第38話 ヒメと姫と、王子の晩餐
嗅覚の鋭いヒメでなくても、とっても美味しそうな匂いが部屋を包みこんでゆくことに気づくだろう。
どうやら、となりの部屋で出来立てを作ってくれているようだ。耳をすますと、フライパンを振って、玉ねぎを炒めているような音がする。
ヒメはお金持ちや貴族の食事が、どんな感じなのかは、竜の巣の資料室でだいたい把握していた。
食材の種類が多かったり、お肉が多かったり、お酒が多かったり、おやつの種類が豊富だったり、とにかく何かが多めだった。
見た目も綺麗な料理が多くて、ヒメはきっと、今日が今まで生きてきた中で、いちばん目の保養になるのだろうなと期待すると同時に、
(誰が作ったかわからない食べ物だし、マリーベル姫はこのお城では歓迎されていないもの、もしかしたら、毒か薬でも盛られちゃってるかもしれない……)
他者の見えざる悪意を、警戒していた。
(あ、そうだ!)
妙案が浮かんで、パッと王子に振り向いた。
「ねえ、お料理を作ってるところを見学させてほしいの。いいかな?」
「厨房に、行きたいのですか? それぐらいなら、構いませんよ。執事かメイドを同行させます」
メイドと聞いてヒメは、あの悪口ばっかりのメイドたちと、なかなかに暴力的なマデリンが脳裏に浮かんで、首を横に振った。
「あなたと一緒に……は、ダメかな」
「僕ですか? えっと、はい、あんまりおもしろいこと言えませんけど、それでもよければ、ぜひ」
小首を傾げるようにうなずいてくれた彼の笑顔は、思わずお世話したくなってしまう小動物のようだった。
(ごめんね、勝手なこと言って困らせて。でも、ちょっと、このお城は、ね……)
よくわからない事情を抱えて勝手にどろどろしているエメロ城。ヒメはこの場所が、苦手になっていた。
厨房へ続く扉の奥から、なにやら言い争う声が。ヒメは「げ」と小さく声が出てしまったが、自分から見学したいと言い出したのだし、覚悟を決めて、扉を静かに開けてみた。
新米の料理人なのか、とても年若い青年が、年配のコックと口論している。
ヒメは彼らの言い分に耳を傾けた。どうやら、使う食材のことで意見の相違があるらしい。
若い調理人は、もっとたくさんの珍しい食材を使って、見た目にも派手で美味しそうな料理の技術をたくさん盗むつもりだったと言っている。
しかし、年配の料理人は、用意された食材以外は使うことを禁じていた。
「王子は
すでに半ば調理されている食材が、調理台の上のまな板に載っていた。ざっと見た感じ、さっぱりした
いちばん高いコック帽をかぶっている太った男性は、料理長だろうか、ふとステンレスのボールに映った部外者の姿に気づいて、後ろを振り向いた。
そして鞄を背負ったドレス姿の女性という奇妙な存在が、扉付近に立っているのを見て、「わあ!! なんで!?」と疑問形の悲鳴を上げた。
ヒメは調理場にいる全員から凝視され、さすがに、ちょっとまずかったかとたじろいだ。
「えっと、おつかれさまでーす。見学させてもらってもいいですか?」
「ど、どうぞ……」
油などの調味料が飛ばないように、ヒメと王子にエプロンが用意された。
「リアンさんは薄味が好きなの? だったら、私も同じのがいいな。素材の味がわかるほうが、安心するんだ。それと、油っこさも同じにして。家族とおんなじ物が食べたいんだ」
竜の巣では、王子も部下も子供たちも、みんな同じ献立だった。王様だけは、お酒とお肉と、塩辛いおつまみだったけれど。
ヒメの不思議な要求に、料理長はおろおろ。今日初めて自分たちの料理を口にする姫のために、使う食材は少なくとも、腕によりをかけて、最高の出来に仕上げる予定だったのに。
「もし、薄味で物足りなければ、ソースやケチャップをご用意しますんで、そちらをご利用ください」
「はい」
かくしてヒメは、誰も食事に毒を盛らないか、きっちりと見張ったのだった。
朝取り卵のふわふわオムライス、鶏肉の香味焼き、春野菜と魚の
(調理場の人が一から作るところは見られなかったけど、毒を盛る隙はなかったし、この食事は安心して摂れるな)
娯楽よりも安全を取るのが、竜の巣に仕込まれたヒメの価値観だった。味が薄かったり、まずい食べ物しかなかったとしても、安全ならば充分である。
好きな席に座っていいと言われて、ヒメは扉に近い椅子を選んだ。いざとなったときの逃げ道を確保するためという、教科書の教えの影響だった。窓と扉からの侵入者も、よく見える場所を選んでいる。
リアン王子は、ヒメと少し位置をずらした、斜め向かいに座った。向き合って座るのが気まずいんだろうとヒメは思う。
お腹が空いている二人のために、料理は一気にテーブルに並んだ。
「うわあ、美味しそ〜。それじゃ、いただきまーす」
「へっきゅしゅ!!」
ヒメは驚いて、スプーンを手にしたまま、王子を凝視してしまった。
