第34話   ヒメは姫じゃないけど姫なのか①

さん」


 ヒメはジョージとガビィの後ろから廊下に出たとたん、笑顔で声をかけた。


「どういうことなのかなぁ? 私よくわかんないなぁ?」


「……どこからわからなくなったんだ」


「エメロ城に入ってから、ずっとかな!! 私がお姫様だなんて、どうしてそんなひどい嘘つくのガビィさん!! どうするの、王様が信じちゃったよ!? 私、伝言まで頼まれちゃったよ!」


「伝言を引き受けたのは、姫の意思だろ」


「そ、そうだけど」


「嫌なら断ればいい」


「でも、だって、あの場じゃノリを合わせないと王様が泣くんだもん!」


 泣かれるのは本当に予想外であった。ヒメは今でも王様が突然泣き出した瞬間を思い出してしまい、冷や汗が流れる。


 ガビィは無表情で突っ立っている。何が起きても真っ向から構えていそうなその貫禄かんろくすらも、もはやヒメをイラつかせるだけだった。


「……俺は竜の巣から歩いて、今に至るまで、ずっと姫の人柄を見てきた」


「人柄ぁ?」


「ああ……。新しい事に物怖ものおじせず挑み、誰に対しても、分けへだてなく接する、優しくて勇敢ゆうかんなヤツだと思った。これなら、俺が何を言わなくても、王への礼儀を欠くような言動はしないと、確信した」


「それって、私が単純でお人好しだから、ほうっておいてもノリを合わせるだろうって、そう思ったってこと?」


「……そこまで言ってないだろ」


「でもそういうことでしょ! 私が王様にひどいこと言わないで良かったね!」


 ぷんぷんにむくれて背を向けるヒメの背中には、鞄が。王の私室を出る前に、執事のジョージから荷物を返してもらったのだ。


 ちなみに、万が一にも姫が王に無礼を働いたら、そのときはガビィが部屋から引っ張り出すつもりでいた。


「姫様……」


 王の部屋の前なので、扉の両脇にいるメイドと門番がおろおろしている。ジョージもおろおろ、ガビィとヒメを交互に見上げている。


 本当に困らせているようなので、ヒメはしぶしぶ、怒りを引っ込めた。このお城では、なぜか自分が本物のマリーベル姫。泣いても喚いても、それは姫が乱心しているようにしか見えないようだ。


 ヒメはずっと背を向けていたが、ガビィに振り向いた。ガビィは無表情だったが、すっとした長い眉毛が、若干困ったように真ん中に寄っている。


(う……ちょっとしょんぼりしてる。ガブリエルさんでも、そんな顔するんだ)


 ほんのちょっと許してしまいそうになるヒメである。でも、ここで大勢をだましながらマリーベル姫を演じ続けるなんて、とてもじゃないが自信がない。


「ごめんね、ガブリエルさん……言い過ぎたよ。でも私は王子様に伝言を済ませたら、明日にでもエメロ王様に会って、その、がんばって絶望っていうのを伝えて、竜の巣に帰らなきゃ。今日のこと、竜の巣の王様には黙っとくよ」


 まだヒメの任務が、達成されていないのだ。このまま竜の巣へ戻ったら、竜の巣の王を失望させたあげく殺されるかもしれない。


 なんとなく、ガビィもついでに殺されてしまうような気もした。


「……まだだ」


「え?」


「まだ俺が、ここまで姫を振り回した理由を、話していない」


 振り回してる自覚があったことに、ヒメは驚きだった。


 ガビィは気まずさにあらがえなかったのか、無意味に壁の絵画へと視線を逸らした。


「……ここでは話しづらい。適当な部屋へ移動するぞ」


「あ、うん……」


 いよいよ、彼が事情を話してくれる気になった。しかし、


(知りたいような、知りたくないような……。飾る絵すらケンカになるエメロ城の事情って、ぜったいドロドロしてるよね……)


 なんだか嫌な予感がするヒメなのだった。




 先を歩きだすガビィの後ろを、ついてゆくヒメ。

 ふと、絶対に犬ではない何かの咆哮ほうこうが、耳をかすめる風に混じって聞こえた。遠く遠く、すごく遠い場所から吠えているようであるが、辺り一帯に重低音を響かせる巨大な獣を思わせる、くっきり、はっきりとした鳴き声だった。


「ガビィさん、今の聞こえた? 遠くで誰かが、すごく大きな獣を飼ってるみたい」


「……あれは隣国から聞こえてくる。以前はめったに鳴かなかったが、近年になってよく吠えているな」


 ガビィに驚いている様子はない。もっとあせったほうが良いのではとヒメは焦った。


「おとなりの国とエメロ国が、どれくらい離れてるのかわかんないけど、ここまで鳴き声が聞こえるなんて、そうとう大きな動物だよ。お隣はその動物のこと、ちゃんと制御できてるのかな」


「……野放し状態だ。制御できる者など……誰もいない」


 一人でなんでもできそうなガビィがそんなことを言うと、ヒメは本当に世界に対抗手段がないかのような気持ちになる。どんな動物がいるのか想像もできない。


「あなたは、知ってるの? 隣国に、何がいるのか」


「……あれは動物の声じゃない。隣国を支配している、一匹の竜の声だ」


 振り向かずにガビィが答えた。


 ヒメはむくれて、すかさずガビィの横に並ぶ。


「ごまかさないで! 竜なんて生き物、子供の頃に授業で使ってた絵本でしか見たことないよ」


「兄さんは竜になれるんだがな」


「長男さんが?」


「親父の容姿も、かなり竜に近いと思うが」


 なぜ今、ガビィの家族の話が出てきたのかと、ヒメはきょとんとしてしまう。


「王様に似てたっけ? あの絵本に出てくる竜は、やたら美形で目がきらきらしてて、体は細く引き締まってて、本をめくるたびに躍動感やくどうかんとかがすっごく描かれてたよ。内容は……ひどすぎて忘れちゃったけど」


 ヒメが幼い頃、竜の巣では文字の読み書きの授業に、絵本を使っていた。


 竜の巣では、世間的に正しいとされる教育はしない。教訓めいた内容の絵本も置かない。

 あるのは、不条理な内容や、読むだけで悲しくなったり、腹が立ったりする内容ばかり。こうして幼い頃から、『信じる者は己のみ』『他者に頼らず自分でやる』という精神を植え付けてゆくのだ。


「……どの本のことを言っているのか知らないが、隣国には白銀色の竜がいるんだ。たまに咆哮を上げ、ときたま、エメロ国に卵を飛ばして襲撃してくる」


「卵?」


「……竜の巣を襲った、あの白い化け物がたくさん生まれる卵のことだ」


「あれ卵なの!?」


 ヒメの知る卵とは、親鳥が覆い隠して大切に温める、栄養豊富な食べ物。空も飛ばないし、中から大量の化け物が出てきて仲間を負傷させたりもしない。


「あんな大きさの卵を産むなんて、どれだけでっかい竜なの!! なんて所に建国してんのエメロ国は!」


「隣国もエメロ国も、昔から位置は変わっていない。竜のほうが突然現れたんだ」


 エメロ国は内情も外交も、非常に危機的な状況なのだった。


(マリーベル姫が旅行から帰ってこないのって、この国が抱える問題がつら過ぎたからじゃないかな……)


 本物の彼女は、もう二度と帰ってこないのではと、ヒメは思うのだった。


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