第37話   リアン王子

 一階に到着すると、執事ジョージは背筋を伸ばして、後ろのヒメに振り向いた。


 ハイヒールを両手で持っているヒメに、足にはめ直すよう促す。


「王子はお暇を作っては、晩餐ばんさんをエメロ王とともにお過ごしになります。最近では、近しい身分の御仁ごじんや、お心を許されている御仁、その他とてつもなく悩んでいる家臣などがいれば、お食事のお席を同じくなさいます。王子はお相手と、直接お話しなさるのがお好きなようでして」


「へえ、なんだかステキだね。うちも時間が合うと、王子様兄弟と食堂で一緒になるよ」


「それはそれは。竜の巣の王子様も、気さくなお人柄なのですね」


 じつはヒメ、ハイヒールのかかとを、こっそり踏んで歩いている。ジョージに案内されて、豪奢な装飾の付いた大きな両開きの扉の前に案内された。


 扉の前では、金貨みたいに輝く長い金髪の、小柄なメイドが立っていた。髪に深緑色のリボンを丁寧に編み込んでいて、その顔立ちは翡翠色の目のぱっちりした、お人形のように大変可愛らしい容姿であった。


「うわあ可愛い!! あの人、人間なの? 本当に?」


 いまいち女子の褒め方を知らないヒメの大絶賛に、しかしメイドは眉一つ動かさず、笑顔だった。


 すごく笑顔だった。


 不自然なまでに笑顔だった。


 その笑顔がどんどん近づいてくる。


貴女あなたがマリーベルですわね」


 小鳥のさえずりのように可愛らしい声に似合わず、メイドが足と腰をしっかりえた、力のこもった重たい突き飛ばしを、ヒメの肩に食らわせた。


 ヒメは転倒こそしなかったものの、驚いて声が出なかった。


「わたくしはグラム伯爵の娘、マデリン・グラムですわ。以後お見知りおきを」


「ど、どうも」


「愛想笑いなどけっこうですの。貴女、王子を何時間お待たせしたかわかってらっしゃるの」


 ヒメは鞄の肩ひもを引っ張られて、マデリンの目の前に引き寄せられた。


「貴女はこの国の代表となる女性ですのよ。落ちた信用がいつでも挽回できるとお思いなら、ぶん殴りますわよ」


「わわわ、ごめんなさいっ」


 とっさに謝ったヒメだが、彼女の気取った言葉遣いが耳慣れなくて、あんまり聞き取れなかった。


 そう言えば、ヒメがドレスに着替える前から、王子との晩餐が控えていると、執事ジョージが言っていたのを思い出す。


 そうとうお待たせしていたようだ。


 目の前に迫っているマデリンの笑顔は、誰かに誘拐されないか心配になるほど愛らしい。けれど、恐ろしいほどの闘志と気迫をまとっていて、その心配は無さそうだった。


 彼女の長い髪に隠れて見えなかったが、近くで見ると剣を背負っていた。白銀竜などの装飾はなく、一般的な剣である。


「わあ、この国で武器を持った女性を見るのは、初めてだよ」


 自分と同じく武器を扱える同性を見つけて、ヒメは目を輝かせる。


 そのちっとも反省していない様子に、マデリンが青筋を浮かべた笑顔で、ヒメを突き放した。


「扉の奥で王子がお待ちですわ。貴女の大事な、弟君おとうとぎみですよ。どうか、日頃のご功績を、労って差し上げてね」


「あ、私も王子様に伝言があるんだった。この扉の中にいるんだね。うんうん、お待たせしちゃったこと、ちゃんと謝るよ」


「当然ですわ。地にひたいをすりつけてお謝りなさい。それと、靴のかかとを踏むのは、おやめなさいな。ハンカチを差し上げますから、かかとと靴の間に挟みなさい」


 マデリンはエプロンのポケットから、白いハンカチを二枚取り出してヒメに手渡すと、両開きの扉へと顔を向け、「王子、姫様が参られました」と声を高くして知らせた。


 そして、物音を最小限に抑えた無駄のない動きで、丁寧に、両扉の片方を開けてくれた。


「さあマリーベル、お急ぎなさいな」


「あ、はいっ、ありがとう!」


 もらったハンカチでいつもの歩き方を取り戻したヒメは、扉の奥へと、歩みを進めた。



(マリーベル姫の弟さんかぁ。歳はいくつ離れてるんだろ。とっても小さい子だったりして。あ、食べ盛りなのにお待たせしちゃって、悪いことしたな~……)


 涙目で待たれていたら、なんて言おう……良い案が浮かばず、うつむきがちになるヒメの目に飛び込んできたのは、まばゆいばかりのシャンデリアで照らされた、広い部屋だった。白いテーブルクロスのかけられた長いテーブルに、誰も座っていないたくさんの椅子、そして、部屋の端っこで窓から外を眺めている男性が一人、立っているだけだった。


「あれ?」


 思わず声を上げたヒメに、男性がびっくりしてヒメに振り向いた。ぼんやりと物思いに、ふけっていたようだ。


 雰囲気はガビィよりも大人びていて、歳の頃なら、二十代半ばだろうか。すらっとした高身長で、少しくしゅっとした艶のある金髪は、エメラルドの付いた緑色のリボンで後ろにゆるく一つ結びされて、肩に流れている。


 首元を覆うのは、柔らかな緑色のスカーフ。茶色いベストの上には、金糸で草花の抽象画が刺繍ししゅうされた深緑色のジャケットを着ている。だぼついて見えないようにタイトな作りをしており、彼の体の繊細なシルエットが強調されている。


(誰だろう、この人。すごく細くて、綺麗な体付きだな。王子様の付き人かな?)


