第35話 ヒメは姫じゃないけど姫なのか②
王の私室と同じ階層の、階段付近にあるこの小部屋は、ちょっとした物置になっており、今は使わないであろう季節感の調度品が、棚に並んでいた。
ガビィは白銀のガントレットに覆われた両腕を組んで、壁にもたれている。
「姫……じつは――」
ヒメをここまで振り回している理由、それをガビィが話しだそうとした、そのとき、何やら近づいてくる気配が。
ガビィは天井へ視線を移した。
「ヒメさん、ここにいんのー?」
天井板のつなぎ目から板がずれて、クリスの姿を捨てた黒装束姿の三男が、逆さまに顔を出した。腕の力で体を支えながら、ガビィとヒメの間に、音もなく着地する。
「三男さん! 本当に天井裏にいたんだね」
「ヘンな場所からヒメさんの声がするから、まさかと思って来てみたんだ。こんな所で、なにしてんの? 用事は終わった?」
「そ、それがぁ……」
ヒメは正直に任務失敗を報告した。
意外にも三男は、平然としていた。
「エメロ王が具合悪くて、予定が伸びることは、少しは覚悟してたよ。でもヒメは今やマリーベル姫なんだからさ、適当に
「そ、そうかな……。でも、エメロ王様、泣いちゃうから、私なにも言えないかも」
「なーに言ってんだよ、親父に良いとこ見せないと、また竜の巣で仕事もらえなくなっちゃうよ? もう二度と外に出してもらえなくなってもいいのかよ」
「そ、それは、ちょっと」
「だろー? めんどくさくなる前に、早いとこ済ませて帰ろうぜ」
今日中には帰る
ずっと壁にもたれていたガビィが焦って、数歩近づいてきた。ぎょっとする三男とヒメを見下ろして……なかなか、言葉が出てこない。
「エメローディア」
必死な顔で、初めて名前を呼ばれて、ヒメは大変驚いたとともに、緊張で肩が固くなった。
「は、はいっ」
「帰るのならば、十六歳の誕生日が過ぎてからにしてくれ。それまでは、ここに居てほしい。竜の巣とエメロ国のために、どうしてもここに、『十六歳のマリーベル姫』が必要なんだ」
ヒメは言われたことの意味がわからず、きょとんとしていた。
三男がふんっと鼻を鳴らす。
「なーにわけのわかんないこと言ってんだよ。兄貴って昔っから会話下手だよな、もっとこう、話すことを頭の中でまとめてからにしろよ」
「お願いだ、エメローディア。俺が長い間、計画してきたことが、すべてダメになるだけじゃない。竜の巣にも悪影響が出る。今エメロ国と竜の巣の関係を、途絶えさせるわけにいかないんだ!」
ヒメはその必死な表情に、釘付けになっていた。彼は気の利いた言い回しもできないし、そもそも口が達者ではなかった。他者にわかるように説明するのも苦手のようだ。
それでも、信念を持って何かを成し遂げようとしている思いが、ひしひしと伝わってくる。竜の巣の王に盾突き、エメロの文化に率先して染まってみせ、ヒメをここまで導いた、彼の熱き思いが。
(私がここで、そっぽ向いたら、あなたが私をお姫様に仕立て上げてまで計画していた全てが、台無しになっちゃうんだね……)
これまで彼の言動には何度も驚かされたし、
しかし、竜の巣とエメロ国のために、たった一人でヒメをここまで導いた信念の持ち主――
(あなたを置いて竜の巣に帰ったら、私きっと後悔する)
彼の抱く計画とは、いったい何か。ヒメは知らなければならないと決意した。
「ガビィさん」
ヒメの固い声に、ガビィが我に返ったように、いつもの無表情に戻った。
「私はこれから、エメロ王との約束を果たすために、王子様と晩ご飯を食べにゆくよ。それが終わったら、なんでも話してほしいな。ゆっくりでいいの。何時間でも。私、あなたの話が聞きたい」
「はあ!? ヒメさんさぁ、どうして俺と兄貴が言い合いすると、いっつも兄貴の味方するんだよ!」
「ご、ごめんね、あなたが私の言いたいことをまとめてくれるから、かえって頭が冷静になるというか……。それに、いつもガビィさんが肝心なこと話してくれないから、つい気になっちゃって……」
