第36話 メイドの悪口と、ヒメの意思
執事ジョージのあとを追いかけて、ヒメは階段を急いで下りてゆく。必死のあまり、己の靴ずれを忘れていた。
ちょうど二階に着いたとたんに、限界が来てうずくまってしまった。
「うう、痛い……ジョージさん、もう走れない……」
「おお! わたくしとした事が。誰か! 姫様のお召し物に合う、軽装かつサンダルっぽい靴を!」
ようするにサンダルである。
ジョージの声は、廊下によく響いたが、返事をする者は、誰もいなかった。誰も廊下を歩いていないのだから。
「どうしたの? ジョージさん。誰もいないのに大声あげて」
「いえ、いつもならば廊下のどこにでも、使用人が歩いていたもので、つい……」
言いながらジョージは、しまったと顔をしかめた。
(姫様が城の異変に、気付いてしまわれただろうか)
けれどもヒメは、普段の城の状況を知らないから、そんなに奇妙に思わなかった。
そんなことよりも、楽な靴があるならば今すぐハイヒールを脱いでしまいたい。
熱くジンジンと痛むふくらはぎをさすっていると、どこからかヒソヒソと話声がすることに気が付いた。
「ジョージさん、たぶんだけど、あそこの部屋から人の声がするよ。あ、でも、私はべつに裸足でも平気だから、やっぱりこのままでいいや」
そう言って裸足になろうとするヒメに、ジョージは
「なりませんよ、姫様。王族はエレガントな雰囲気をまとわねば、息ができない生き物なのです」
「それは、さすがにウソだって気が付くよ……」
ヒメはジョージのエレガントさに重点を置く価値観が、ちょっとおもしろくて「ふふっ」と吹き出した。
「でもジョージさん、ありがとう。もう少し楽な靴、お願いしてもいいかな」
「任されました。姫様の野生児ぶりを
「野生児って……」
顔が引きつるヒメをその場に残して、ジョージは声が聞こえるらしき小部屋へと赴いた。タオルや着替え、枕カバーなど、日用品を管理する部屋である。
扉に近づくまで、ジョージには声なんて聞こえていなかったのだが、いざ近づいてみると、本当にひそひそと会話が聞こえてきた。
ジョージはヒメの聴力に驚かされたと同時に、狭い小部屋に何人もの話し声がして、少し嫌な予感がした。
「お前たち、そこで何をしているんだ」
ジョージは声をかけたが、返事はなく、今度は扉を叩いてみたが、中のおしゃべりは止まらなかった。
「あの赤ん坊が、あんなにキレイになって戻ってくるなんて。絵画のお后様が化けて出てきたのかと思ったわ」
「でもぉ~、あの子、本当にマリーベル姫なんでしょうか? 姫様が成長した姿なんて、今まで誰も見たことがないんですよね? どうやって本物だって証明できるんでしょ~」
「ドレス姿、見たぁ? 十六歳とは思えない体付きだったわよね。もしかしたらすごーく太ってて、贅肉を寄せて上げてるだけなのかもしれないけどー」
メイドたちが仕事をさぼって、小部屋にこもって延々と愚痴っている。
ジョージは目尻を吊り上げて、強めに扉を叩いたが、無視された。
「あんなに美人だと男性がめろめろです~。王様もきっと、彼女ばかりをえこひいきしちゃいますよ~」
「さすがにそれは
「でも、本当にマリーベル姫がこの国を治める女王になったら、今まで必死にがんばってきた王子様が、あまりにお気の毒すぎます! 私そんなの耐えられません……」
泣き始める者までいる。
ジョージは、今までメイドたちがこのようにして不安を吐き出していたことを初めて知った。
しかし、さぼりを許すわけにはいかない。声だけで誰かの判断はつく。今後このようなことがないように、厳重注意しなければ。
「……ねえ、ジョージさん」
ジョージは、すぐ後ろで冷めた目をして立っているヒメに驚いて、ぴゃっと肩を跳ね上げた。
離れた場所からでもひそひそ声を聞き分けるヒメが、こんなに近くにいたら、当然、中の会話も聞こえてしまうわけで……。
そして部屋の中の女たちも、黙らないわけで。
「後から来た女なんかに王位を渡すことなくない!? 今までどこに隠れてたか知らないけど、あの女は今までこの国のために何もしてこなかったのよ!? それなのに、いきなり来て女王になりますーなんて、誰が納得できるのよ。誰も支持なんてしないわ!」
「でもマリーベル姫のあのお顔……絵画のお后様に、怖いくらい似ておりましたね……。あれは王様も無視できないと思います。もしかしたら、王位も姫様に……」
「ちょっと、やめてったら!」
「ああ、これからもっともっと職場がぎすぎすしますぅ、ほんとやだぁ……」
執事ジョージは、あわあわしてしまう。
ヒメは無言で部屋の中の会話を聞いていたが、やがて大きくうなずいて、扉から離れた。
「歓迎されてないにも
「姫様、これには、そのー、複雑な事情が、あ、いえ、姫様は何も悪くありませんよ? あとであのメイドたちには、きつく言っておきますので、どうか王子にお会いするまでには、すてきな笑顔でいてくださいませ」
ヒメは肩をすくめて、苦笑した。
「私、なんとも思ってないよ。むしろ、どろどろしてるだろうなーって予想はしてたから、ちょっとびっくりはしたけど、覚悟はしてた」
「姫様……」
「エメロ国の詳しい事情はわからないけど、となりの国では竜が鳴いてるし、お城の中は飾る絵だけでももめてるし、もうすぐマリーベル姫の誕生日だし、メイドさんたちもいろんな鬱憤がたまってるんでしょ。私だって、このお城は厄介そうだなぁって思ってるよ」
「だからと言って、この城内で堕落することは許されません。我々は王族をお支えするために働く者です。誇りを持てない者は、この城に必要ありません」
本当に悔しそうに白い眉毛を寄せるジョージに、ヒメは彼のエメロ王に対する揺るぎない忠誠心を見た。
しかし、今あのメイドたちを部屋から全員引っ張りだす時間はない。彼女たちは扉が開かないように細工しているようだし、それにヒメたちは今、王子を待たせてしまっている。
「エメロ国って、ほんとに大変な状況なんだね。だからガビィさんが、あんなに必死だったんだ。竜の巣とエメロ国の橋渡しをするために、まずはエメロ国の不安定な状況を立て直したかったんだろうね」
「姫様、ガブリエル様のお
「あー、ついさっきだけどね」
ヒメは綺麗な髪飾りのついた頭を、ぽりぽり掻いた。
「私にどんなことができるのか、まだわかんないけど、精一杯ガビィさんの役に立つよ。エメロ国のことも、いろいろ心配してみるからね」
ヒメの言い方には、いまいち他人事感が
「なんと
「私、偽物なんだけど」
「では、参りましょう! 競争ですぞ!」
「わあ! ちょっと待って! 置いてかないでー!!」
ヒメはたまらず靴を両手に持って、ジョージを追いかけたのだった。
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