と、地方に住む人々の食べ物には地域差が見られた。採掘された地方民の人糞の栄養素は薄く、健康状態も良好とは言い難かったのではないかとの調査報告が出ている。


 おそらくは、地方で出来た作物をベイデル首都民が根こそぎ献上させ、武力で蹂躙していた時代が長かったのだろう。


(うわぁ……ひどい。働いてるのにごはんが食べられないだなんて、なんのために生きてるのかわかんなくなっちゃうよ。こういうのを悪政って言うんだよね)


 エメロ地方には当時を知る手がかりがほとんど現存せず、発掘された人糞と、穀物の手掛かりとなるプラントパールの成分分析は、歴史を知るための数少ない有効な手がかりとなっている。


(人糞と、このプ、プ? でしかわからないだなんて……当時の書物、どうしちゃったのかな? お腹すきすぎて、食べちゃったのかな……)


第二章 『エメロ国を囲む、外壁の歴史』


 地層学者の調べによると、ベイデル国が白銀の竜を迎えて、国名を『スノウベイデル』と改名した時代以降、特に著しくエメロ人が弱っていた時代がある。


「白銀の竜!? ねえメイドさん、質問! さっき吠えてた竜は、スノウベイデルってところにいるの?」

 

「はい、そのようです。現在のスノウベイデルは、立ち入り禁止区域に指定されておりまして、廃都となって久しく、わたくしも実際には行ったことがないのですが、なぜか竜がたった一匹で徘徊しているのです。えさになるような物は、何もないと思うのですが」


「誰かがこっそりごはんをあげてるのかも。あー、餌付けされちゃったら、飼育係の人の命令しか聞かなくなっちゃうかも」


 伝書鳩は、餌をくれる人たちのもとへ手紙を運ぶように躾けられている。あの竜も、もしかしたら……?

 ヒメの恐ろしい想像に、メイドの一人が目じりを吊り上げた。


「それは、恐ろしい話でございますね。もしもそのような事態になったら、飼育係を殺害せねばなりません。我が国の竜殺しの騎士団ならば、負けはしないでしょう。いつか、そのつるぎを持ってして、竜をも退治できるはずです。今はまだ、卵しか対策ができておりませんが」


 やはり、あの騎士団は竜対策に編成された組織だった。


 メイドが竜を憎んでいる様子なので、ヒメは気づかぬふりをして、読書に戻った。


「あれ? どこの行まで読んでたっけ? ……たしか第二章の、えーっと、あ、あった」


 現在のエメロ国には、奇妙な巨石が国を防御するように並んでいるが、この石の成分と、スノウベイデルから採取される鉱石の成分は同一のものである。


(もしかして、クリスさんたち門番が立ってた、あの長方形のドでかい石でできた城壁のことかな。へえ、スノウベイデル国からの贈り物だったんだ。仲良しになったんだね)


 スノウベイデル全盛期に、エメロ人たちは生きているのが不思議なほどやせ衰えていたことが、当時の人糞の成分分析で発覚した。口にしていた作物に、栄養がほとんど含まれていなかったのである。


(え……? ちょ、ちょっと、スノウベイデル! エメロ人たちにご飯分けてよ! 仲良しになったんじゃないの!?)


 スノウベイデルはなんらかの方法で巨石をエメロ地方へ運び、エメロ地方を長期の間、作物が育たぬほど隙間なく巨石で覆っていた可能性がある。


(生き埋めにしてたってこと? あんな石を、どうやって積み上げたの……?)


 ヒメはこの本の著者を信用して良いものか、迷い始めた。当時を知る資料が人糞とプラントナントカと鉱石のみなのも原因なんだろうが、著者の考察に、読者を納得させるほどの信ぴょう性が欠けている気がする。


「ねえ、メイドさん! なんかこの本、エメロ国が巨石に閉じ込められてたって書いてあるよ!?」


 すると、白髪の年長者が片手を頬にあて、白い眉毛を寄せた。


「その噂が本当かはわかりませんが、昔、祖母からこんな話を聞いたことがございます」


 メイドの祖母の祖母が子供の頃、大人たちが巨石の下の土を掘って穴を開け、そこから外の世界へと脱出したのだと言う。

 それまでは、巨石のせいで太陽が差さず、エメロ地方は冬のように寒かったそうだ。


「寒くて寒くて、厚着をしていないと、すぐに病気にかかっていたそうです。いつも隣人と食べ物を奪い合い、真っ暗な家の中に誰かが泥棒しに入ってきたのではないかと、常に不安がつきまとい、朝日を拝めぬせいか、体がだるく憂鬱な日々で……。やがて暖や明かりを取るための燃やす物が、なくなってゆき、木の実が実る樹木まで切って燃やそうとケンカになる大人たちの声が、いつも家の外から聞こえていたそうです」