詰め寄る三男を、なだめるように両手で押し返して、ヒメは「アハハ」と苦笑してみせた。
ガビィが視線を床にさまよわせ、赤い髪を片手でがりがり掻いて一言、
「……その……感謝する。気を遣わせた……」
おもしろくないのが、三男である。いつもヒメが次男の味方をするから、もういっそ何もしゃべらないほうが、ヒメが反発して竜の巣に帰ってくれるんじゃないかと思い始めた。
「ったく、しょうがねーなぁ! それじゃあ今日は、エメロ王の体調がめちゃくちゃ悪くて、会えなかったってことで、滞在時間を伸ばすからな」
「ありがとう! 三男さん」
「でも、あんま長引かせるなよ。竜の巣にいる俺の部下が、親父に喰われちまうよ」
「あっ! そうだよね、任務は、失敗しちゃダメだよね……」
どうしよう、と焦る気持ちで板挟みになるヒメに、今度はガビィが助け船を出した。
「
「そうなのか!? もう、早く言えよな~」
「私の誕生日って、あと二週間もないけど、竜の巣の王様、せっかちだから、待っててくれる、かな……」
呼び出しに遅れただけでも火炎放射してくる竜の巣の王が、簡単に了承するとは思えないヒメは、「やっぱり今すぐ帰ったほうが……」と青冷めた。
ガビィも珍しく深いため息をついた。口先からちょっと火が漏れていたが、本人は気づかない。
「……当初の計画では、こんなに危険な橋を渡る予定ではなかった。ヒメは約束通りに、誕生日にここへ到着する予定だった。突如降ってきた白銀の卵が、竜の巣を襲撃し、そのせいで遠征が早まってしまったが」
「うん……王様が、次の襲撃が来る前に、早めに出発させたんだよね」
「予定より早くエメロ城へ到着してしまっただけじゃない。明日をも知れぬ状態のエメロ王が姫に会いたがり、今日会うことになってしまった」
あとは、エメロ王に絶望を吐くという任務のみが、ヒメに残されている。これを果たすまで、ヒメは竜の巣へ帰るわけにいかない。
「……姫、十六年前にエメロ王と親父が交わした約束は、姫に十六歳の誕生日が来たら、一度エメロ城へ返す、というものだったんだ」
「返すって? ま、まさか、マリーベル姫って、竜の巣の民の中に混じってたの!?」
「……混じっていた」
「ええええええ!? だれだろ、ミリアさんかな? エメロ王の王妃マリアさんと、名前が似てるから」
本気で考えだす、本物のマリーベル姫。ちなみにミリアはヒメよりも年上だから、どっちみち人違いである。
姫を誘拐した実行犯の、三兄弟のうちの二人が、心から無言になってしまっている。
先ほど、しゃべりが下手だと指摘されたばかりのガビィが、咳払いをした。
「親父たちの約束事がまだ生きているのならば、姫が誕生日を迎えるまで、エメロ国に滞在しても、約束を破ることにはならないはずだ。……早めの遠征さえなければ……こんなに無理を押す作戦じゃなかったが、愚痴を言っても仕方ない。兄さんにも手紙を送って、なんとか親父の機嫌を取ってもらうように頼むつもりだ。親父は、兄さんには
ここでヒメは、ふと気づく。誕生日にいったいガビィが何をしようとしているのかを聞きそびれていることに。
しかし、ヒメが口を開くより先に、閉じていた扉がこんこんと鳴った。
「ガブリエル様、王子が空腹を紛らわせるために、ジュースの三杯目をおかわりしようとしています」
「ああ、すまない。姫、急いでくれ」
王子が待ちくたびれているらしい。不機嫌にさせてしまっただろうかと、ヒメは緊張してしまう。
三男が、うーんと背伸びしながら、他人事のようにため息をついた。
「あの王子様、体がすごく弱いから、三杯なんて一気飲みしたらお腹くだすんじゃない?」
「大変! 阻止しないと。ジョージさん、案内してね」
「はい、急ぎましょう。競争ですぞ!」
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