 しばし二人は、眩しい部屋で固まったまま、見つめ合う。


 先に我に返ったのは、男性のほうだった。小さく咳払いして、姿勢を正す。


「失礼。絵画の王妃様と、あまりにもお顔が似ていたもので、つい……」


 またかと、ヒメは吹き出した。


「ふふふ、よく言われる。私、そっくりなんだよね」


 気さくな口調のヒメに、男性はほっとしたのか、口角が上がって嬉しそうな表情になった。


「本当に失礼しました。あの、そちらへ行っても、いいですか?」


「うん。私もそっちに行くね」


 二人は若干ぎくしゃくしながら、窓や扉から離れて、部屋の真ん中に集まった。

 ガビィほどではないが、彼も身長が高くて、ヒメはちょっと見上げるのが大変である。


「貴女が、マリーベル姫……そのドレス、心臓に悪いくらい似合っています」


 小首を傾げて、柔らかく微笑む彼から、一輪の花を付けた植物のような可憐さがあふれ出る。


 しかし、ヒメの関心は別のところにあった。


(この人、歩くときに金属のこすれる音がしたんだけど……は、鎧なのかな?)


 男性の首元から頬、そして頭部にかけて、なにやら白銀色に輝く細いツタのような形状の金属が伸びている。首に耳に、ひたいに、頭部に、上品な輝きをまとって巻きついている。


「あなたの白銀色の装飾も、とってもステキで似合ってるよ。後でじっくり見せてもらってもいい?」


「はい。また別の機会にお時間を取って、じっくりお見せしましょう」


「ありがとう!! あ、えっと、名前は……」


「フローリアンです。リアンと呼んでください」


 愛称まで名乗る衝撃には、ガビィによる予習のおかげで、ヒメはなんとか持ち堪えることができた。


「初めまして、リアンさん。しばらくの間、よろしくね」


 ヒメは精一杯、おとなしくて愛想の良い女性を演じた。マリーベル姫の面目を保つために。


「ねえフローリアンさん、じゃなかったリアンさん、王子様はどこにいるの? もしかして、機嫌悪くなって帰っちゃった?」


「いいえ。無事にお会いできて、とっても嬉しいですよ、姉上」


「……え?」


 今、聞き間違えでなくば、姉上と聞こえた、ような気が。


 ヒメは一歩、後ずさった。


「もしかして、あなたが王子様……?」


 おそるおそる尋ねると、彼は緑色の目を細めて、にっこり微笑んだ。


「はい。姉上」


 再度告げられた、あねうえ、という響きに、ヒメは目が回ってしまった。どんどん自分が、本物のマリーベルになってゆく気がする。


「え、でも、ちょっと待って! マリーベル姫の弟なら、私よりも年下か、同じ歳くらいだと思ってた」


「僕は、これでも十五歳ですよ。姉上とは、一ヵ月しか誕生日が違いません」


 でも、とヒメはのどから出かかって、飲み込んだ。十五歳といえば、竜の巣の民しか知らないヒメであっても、こんなに大人びてはいないだろうと思われた。


(エメロ国の男の子って、成長が早いのかな……)


 混乱するヒメの様子すら、リアン王子にとっては、観察対象であった。本当に元気そうな姫の様子に、心から安堵する。


「姉上。ずっとずっと、お会いしたかったです」


「あ、はい、あの、私もです……」


 今日初めて王子の存在を知ったなんて、ヒメは口が裂けても言うまいと思った。


 今日は皆に待ち望まれた、マリーベル姫の大切な日だから。


(ずっとずっと、会いたかった、なんて。こんなにステキな笑顔で言ってもらえるなんて、マリーベル姫は幸せ者だね)


 ヒメは他人事ながら羨ましく思った。こっちなど、任務を遂行できなくて帰れないというのに。


「では、食事にしましょうか。姉上も、ジュースしか飲んでいないのですよね」


「えへへ、そうなんだよね。あなたのことも、お待たせしちゃってごめんなさい」


 ヒメのお腹がグ~ッと吠えた。


「あ……」


「姉上は何か苦手な食べ物はありますか?」


「特にないよ。もしもあなたの苦手な食べ物が出たら、食べてあげるからね」


 弟だというのなら、お姉さん役を演じるついでに、ちょっとふざけて言ってのけた。


 それにヒメは本当に、なんでも食べられるよう訓練を受けている。


 竜の巣の民たる者、空腹時は毒を抜いてでも食べられる物は食べる。これ、竜の巣の掟だ。


 当の王子様は、ほがらかに微笑んでいる。ちょっと困ったふうにハの字に寄せる眉毛が、人懐こそうな雰囲気で可愛らしい。


(この人がマリーベル姫の、弟かぁ~……どんな人なのか、いまいち掴めないけど、私もお姉さんらしく、彼を引っぱってってあげよう。あ、でも、ここでは私が、いちばん無知で、頼りないんだったや……)


 うまくできるかな~、と内心で悩みだすヒメ。


 王子の針のように鋭く冷たい視線に、ちっとも気が付かなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る