 話の最中で気まずかったが、ヒメはお手洗いに立って、また戻ってきた。メイドが本の頁を指で押さえてくれていたので、すぐに読書が再開できた。


第三章 『暗黒と寒さと飢えの時代』


 今は滅んでいるスノウベイデルが白銀の竜を迎え入れ、栄えていた頃のこと。なんの前触れもなく、突然エメロ地方は巨大な鉱石に覆われた。


 エメロの忌まわしい歴史の始まりである。長らく飢餓と暗闇に苦しんだ、恐ろしい時代が幕を開けた。


「祖母の祖母は子供の頃から、あれは絶対にスノウベイデルの、竜の仕業だと、両親から聞かされていたそうなんです。竜が、自分たちを閉じ込めたのだと」


「そのー、竜が一個一個石を積み上げて、地道に閉じ込めたってこと?」


「真意のほどは、わかりません。当時を生きていた人々は、ここにはおりませんから」


 真っ暗なので農作業どころではなく、日光が差さないため穀物も野菜も育たない。飢餓と寒さ、真っ暗な世界……エメロ人が闇と漆黒を恐れる習慣は、このような経緯から闇を悪役に見立てて、子供たちに昔話として聞かせているためである。


 おそらくはこの時代に、エメロ中の書物が焚き火のエサにされたのだろう。現存する書物が、ほとんど無いのだ。


 エメロ人の六五歳以上の男女百人を対象とし、話をうかがったところ、彼らの曽祖父の時代では、食べる物と日光を得るために巨石の下を掘り進み、ようやく脱出が叶ったという。


 犯人は絶対にスノウベイデルの王と、彼に従う白銀の竜だと、エメロ人は強く信じているようであり、ベイデル国と竜を憎む気持ちは、特に年配者に根強く残る。


 また、埋もれていたエメロ地方を、他の地方に住む人々は助けなかったらしい。これは白銀の竜の鳴き声が「エメローディア」に聞こえるため、エメロ地方に関わると竜に何かされるのではないかという不安から、エメロ地方を長らく見捨てていたという説と、単純に生き埋めになっているエメロ人が生きているとは思えずに、放置していたという二説がある。


 どの説も、エメロ国の人々が異国の者に対して激しい感情を向ける傾向を、裏付けているように思える。


(あ、だからエメロ人はガビィさんや私の目の色のこと、つっかかってくるんだ……)


第四章 『エメロ国の男社会の起源』


 巨石の下を掘りに掘ったのは、エメロ国の男性たちだった。男性が中心になって掘ってくれたので、エメロ国では強い男性を尊重する文化ができた。その弊害か、女性の権限に対して重きを置いておらず、エメロ国では貴族でもないかぎり、女性の意見がほとんど通らないという。


(マデリンさんが当てはまるな。女性でも剣を振るいたくて、昔に廃れたヴァルキリーの風習を復活させて、その後、大会で優勝してヴァルキリーになって、それでも、女性だからって理由で、稽古場に入れないんだもん……)


 現在は、竜を刺激しないために立ち入りが禁止されているスノウベイデル。もっと調査するには、多くの専門家がこの地に足を踏み入れなければならない。しかし、竜に丸呑みされては、誰も研究結果を持ち帰えることはできないのである。


(そうか、あんまり調査が進んでなかったんだね。どうりで、あいまいな表記が多いわけだよ)


 ヒメはこの本の著者と、いつ出版されたのかが気になって、最後あたりの頁をパラパラとめくった。


 そのときだった。

 ノックにしてはいささか強い音とともに、扉が揺れた。


「まあ、どなたです!? ここは姫様の私室ですよ、礼儀をわきまえなさい!」


 メイドがお説教をぶつけるも、扉はさらに激しく叩かれた。


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