「だ、だいじょうぶ?」
王子は無言でうんうんと頷きながら、ジャケットのポケットから鼻紙を取り出して、鼻をかんだ。
(あれ……? リアンさんの、鼻の部分……ちょっとオレンジ色になっちゃったよ。鼻をかむ紙に、色でも付いてたのかな)
教えたほうが良いのだろうか。
(けど、もしも指摘したら、リアンさんは顔を洗いに行っちゃって、またまた夕飯を食べるまでの時間が伸びちゃうかも)
もう足は痛いわ、疲労
改めて、二人そろって食事を前に会釈した。
「竜の巣での生活は、つらくはありませんでしたか?」
「うん。決まり事がいっぱいあって、大変なこともあるけど、みんな仲良しで、とっても優しいよ」
食べる順番を気にしないヒメは、手づかみで鶏肉を引きちぎり、さらにそれをスープに突っ込んで食べていた。油の落とされたカサカサの鶏肉をスープで濡らして、
「リアンさんは、このお城ですごく人気があるんだね。いろんなメイドさんが、あなたを心配して、やきもきしてたよ。ガビィさんも、あ、ガブリエルさんも、あなたの政治の手腕を褒めてたよ」
「ガビィがですか? それはちょっと、照れますね」
「ガビィさんは普段、あなたを褒めないの?」
「お互いに負けず嫌いで、お互いに無理をし過ぎだと言っては、よく言い合いになっていますね」
王子は手元のオムライスをスプーンで一口大に分けて、ゆっくりと食べていた。なるべく唇に食べ物が触れないように、スプーンで口の奥まで運んでいる。
竜の巣で早食いを仕込まれているヒメに、相手に合わせるという概念はない。すでに全ての料理が半分くらいになっている。
「ふふ、思い合ってるんだね。ガビィさんはきっと、あなたに倒れてほしくないんだよ」
なんでもないふうに、ガビィを庇った姉の姿に、リアン王子は、食べる手が止まった。
「ん? どうかしたの?」
「いえ。こんなに早くガビィと打ち解けてくれるなんて、思っていなかったものですから、驚いてしまって」
「へへへ、ガビィさんって、付き合い辛いよね。真面目で良い人なんだけど、今まで、彼の行動にはびっくりすることばっかりだった」
「彼なりに、大勢を思っての行動なんですが」
「ふふ、わかってるよ。ガビィさんはとっても優しいよね」
ヒメが、スープも鶏肉も最後の一口で腹に収めた。
王子の食事する手が、また止まっている。
「姉上はガビィが好きですか?」
ヒメのビー玉色の両目が、ぱっと見開いた。しかし、すぐに普通の顔に戻る。
「うーん、どうだろう。あの人にはこれからも、きっといっぱい振り回されちゃう気がする。ケンカもしちゃうかも」
「一緒にいると、疲れてしまうのですか?」
「でも、それがなんだか、楽しみでもあるんだよね」
「振り回されたり、ケンカをするのがですか?」
「うん、そう」
ヒメは改めて気持ちを口にしてみて、我ながら奇妙なことを言っているなぁと苦笑した。
(私、ガビィさんの欠点まで楽しみにしちゃってるんだな。リアンさんに、変な人だって思われただろうな)
それでもいいと、ヒメは思った。だってこれが、今の自分の本当の気持ちだから。
ふと、リアン王子を見ると、完全にスプーンを置いて、眉間にしわを寄せてため息をついていた。
「……姉上、あなたは一国の王女として、この世に生を受けました。あなたの命は、この国の発展のために使われる定めにあります。自由な恋愛は、僕もそうですが、誰からも許されません」
「え? どうしたの、急にそんな話」
「貴女の結婚相手は、すでに決められているんです」
「そうなんだ、さすがはお姫様だね」
ヒメは自分のことではなく、マリーベル姫のことだと思って返事をしていた。
(そっかそっか~、マリーベル姫には、もう旦那さんが決まってるんだね。私も、誰にするか、もう少し真面目に考えないとなぁ。よくわかんないままに、ネイルさんにしようかな〜って思ってたから)
思案しながら、銀色のスプーンでオムライスをすくっていると、ふんわり玉子をのせたケチャップライスの中から、煮込みトマトの角切りが出てきた。
(トマト赤いな〜。ガビィさんの髪の毛みたいだな……)
最近は赤色を見るとガビィに直結してしまうヒメである。
『ヒメ! あの者の妻にだけはなるでないぞ!』
突然、竜の巣の王からの叱責が頭に響いた。
『奥様がいるという話は、聞いたことがございませんが……』
竜の巣の侍女ミリアの、どこかよそよそしい態度も思い出す。
(ここでガビィさんの考えてる作戦が、大成功したら、彼も私の、お
不安そうにうつむくヒメに、リアン王子から声がかかった。リアンは竜の巣での生活がどんなものか知りたがり、そして不思議なことに、竜の巣の三男の王子について、とても詳しく知りたがった。
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